インド旅行2008

インド旅行2008 (44):ムンバイ

Mumbai02254 ゴアから夜行列車に乗り、一晩眠ればムンバイ。そして今回の旅行も終わりです。

4月8日(火)

ムンバイCST(中央駅)に荷物を預け、買い物にレッツラゴッ!

ムンバイでだいたいの自分の位置を把握するための目印にしているのが、このフローラファウンテン。ファウンテン(泉)という名前だから、噴水なのだと思いますが、少なくとも私は一度も水が上がっているところを見たことがない。

ここが大通りの交差点になっているので、ここから南へ何メートルと見当をつけたり、道に迷ったらフローラに戻る、という具合に歩くようにしているのです。

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ここのそばの店をいくつかハシゴして、自分の服とおみやげを買い、久しぶりに都会風のカフェ(!)でコーヒー(ちゃんとコロンビアなのだ)とクレープを食べ、う~ん、やっぱり都会もいいなあ・・なんてウフウフしていたら、「お勘定」を見て、ドヒャッ!なぬう?540ルピー!?1500円!ハンピの宿の1泊より高いよー(泣)。

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気を取り直して、ぶらぶら散策。高級インテリアのお店の看板猫・・と言いたいところですが、単に近所のノラさんが、我が物顔にしているだけ。猫の得意技ですね。

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ムンバイといえば、こんな植民地時代の建築物が有名ですが、

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ちゃんと寺院もあります。

さて、こんなわけで時間になり、CSTで荷物を受け取り、空港までタクシーで行くのはもったいないので、空港から2~3キロの駅まで電車で行って、そこからタクシーに乗ることにしました。

旅行の最初に何度か乗った各駅停車の電車。これが最後の乗車です。

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物売りの男の子が乗り込んできた。ボールペンとか髪留めとか、おもちゃとか、いろんな雑貨を売っています。こんな光景も、もう見られないんだなあ。

はふ。もう終わりか・・。

とシンミリしたところへ、前の席に腰掛けていた中年女性に声をかけられました。でっぷり太り、良質なシルクのサリーをきっちり着て、金のイヤリング、金の指輪、手首にはいくつものブレスレット、という中流家庭のご婦人です。

どこから来たの?というやり取りをして、インドは4回目という私の言葉に奥さまが目を丸くした後、

「ラジャスターンへは行った?」
「いやー、それが、まだ行ったことがないんですよ」
「あらー。ラジャスターンはステキよ。ぜひいらっしゃいよ。この次に」

今度いつインドに来られるかなあ・・という思いで、私が曖昧な笑みを浮かべると、

「必ず来られますよ。来たいなあと思えば、必ずいつか来られるものじゃない?ねええ?」

おそらくこちらの気持ちを読み取った、力強いお言葉でした。このお言葉で今回の旅行も大団円でございます。

さて、いつもの旅行であれば、これでおしまいなのですが、昨年11月に起きた、まだ記憶に新しい、あの事件。CST駅も襲撃現場のひとつだったんだよね。半年ずれていたら、あそこに自分がいたのだと思うと、今さらながら、誰もが明日をも知れない身なのだなあと実感します。

で、ま、明日をも知れない身なんだから、とりあえず楽しめる時に楽しんでおこうという、あまりに当たり前すぎる結論でした!

インド旅行2008 (43):心配なタイプ

Gokarna0204ノホホンと楽しかったゴカルナ滞在も終わり、今日はバスでゴアまで行き、ムンバイ行きの夜行に乗ります。

バスの発着所に来たら、こんな女性を見かけました。この服装はインドでは珍しい。デリーやムンバイのような大都会には、先進国と同じような服装の女性もいますが、それはごくごく少数の例外で、インドでは肩を出す女性はめったにいません。

ゴカルナには漁村という一面もあるので、漁業を営むカーストの女性特有の服装かな。それとも、そもそも民族が違うのか。

乗ったバスは、海辺の道路を走り、

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マルガオというゴア州の駅に到着。観光地として有名なゴアの駅ですから、予想通り混雑していた。でも、ラッキーなことに、ここには外国人専用窓口があったのだ。

