インド旅行2005

インド旅行2005 (14):The Imperial

それにしてもさ、何十年も生きてきて、急死した夫の亡きがらにとりすがって号泣する未亡人の姿を見たのなんか、初めてですよ。なぜまた、よりによって旅行中に、絵に描いたように平和な村を訪れた時に、こんな悲劇に遭遇するのか。まったく、人生、どこで何があるかわかりませんよね。明日は我が身、ということもあるし。

Spinach_paneer_kofta_2 と暗い思いを抱えつつ、それでも食堂で食べたベジタブルコフタ(コフタという揚げ団子をカレーで煮た料理)は旨く、ガンガン喰ってしまったのだ。キールという甘いあられを牛乳で煮たようなデザートも旨かったのだ。

それとも、死を身近に感じると、生への執着が増して、欲望が強くなるのか。どうでしょう?(いや、まあ、「お前はどんな時でも喰うんだよ!」という声も、どこからか聞こえてきますが)。

4月26日
シムラという観光地を経由して、デリーに戻ってきました。

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大田舎のヒマーチャルからデリーに来ると、「現代都市」に見えてしまう。街頭インタビューなんてやってるんだもん。それに、バリスタというスタバのようなコーヒーショップに入ったら、カフェオレ1杯で38ルピー!何もかも高くて高くて、あわててATMに走ったね。

Boysindheli0321_2 男の子たちも、垢抜けています。2人とも派手な色のシャツですが、顔立ちが濃くて、色に負けていないね。

ここはコノートプレースというニューデリー最大の繁華街から放射状に伸びた大通りの1本。さて、裏通りの似合う女である私が、なぜこんな目抜き通りにいるかというと・・。

ジャジャーン!

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前にもご紹介しましたが、旅行の最後に1泊だけ、贅沢をしようということで、The Imperialという、デリーでは唯一と言っていい伝統と格式のあるホテルに泊まったのです。

夜行で朝早くデリーに着いたので、ある程度は観光して時間をつぶしたのですが、結局、チェックイン時刻よりもだいぶ早い10時頃にホテルに行ったら、受付の人がカチャカチャとキーボードを叩き、

「申し訳ございません。まだご予約されたシングルルームの準備が整っておりませんので・・」
「あ、いいですよ」荷物をここで預かってもらえれば・・と言いかけたら、
「スイートルームでしたらご用意できますが」
えっ!えっ!
「シングル料金でいいのっ!?」
「はい、もちろん」

やったー!

というわけで、シングル料金で(しかも、インターネット予約で、お得な料金)スイートルームに泊まってしまいました。

Rooma0321  Roomb0321

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この旅行で初めて風呂桶につかることができました。枕までついているのだ。せっかくだから、出されたものは使わなきゃ損、という貧乏根性丸出しで、リビングのテーブルに出された果物は全部食べ(でも、ちょっと外出して帰って来ると、補充してあるの)、備え付けのお風呂セットも大量に使い、大型テレビでインドの国会中継を見て、とやっていたら、ニュースになり、日本の映像が流れ・・

ウギャー、なんだ、これ!電車がマンションに突っ込んでる!

前日に起きた福知山線脱線事故の報道でした。いやー、サラハンの事件に続き、これまたビックリで、なんだかグッタリの締めくくりでした。

インド旅行2005 (13):サラハン

4月21日(木)
標高1000メートルのラーンプルから、おんぼろバスはフーフー言いながら、1920メートルのサラハンまで、やっこらさ、と上ります。

リンゴの花が咲く美しい村です。

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村人たちも明るくてのんびりした、いい雰囲気。

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撮った写真を液晶画面で再生したら、みんな大喜びで、私の背中や肩をバシバシ叩きながら、キャーキャー大騒ぎ。こちらもなんだかうれしくなって、ウヒャヒャヒャヒャと笑ってしまい、道の真ん中で、いい年した女の集団が、笑いキノコでも喰ったんか、というような笑いの発作に襲われてしまったのでした。

こんなひっそりした、穏やかな村に、ひとつだけ、すんごいモノがある。これです。

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いわゆる「入母屋造り」で、日本の神社みたいですが、これ、ビーマカーリー寺院というヒンドゥ教寺院です。巨大な木造建築で、例によって外壁にはヒマーチャル独特の石と木を組み合わせた部分がある。屋根はスレート葺き。2つある建物のうち、古い方は800年前の創建ですが、新しい方は20世紀初頭のもの。昔はこの地の支配者の居城でもあったということなので、いわば天守閣の役割も果たしていたわけで、そう聞くと、この勇壮な立ち姿も納得です。

反対側から見ると・・

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その名の通り、ビーマカーリーという女神がまつられているわけですが、これは普通のヒンドゥ教のカーリー女神のサラハン・バージョンだそうです。このカーリー女神、実に恐ろしい、悪鬼のような神様です。

Hindugodskali_2 カーリーという名前自体が「黒いもの」という意味で、全身は黒く、真っ赤な舌をベロリと出し、手にも首にも生首。げえーというお姿なのですが、これがけっこうヒンドゥ教徒の間では人気がある。インドの全国各地に寺院があります。

こんな平和で静かな村なのに、こんな不気味な神様をまつっているのでありました。しかも、それだけではない。このビーマカーリー寺院。100年ほど前まで、生け贄の儀式が行われていたのです。ビーマカーリー女神への供物ということなのでしょうが、生身の人間を深い井戸に投げ込んでいたとのこと。

そんなことを聞いてから、寺院の内部を見学したら、上の層に安置されていたご本尊が、案の定、真っ黒のミイラのようなものに血のように赤い装束が着せてあるという、なんとも気色悪い姿で、ろくに見ないで通り過ぎてしまいました。

そして外に出ると、天気が崩れ、寺院はこんなオドロオドロしい姿に。

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山の上で寒かったこともあるのですが、背筋に冷たいものを覚えつつ寝た、その翌日。

昼に食堂でチベット料理を食べて出てくると、村人たちが何十人も、足早に通り過ぎて行く。役場やバスの発着所がある村の中心を目指している模様。皆の堅い表情からして、楽しい催しではありません。私もついて行ったら、役場の前にワゴン車が駐まっていて、ちょうど数人の男たちが毛布にくるまったものを降ろそうとしているところでした。毛布にくるまれたものが、ずっしり重そうに垂れ下がっているのを見て、死体かな、と想像がつきました。そこへ、ああ~ああ~という、女性の長い悲鳴が響き、やはりそうだったのだな、と。

後で宿の人にたずねたところ、バイクに乗っていて、車をよけようとして、崖から転落したのではないかとのこと。こんな恐ろしいことで、忘れられない旅行になることもあるのだなあと、初めて知ったのでした。

インド旅行2005 (12):バスに揺られて

ヒマーチャルプラデシュ観光公社の便利な地図があったので、借用させてもらいますと、

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左上(北西部)のチャンバから南下してカングラを東西に横断したところです。これからさらにキナウル地方へと向かいます。この2日間はバスを乗り継ぐ行程。

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バスを待っていたら、例によって山羊の群れが通りかかり、山羊飼いの少年から「おお~い」とお声がかかりました。うん?と首をかしげると、シャッターを押す仕草をする。あいよ、とカメラをかまえたら、このポーズ。プロのモデルさんみたいじゃない?服のコーディネートもステキ!背景の山羊さんたちの毛並みもきれいだしね。

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Gate0320_2 ううっ。こ、これは・・?テーマパークじゃないよ。宿泊したラーンプルという町のキッチュなヒンドゥ寺院。ちゃんと信仰の場として機能しているようでした。

横に回ったら、こんな門というか、くぐり戸のようなものがあり、ますます、ウウ~ン。男性がナンディのシッポにつかまっているのは、このように神様にすがり、助けていただきましょうということですかね。それとも、神話の中に、こういう場面が出てくるのかな。左の朱色の部分はガネーシャという、頭が象の神様。障害を取り除き、成功に導くという御利益があると言われ、ヒンドゥ教のいろいろな神様の中でも人気のある神様です。オフィスそのままにも、商売繁盛を祈願して、ガネーシャの小像が飾られているのだ。