そこの列に並んで、前にいた外国人の若者たちの話を聞くともなく聞いていたら、コチョコチョと肩をくすぐられました。へ?と振り返ると、ぷっくりした真っ白な顔に、薄~い水色の目、髪もほとんど白に近いブロンドという、明らかに北欧から飛んできたばかりという50前ぐらいの男性が、こわばった口元に必死で笑みを浮かべようとしている。

(う~ん。こういう人間が一人でインドに来ちゃダメだよね)と思いつつ、ま、聞かれることはわかっているので、

「何でしょうか?」
「あ・・あわ、あわ」

グシャッとなった列車予約用紙を差し出します。それは半分ぐらい記入してあり、それを指でトントンとつつきながら、

「わたし・・えいご・・ダメです。わたしは・・それで・・わからない」
「あ、はいはい。記入方法が知りたいんですね。あ、ここはね、あなたの名前じゃないんですよ。ここは列車の名前」

身ぶり手ぶりで列車を表して、NAMEと言うと、わかったみたい。うれしそうに、ウンウンとうなずいている。

「それより、そもそもどこに行くの?」

ケーララに行くというので、それなら窓口で「ケーララ!」と言えば、窓口の人が次の列車を記入して、降りる駅も教えてくれるからと、またしても窓口を指さしたり、用紙に記入する身ぶりをしたりして、何も心配はいりませんよ、と。

「No problem!Don’t worry!」

両手の親指を天に向けると、彼は目をまん丸くしつつも、ウンウンと何度もうなずきます。

「じゃ、ね」と、さっさと切り上げようとしたのですが、相手は相変わらずアワアワして、唇をふるわせつつ、

「私はフィンランド」

とか言い始める。いや、ま、袖すり合うも多生の縁というのはわかるけれど、実は私はこういうタイプが苦手。困っている人がいれば助ける。それはやぶさかではありませんが、あまりに哀れっぽい人というのが、私は苦手なんですよ。直視できない。

すでに分別があるはずの年で、言葉の通じない途上国に、パッケージツアーも使わず一人で来て、どうやらインドに関する予備知識もほとんどないらしい(ゴアとケーララの位置関係を、この人は知らなかった)。普通じゃないよなあ。しかしまあ、インドですから、こういう無防備な人ほど、なんとかなったりするからね。

ちょうどその時、前にいたジャマイカ男性とスウェーデン女性のカップルが、ハンピについて聞いてきたので、冷たい私は渡りに船とばかりに、クルリと彼に背を向けてしまったのでした。

フィンランドのポニョおやじ。あの後、どうなったかなあ。せめて「日焼け止めをつけるように」ぐらい、アドバイスしてあげれば良かったかな。

インド旅行2008 (42):アメリカもロシアも

Gokarnameals0111 ゴカルナでご飯、というと、こんな看板が店の前に置かれていたりします。

MEALSというのは紛れもない英語ですが、南インドでMEALSと言えば、食事のことではありません。北インドではターリという、カレーやご飯やチャパティがセットになった定食のことです。南インドでは、バナナの葉っぱがお皿の代わりになっていることもある。

発音もミールズではなく、ミールになっちゃう。これは日本で使うカタカナ語が、元の英語とは発音も意味も変わっているのと同じですね。で、ミールス・レディと書いてあるのが普通。四六時中Ready(用意できてます)なんだけどさ。

ある店に、海を展望できるテラス・・っていうのは、あまりにステキすぎるなー。屋上の物干し台をよしず掛けにした、という方が正しい形容だな。そんなところがあり、床に敷いたゴザに座って食べることや、こんな猫がいることで、居心地の良さが醸し出されております。

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チキンビリヤーニ(チキンライスみたいなもんです)でも食べようかなと、この物干し台みたいなところに上ったら、客は私以外にはもう1人、ヒョロっとした若い白人男性がいるだけ。

たぶんブロンドなのでしょうが、何週間か洗髪していないであろうとおぼしきドロドロの髪をドレッドヘアにして、クルタというインド人が着る襟なしシャツを着ている。この兄ちゃんが、猫をコチョコチョし始めたので(ネオヒッピーの皆さんは、まず間違いなく、動物好き)、

「妊娠してるんだよ」と声をかけてみました。だって、ほら、

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ね?