Donkey0320_2 寺院の裏をトコトコ歩いていたら、お食事中の方に出会いました。いやー、ちょっとした都会でも牛が町中に放牧され、天下御免で市街地をブラブラ歩き回っている光景には、もう驚きませんが、ロバまで放牧してしまうというのは、ビックリ。どう見ても、普通の民家の庭木を喰っちまってるんですが。

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バスの休憩所で出会った親子連れ。お母さんもお子たちもよそ行きのいでたちで、何か晴れがましい席にお出かけのようでした。お母さんの服装からもわかるように、もう中国国境に近いキナウル地方に入っています。

Dahba0320_2 ダーバのおじさんの頭には、この地方独特の帽子がのっています。こうやってパンケーキみたいなのを焼き、それにジャガイモをはさんで食べたり、これをスープにひたして食べたりする。ここのは、これだけで食べても旨かった。チャイも注文して8ルピーで、チャンバと同じ。

このあたりの男性のおしゃれというのは、服装よりも、むしろヒゲに重点が置かれているようで、このお二人も、それぞれ自分に似合うヒゲをたくわえておられます。毎朝、ハサミでチョキンチョキンと丁寧に刈り込んでいるのか。それとも路上のヒゲ剃り屋さんに寄っているのか。

インド旅行2005 (11):カングラ渓谷鉄道

4月19日(火)

居心地の良いチャンバを離れ、今日は旅行の目的のひとつであるカングラ渓谷鉄道に乗車します。チャンバからいちばん近い鉄道駅まではバス。途中は切り立った崖また崖の山道が続き、時折、山羊の群れをつれた農民と出会います。

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道幅が狭いと、すれ違うのはかなり困難になり、ベ~~~ベ~~~と山羊の皆さんは大騒ぎ。

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私の写真が下手で、ぜんぜん見えませんが、この左側はすぐに崖なのでして、にっちもさっちも行かんという状態なのです。しかも、この混乱に乗じ、なのか、あるいは単に仲間に押されてしまったのか、四つ足の強みを発揮して、崖を降りようとする山羊がいる。おじさん、大弱りの図です。バスのドライバーはバオバオとクラクション鳴らしっぱなしだしさ。

約5時間でカングラマンディルという、この線全体のちょうど真ん中あたりにある駅に到着。

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プラットフォームから遠くの山々を眺望。こうして後になって写真を見ると、いかにも風光明媚なのですが、恐ろしいことに、チャンバに2日いただけで風光明媚慣れしてしまい、その時は、あまり感銘を受けなかったような・・。旅行というのはこういうことがあるから、計画通りには行かないんだよなあ。

Kangravalleyrailway0319_2 そして、これも大ポカなんですが、肝心の列車の写真を撮っていない。ヒマーチャルプラデシュ観光公社©の写真をお借りします。こんなディーゼル列車。

インドには観光客に人気の有名な山岳列車がいくつかありますが、カングラ渓谷鉄道は周囲に観光地がないので、こんなに美しい景観を望めるのに、観光客の姿はなく、ごく普通のローカル列車です。観光客が収入源になると、どうしても観光客向けに飾りをつけたり、サービスを良くしたり、鉄道会社が余計なことをしてしまい、陳腐になりがちなので、私は土地の通勤通学客が普通に利用する列車の方が好きなのです。

Timetable0319 これが時刻表。14:24発の列車に乗るつもりで、13時ぐらいから待っていたのですが、その時刻になっても、切符売り場さえ開かない。あくびをしながら待ち続け、ようやく15時過ぎに列車が到着し、15:10発。先が思いやられるのであった。

Landscape0319

「世界の車窓から」って感じでしょ。こんなところを列車はガターンゴトーン、ガターンゴトーンと進むのでした。

Family0319

同じ車両に乗り合わせたご家族。私が通過する駅名を読み取ろうとしていたら、お父さんが助けてくれました。

途中でトークン交換を目撃したことは、以前に書いたので、こちらでどうぞ。

悪い予感が見事に的中し、故障の修理などで、列車は遅れに遅れ、終点に到着したときにはすっかり夜。町の灯りが遠くチラチラときらめき、夜風が肌に冷たく、久方ぶりに夜汽車の雰囲気を味わいました。

インド旅行2005 (10):続チャンバ

4月18日(月)

そう言えば、ご飯はどうしていたかというと、夕食は宿に付属のレストランで、朝と昼はダーバと呼ばれるこんな軽食屋で取っていました。

Dahba0316

左側に山盛りになっているのは、サモサという中身が野菜だけの揚げ餃子みたいなもの。右は、平たいのがプーリというパンで、その下にあるのは、マッシュポテトに薄甘い味をつけたようなもの。プーリにこれを挟んで食べる。こういう軽食にチャイをつけて、8ルピーか10ルピー(20~25円)。奥に4~5人横に並んで座れる席があります。

なにしろ山国なので、観光も足が勝負という要素がある。こういうものと熱いチャイで腹に力をつけないと、山の上の寺院までたどり着けないのだ。とばかり思っていたら、後でガイドブックを読むと、山を迂回する舗装路があって、タクシーでも行けるのでした。

しかしまあ、それを知らなかったので、長~い階段をフウフウ上り、たどり着いた寺院には、こんなナンディ(シヴァ神を乗せる牛の神様)がいました。

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牛・・には見えない・・が、ヒンドゥ寺院にいるんだから、牛のはず。硬貨やお菓子のお供えがあったので、私もベロリと舌を出したナンディの口に1ルピーお賽銭を置いてきました。

それにしても、ちょこんと菅笠をかぶったお寺や、この丸まっちいナンディと言い、カラフルな消防署と言い、なんでもカワユクなってしまうというのは、土地柄なのでしょうか。

インド旅行2005 (9):チャンバ

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インド北部ヒマーチャルプラデシュ州のチャンバは遠くヒマラヤを展望する山間の町。標高1000メートル弱なので、インドで猛暑期に入りかかる4月でも、朝晩はひやりとする涼しさです。ほんの2日前には喧噪のデリーで黒い汗を流しつつ彷徨していたとは信じられん。

町は日本で山間の温泉町に見られるような作りで、川とその周辺の窪地が、公共施設が集まる町の中心。大勢の人が集会を開けるチョウガンと呼ばれる広い草地もあります。住宅地はその周辺の斜面にあり、水平方向の細い道を小さい階段で上下につなげています。この写真は上からチョウガンを見たところ。

Chamba0314

空気がさわやかで風光明媚で、まるっきり保養地の趣。お年寄りが犬の散歩の途中で立ち話をしていたりして、とにかく気持ちのいい町。夕方になると、チョウガンや川沿いをそぞろ歩きする人の姿が目立ちます。乞食も少なく、いても、身体に障害があるなど、いわば「もっともな」理由のある乞食ばかりです。あまりにいい気分だったので、つい5ルピーも(!)バクシーシしてしまった。

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気持ちよく暮らしていると、心に余裕が出てくるのか、消防署まで、こんな風に可愛くなってしまう・・のではなくて、たぶん元々あった建物を借用したのでしょう。でも、消防隊員さんの背後にある消防車が建物にマッチしているし、ベンチも可愛い色に塗ってあるしねえ。

Chambafiremen0314

なんだかね、いかにも用事がありそうに、隊員諸氏がぞろぞろ現れたので、これはもうカメラを向けるしかなかったね。火事はあまりないとのことなので、遭難などの他の事故への対応で忙しいのかな。

Chambatemple0314

これがこの地方独特の建築様式で建てられたヒンドゥ教寺院。菅笠みたいのをかぶってるのね。内部の撮影には許可が必要なので、外から撮りました。内部は神谷さんの写真でどうぞ。

日本でも神仏習合があるように、ヒンドゥ教と言っても、ヒマーチャルのような中央から遠く離れた山国になると、土着信仰との融合が見られ、正統派ヒンドゥ教のような「熱烈信仰」という雰囲気が希薄です。宗教というのは人の日常生活や気持ちのあり方に影響するので、チャンバ全体に、なんとなく、ゆる~い感じが漂っているのは、そのせいかもしれません。

Chambawall0314 一般住宅の建築も独特で、木材が豊富だし、地震の心配もあるということで、こんな風に石と木を組んでいます。

でも、ここにも近代化の波が押し寄せ、新しく建てられる住宅はことごとくモルタルやコンクリートで、味気なくなりつつあるようです。それでも、ピンクに塗ったりして、その辺はいかにもチャンバらしいけれど。