「あ、そうなんだー?」と、なんだか奇妙な発音の英語で、返事が返ってきました。どこのご出身かとたずねると、パスポートはアメリカなんだそうで。でも、生まれはロシア。18才の時に、ご一家はアメリカに移住。それから8年。

四方山話をしているうちに、どんな作家が好き?なんていう話になり、「あなたの国の作家だよ。ドストエフスキー」と言ったら、

「まったくもー。誰と話していても、ロシア出身だって言うと、すぐにドストエフスキーの話になるんだ。いやんなっちゃうよ。ドストエフスキーのどこがいいんだよ」

と、口をとがらせている。

「いや~、ドストエフスキーのどこがいいかなんて、あまりに深すぎて、わからないよ。勉強中ということにしておいて!でも、外国人だけでなく、ロシアの人たちだって、彼の作品を好きでしょう?」と言ったら、

「いやいや。ロシアの作家と言えば、プーシキン!」

と、キッパリ!あ、やっぱりそうなんですね。何と言ってもプーシキン!国民詩人だもんね。

ドストエフスキーは高校の国語の時間に課題で「罪と罰」を読まされたという、日本の高校生と同じような不幸な出会いをしてしまった。一方、プーシキンは子供の頃から暗唱し、歌のように親しんでいるわけで、そこで差がついてしまったんですね。

「プーシキンの肖像画を見たこと、ある?」なんて聞く。

「う~ん。記憶にないなあ。なぜ?」
「プーシキンの母方の曾祖父はエチオピアの皇太子で、ピョートル大帝がロシアに連れて来て、爵位を与えたんだよ。つまり、プーシキンは何分の1だか黒人なんだ。肖像画を見れば、なるほど、と思うかもしれない」

へー、と感心していたら、

「でも、ロシア人はダメだよ。21世紀になっても、まだ詩なんか読んでるんだから」
「えっ。でも、そこがすばらしいって、日本の文芸評論家なんかは感激しているよ」

ダメダメ。去年、モスクワに帰ったんだけどさ。つまんないったら、ないんだ。面白いものなんて、全然ないよ。アメリカでは、テクノロジーにしたってスピリチュアルにしたって、最先端の本がいっぱい出てるのに、モスクワの本屋には詩の本が山積みなんだぜ。

磁力でエネルギーを作るっていう説に興味があって、そういう本を探したんだけど、全然見つからないんだよなあ。

「あー。じゃあ、アメリカの方がいいんだね?あなたにとっては?」

アメリカかあ・・。ハア(吐息)。アメリカは良い国になる可能性があったんだろうな、きっと。でも、どこかで間違えちゃって・・。アメリカで暮らすのは大変だよ。食べてゆくだけでも・・。

そんなわけで、今はインドに来ている、ということのようでした。彼の今後の人生には、ちょっと厳しい雰囲気が漂っていましたが、最後に、

「でも、プーシキンは好き?」と聞いたら、

「そりゃあそうさ!プーシキンは最高!」

と答える口調は明解だったので、彼も多くのロシア同胞と同じく、プーシキンを小脇に抱え、人生の大波小波をくぐり抜けて行くのでしょう。

付記:そう言えば、まだプーシキンの肖像画を確認していなかったことに気づき、ネットで探してみました。こんな容貌だったんですね。

Pushkin

言われてみれば、ちょっと黒人っぽい?ブラザーって感じ?曾祖父だからねえ。チト遠い。

十代ですでに才能を認められ、しかし時の政府に楯突く急進派として田舎に島流しにされた末、最後は妻の名誉をめぐる決闘(なんと!)で負った怪我が元で、30代の若さで夭折するという、小説の主人公にしたらマンガのようだと批判されそうな一生でした。

インド旅行2008 (41):聖俗渾然の町ゴカルナ

ムンバイから南へ延びる西海岸はコンカンと呼ばれています。その中でも観光客の間で大人気の一大観光地がゴア。ここに行っても良かったのだけれど、数十年前のヒッピー時代ならまだしも、今ではヨーロッパの都市からゴアまで直行便が飛び、パッケージツアー客が訪れるという味気ないことになっている。

そこで、もう少し南の、ここゴカルナにやって来ました。ちょっと不思議な町(広さから言えば、実は村ぐらい)なんですよ。

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町中はこんな感じで、一見すると普通の町ですね(定番の牛もいるし・・)。でも、左の方で自転車を押しているおじさんに注目。なんだか着衣が宗教っぽくないですか?