Chambahouse0314

これは伝統的な建て方の家。政党か組合の事務所か集会所のようでした。

Chambawoman0314男子中学校に住み込みで働いている女性。やはり気温の低い土地柄で、女性のファッションも、サルワールカミーズと言っても、上衣がふくらはぎぐらいまでの長いものでした。ショールのかけ方も、ちょっと変わってるかな。

インド旅行2005 (8):忘れじのアブドゥル

4月17日(日)

無事、逆方向のバスに乗ることができ、パタンコットに到着。バス発着所のそばにある宿に泊まり、翌朝、ようやく(!)旅のとば口まで来ました。

こんなバスで(2006年の旅行日記に使った同じ写真ですが)チャンバを目指します。

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チャンバまで6時間。途中、何度か休憩がある。こんなところで。

Street0308

江戸時代の宿場町みたいでしょ。黒沢の「用心棒」の宿場町って、こんな風景ではなかったでしょうか。

さて、途中で私の隣に男性が座りました。その名もアブドゥル・レーマン。なんて簡単に言っていますが、なにしろお互い、まったく言葉が通じないので、名前の交換までに数時間が経過しているのであります。

その間、私たちが何をしていたかというと、最初は無言です。2人とも正面を向いたまま。でも、チラチラ横を見たりして。そのうち、私が膝の上に置いていた英語の本に、横から手が伸びました。アブドゥル氏は、まったく無言で、その本を手に取ると、表紙をしげしげと眺め、ひっくり返して裏表紙をしげしげと眺め、パラパラとページをめくり、ふううう~と鼻から息を吐き出し、ゆーっくりとした動作で、私の膝に本を戻しました。

こういうことが行われたとなれば、これはもう2人は知り合い・・だよね。と思ったので、私はカメラを取り出し、OK?と聞いてみました。氏はやや警戒するように目を細めましたが、重々しくうなずいた。そこでカメラを向けたら、「ちょっと待て」という仕草をして、慎重に右斜め上に視線を定め、「このアングルで撮れ」(!!!!!)。カメラを持つ手が震えたね。

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その後、次の休憩所で氏は外でレーズンを買ってきて、「喰え」と。いただきま~す、だけでは悪いので、こちらは持っていたバナナを差し出すと、「俺は本当はいらんのだが、女子に対する礼儀としてもらっておくのだ」という様子。実際、膝にバナナを載せたままで、食べていなかったような気がします。

それからまた少し無言の時間があり、氏が持っていた袋から何かを取り出した。氏は私の方に手を突き出し、パッと手を開くと、手のひらに指輪が載っている。

は?と目を丸くしましたが、氏は顎をしゃくって、「取れ、取れ」というジェスチャー。いやー、そんなーと言おうとしたのですが、どう言ったらいいのかわからない。手を振って断ったけれど、氏は指輪をつまみ、私の手に押し付ける。で、しょうがないので、いただきました。

Ring0308 これがその指輪。

これって、どういう意味があるのでしょうか。それとも特に意味はないの?べつに高価なものではないから、レーズンと同じように受け取っておけばいいのでしょうか?名前からしても、見たところも、イスラム教徒なのだけれど、イスラム教徒というのは、見知らぬ女子にこんなものを与えていいのか?

ふ~む。

なんだかなーと思いつつ、途中、見事な職人技のタイヤ交換があったり、そばに座った女性が連れていた女の子が皮膚病らしく、腕の半分以上が真っ黒になっていて、アブドゥル氏がそれを触って何やら母親に言い、母親を怒らせたり、愉快な旅が続きました。

そしてチャンバ到着時、そんじゃねーと言ったら、アブドゥル氏、ニカッと歯を見せるやいなや、ムギュと私の左のオッパイをつかんだのでありました。怒る間もなく、逃げて行ってしまいましたが、正直言って、この年になると、オッパイつかまれたぐらいでは、自然な怒りは湧かないんだよなあ。まあ、女性の一人として、こういう時は怒らなければいけないんでしょうね、はいはい、それじゃ怒っておきます、って感じ。

ところで、指輪はこの代金ということだったのでしょうかね。安い指輪と小太りおばさんのオッパイ1個おさわり。これは適正な取引でしょうか?

インド旅行2005 (7):今度はバスで

4月16日(土)
夜遅くまで連ドラの再放送なんか見ていたら、夜明け前に起きて5時の列車に乗るなんて、とても不可能な事態と相成り、どうでもいいやあと適当に起きて適当に駅に行ったら、駅員さんの方で、

「パタンコット行きはもう午後までないけど、チャンディーガルまでの列車ならすぐ出るからな。そこからバスでパタンコットに行け」

と、勝手に決めてくれました。チャンディーガルに着いたのはお昼頃。

チャンディーガルは1947年の印パ分離独立後、インド側パンジャーブ州の新州都に指定された場所です。ル・コルビュジエという、とんでもなく偉~いフランスの建築家(どれほど偉いかはここをご覧ください)が、ここの都市建設をまかされ、碁盤目状の道路も公共施設も(たとえばこんなの)一切合切ひっくるめて、「ここがインドか!?」と目をむくような、すごいものを作ってしまいました。

それはすごかったんだけれど、残念ながら、分離独立後の印パ関係という残念な歴史の流れの中で、パンジャーブ州はもみくちゃにされ、公共施設への出入りが自由にできなくなるなど、建物にとっては不幸な経緯がありました。それに、すんばらしい現代都市を一歩離れるとスラムが広がるという落差に眉をひそめる人もあり、「モダニズムの都市計画の失敗作」と書かれちゃったりしてる。ただし、神谷さんは、都市計画には批判があるとしても、「コルビュジエの建築はインドの感覚によく合っていた」というご意見です。

ま、今回はヒマーチャルプラデシュ州がメインだったので、ここには寄らないことにして、運動場のようにだだっ広いバス発着所まで来たのですが、どのバスに乗ればいいのか、さっぱりわからん。デリーとは大違いで、オートやタクシーの客引きも全然いないし、誰も寄って来ない。ポツンとたたずんでしまった。

そばを通りかかった20才くらいの青年に「パタンコット?」と聞くと、どうやら彼にもわからない様子なのですが、キョロキョロしながら、手のひらをこちらに向けて(ちょっと待て)というような仕草をすると、タタタッと走り去ってしまった。

(誰かに聞いてくるという意味?)と首をかしげていたら、遠くの人混みの中に時折、青年の姿がチラチラ見える。ところが、それがもう、その広い発着所のあっちゃこっちゃで、なーにをやってんだか。あいつはダイジョブか?と、こっちが心配になる。でも、5分ほどして無事に走って戻ってくると、あれあれ、と1台のバスを指さし、こちらが「ありがとう」と言うのもろくに聞かずに、さっさと消えてしまいました。

ここからパタンコットまでは5時間ほど。夕方までには着くなあとバスに乗車した・・

・・ところまでは良かった。問題はバスからの降車。途中、何度か停車し、乗客の乗降があったのですが、ある大きな発着所では、客の大半が降りてしまいました。どこかなあ?なんて窓の外を見ているうちに、入れ替わりにドッと新しい乗客が乗ってきて、満杯状態で発車。

(あれ?車掌さんが変わってる。ターバン巻いてるからシク教徒だ)

ターバン車掌は乗客に切符を売ったり、持っている切符を調べたりしている。混み合う車内を徐々に進み、私のところにやって来た。はい、と切符を見せたら、車掌さんがビックリして、

「パタンコット!&%$#X!!」
「へ?」

私の周囲の乗客が全員、椅子から飛び上がり、

「&%$#X!!ナンジャカホジャラカー!」と叫び始めた。乗客の中の一人が英語で「パタンコットはもう過ぎたぞ!このバスはジャンムー行きだ!」

ありゃまー。さっきのところがパタンコットだったのか。このバスはパタンコットが終点じゃなかったんだ。

「あ、どもども、ほんじゃ私、降ります」と、バックパックをごそごそ持ち上げる私の周りで、乗客たちは大興奮。相変わらず、口々にナンジャカホジャラカーと叫び、運転手に向かってああだこうだと言っている人もいる。そのうちバスが停車。道ばたに食堂兼雑貨屋のような店がある。どうやら乗客の皆さん、「食堂のあるバス停で降ろせば、そこで逆方向のバスを待てる」と、運転手に言ってくれたようです。

降りたら、ターバン車掌がわざわざ後から降りてきてくれました。食堂の兄ちゃんに「ハニャランホニャラン」と説明している様子。兄ちゃんはチラと私と視線を合わせ、よし、と頷いてくれたので、たぶんパタンコット行きのバスが来たら教えてくれる模様。

「ありがとう」とターバン車掌に礼を言い、待たせて悪かったなあと、発車するバスの窓からこちらを見ている乗客の皆さんに手を振ったら、皆さんもうれしそうに手を振り返してくれました。

そこの食堂に落ち着き、チャイと揚げパン(全部で20ルピー。甘い揚げパンが旨くて食べ過ぎた)で早めの夕食を取りながらよくよく考えたら、万が一あのまま終点のジャンムーに着いていたら、ジャンムー・カシミール州に行くところだったのでした。旅行の予定を立てるときに、カシミールにも少しは食指が動いたのですが、印パ関係がまた不穏になり、爆弾で死傷者が出たなどとニュースが流れていた時だったので、あきらめたといういきさつがあった。

旅行者は「危険だから行くのやめた」なんて簡単に言えるけれど、あのバスで終点まで行く人たち、そこに住んでいる人たちは、危険だから帰るのをやめるなどとは言えないもんなあ。帰宅したら、「すんごくおかしなことがあったんだぞ。中国人みたいな変なチビのおばさんがバスを乗り過ごして大騒ぎさ」なんて、家族に話すのでしょうか。少しは娯楽を提供できたとしたら、私としても大変うれしいのですけれどね。

インド旅行2005 (6):インドの連ドラ

4月15日(金)続き
そんなわけで、ニューデリー駅を出て、宿探しかあ、はふう・・とため息をつきつつ、周囲を取り巻く旅行業従事者諸氏の「どこ行くんだー」「タクシー?タクシー?」「ゲストハウスはこっちだあ」という声を片耳で聞きつつ、Lonely Planet(個人旅行者必携本。「地球の歩き方」を10倍ぐらい詳しくしたものと思ってください)を開いたとたん、あ、と思い出した。

ゲストハウスを決める前に、ニューデリー駅近くの中級ホテルも候補に挙げていたのでした。2500ルピー(7000円ぐらい)と高くて、やめたのですが、それ以外は良いホテルだったので、そこに決定。

空室があり、あっさり部屋に落ち着きました。でも、ただ数時間眠るだけでこんなに払うのはクヤシイ!というわけで、テレビをつけ、お湯をジャンジャン出してシャワーを浴び、ガシガシ洗濯。地球にやさしくない旅行者。そこへ聞き覚えのあるテーマミュージックが。

あわてて洗濯を中断してテレビを見ると、あー!まだやってた!これ。Kkusum(どうやっても、カタカナにできない発音です。アルファベットだって全然表現できてないもん)という月曜から木曜に30分やる連ドラなのだ。

前年に南インドを旅行した時に、テレビで見ていたのですが、なにしろヒンディー語は全くわからないし、飛び飛びに見るから、正確には内容がわからない。でも、そこは30分の連ドラ。あらすじは万国共通。Kkusumという美しく(これは必須だ!)しとやかな(これは、かつては全方位的に必須だったようですが、最近は中高年ファンの間でのみ必須)女性が主人公で、金満家の婚家を追い出され、女手一つで娘を育て、その娘が美しく(必須!)成長し、そこへかつての夫と再会したら、夫の再婚相手が性格悪くて(必須!)ケバケバしい(必須!)女で、その娘が可愛いけれど意地悪(必須!)で、Kkusumの娘を平手打ちしたりして、いじめまくる

全く言葉がわからなくても、これぐらいのことは、わかってしまうのであった。母と娘がほとんど同年齢に見えるなんていう細かいことでブツブツ言ってはいけないというところも、万国共通なのだ。

そんなわけで、列車には乗り損ねたけれど、ベッドでボリボリお菓子を食べながら連ドラを見るという普段は全く興味のないことが、なぜかインド旅行中は楽しいっていうのも、不思議ですよねえ。

インド旅行2005 (5):デリーで慢心する

4月15日(金)

ここは認めるしかないでしょう。そうです。私は慢心していました。「いい気になる」というやつです。

前年に南インドを旅行し、インドは経験済みでしたが、南インドはもともと評判のいい地域。でも、北インドについては、「悪い奴らでいっぱい」とか「ぼられる」とか「密室に連れ込まれて宝石を売りつけられる」とか、怖い話をいろいろ小耳に挟んでいたので、かなりビクビクしてデリーに到着した私だったのです。

ところが、前回ご紹介したように、tout も大したことないし、オートリクショーの運賃も、ゲストハウスの女主人からは「コノートプレースまで40ルピー」と言われたのに、30ルピーで行ったりして、鼻高々。わずか10ルピー(30円弱)で鼻高くするなよおと言われるかもしれませんが、こういうのは得意になるんですよ。

「土地の人は40で行ってるみたいなんだけどさ、運ちゃんと交渉して30になったよ」

一生に一度でいいから、さりげなくこのセリフを吐いてみたいと切望する個人旅行者がどれほどいることか!

そんなわけで

デリー、大したことないじゃん!

それに、帰り道がわからなくなって、住所が書いてあるゲストハウスのカードを持って、同じところをグルグル回っていたら、車で通りかかった青年がカードに気づいたようで、ゲストハウスまで送ってくれたんですよ。

デリー、親切じゃん!

たかだかこれだけのことで、なんだかすべてがうまく行くような気になってしまったのです。しかし、好事魔多し。緊張感が緩んだのがまずかったあ。

まずはちょっとした失敗から。

フマユーン廟(こちらで神谷さんの写真をご覧ください)というイスラム建築を見学しようと、例によってオートの運ちゃんとナンジャカホンジャカと交渉。納得できる値段にまとまり、フンフンと鼻歌を歌っているうちに到着。料金を払ってオートを降り、入口まで行って、ハッと気づいた。

違う・・。

違う遺跡だった。フマユーン廟の周辺は庭園になっていて、そのはずれにある遺跡の前で降ろされてしまったのでした。気づかないこちらがバカなんだけどさ。しかたなく、そこもいちおう見ましたけどね。でも、35℃の炎天下、日陰がゼロの中、フマユーン廟までの数百メートルを歩くのは、しんどかった・・。

これでちょっと気を引き締めれば良かったんだよなあ。でも、ゲストハウスに帰って、女主人に今日の夜行でパタンコットに行って、そこからバスでチャンバに向かうと話したら、

「あら。私の母の一族が昔、チャンバに住んでいたのよ。きれいな所。涼しいし。いいわねえ」

これでまた、いい気になってしまった。ふふふ、私の選択は正しかったね。

さて、夜になり、たっぷり1時間も余裕を見てニューデリー駅に到着。右往左往する人の波をぼんやり見ているうちに、出発時刻の9:10が迫ってくる。でも、アナウンスがない。準備が遅れているのかなあ・・と思いつつ、さすがに9:00になると、これはおかしいと不安になり、窓口でたずねると、

「その列車はニューデリーじゃなくて、古い方のデリー駅始発だよ」

グワーン!

「2キロぐらいあるから、もう間に合わないな」

グワグワーン!!

「ちゃんと切符に書いてあるだろ」

グワグワグワーン!!!

あきらめるしかないです。次のパタンコット行きは早朝。それに乗ることにして、マスターペイイングゲストハウスは予約がいっぱいだし、今夜は駅の近くで1泊するしかない。ああ~、夜のデリーで宿探し。泣けるナア。メソメソ。

蛇足:「インド旅行2006」でご紹介したように、今は地下鉄があるので、このゲストハウスへも、ニューデリー駅からデリー駅へも、オートを使わずに地下鉄でラクラク行けます。便利になったのはデリー市民にとっても観光客にとってもうれしいことだけれど、オートのおっちゃんたちにとっては打撃だったんだろうなあと思うと、なんだか悲しい。料金の交渉という面倒がひとつ減ったのは確かだけれど、やっぱりつまらないしね。

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