こんな腰巻き姿の方が通りを行き交っています。実は巡礼の皆さん。ゴカルナはインド全土で有数のヒンドゥ教の聖地。シバ神がこの地で牛の耳から誕生したと言われています。ゴカルナという名も、「牛の耳」という意味なのだとか。

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このマハバレシュワール寺院が最も有名ですが、ほかにも寺院(ちなみに、ヒンドゥ教徒以外は寺院内には入れません)や秘蹟などがあり、インド各地から巡礼が訪れます。

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これは年に一度の大祭のときに町を練り歩く山車。

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お地蔵さんのような像に寄進をする女性。とまあこんな風に、あてもなく散策すると、あちらこちらで敬虔な信者の皆さんが熱心に祈る姿に出会うような町なのです。

でも、ゴカルナにはもうひとつ財産がある。それはビーチ。町を出て、汗をかきかき20分ほど歩くと、とても静かで美しい海岸に出ます。そこから先にも、いくつか小さな湾のような海岸があり、ゴアにうんざりしたネオヒッピーの皆さんが数年前に、ここに目をつけた。

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噂が口コミで広まり、今では、観光地化したゴアに嫌気がさしたり、高級ホテルに泊まるお金がない貧乏旅行者(私のことですな、こりゃ)や、警察の目(と言うよりも、警察官にワイロをせびられること)を嫌うクスリ愛好家が、ポツポツこちらに集まるようになっています。

てなわけで、この聖なる地を、こともあろうにドレッドヘアーに怪しげな目つきの兄ちゃんや、もうちょっとでオッパイがポロリのいでたちの姉ちゃんが、巡礼の皆さんに混じり、闊歩するようになってしまったのであります。

Gokarna01095 そこで、寺院の外壁には、こんな警告が掲げられたりしますね。「肌を露出するような服装は控えるように」というわけです。

でも、なにしろ欧州各地からパッケージツアーでゴアに押しかけるおじさんおばさん達に気圧され、スタコラ逃げ出すような若者たちなので、メッ!と叱られそうな格好をしたり、クスリをやってトロリンとしている程度で、無害なのでしょうね。たぶん。排斥運動が起きるほどのこともなく、まあまあ平和裡に事は推移しているようでした。

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聖なる池で、巡礼の皆さんは沐浴です。

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かと思うと、こんなオッシャレーな、英語の本をたくさん置いた本屋さんもある。

Gokarna01099_2 外国人向けに、バナナ入りのパランタもメニューに入っています。

ビーチのレストランでこれを食べていたら、オーストラリアから来ていた女性2人に声をかけられました。

ムームーかと思うようなベロ~ンとした服を着て、ちょっとまだらに日焼けして、髪はボサボサで、年齢不詳ですが、顔のたるみ具合からして、40の坂は越えていると見た。長く滞在しているようで、レイドバックしきった状態。こういう方たちの典型で、とても性格が良く、「写真撮ってあげるう~」と言っては(口調はやや・・ラリっている・・かな?)、けっこうアングルに凝りつつ、海を背景に私を撮影してくれて、「ご飯食べなさいよお~」と言っては、おごってくれて。ドモドモ。

こんな皆さんがのんびり過ごせる町というわけで、ゴカルナいいとこ一度はおいで、ですよ。ホント。

インド旅行2008 (40):マンガロール経由ゴカルナへ

マイソールから夜行で、いよいよ念願のこの路線に乗ります。

運良く、いちばん端の座席で、しかも上の段は空いていたので、ちょっと個室みたいな感じ。もう真夜中だから、もうろうとしつつ、ベッドに倒れ込み、ゴワーと爆睡。

4月5日(土)

予定通り5時に早起きして、ドアのところから風景を見ようかなと思ったら、先客がいました。20才くらいの青年。

あ、そうそう。日本の電車に乗り慣れていると意外かもしれませんが、インドの列車は自動ドアではなく、簡単に開けられます。「そんな危険な!」と言われれば、確かに危険なんですが、ま、ま、そう堅いことは言わないで。

そんなわけで、この時も、先客の彼は大きくドアを開けていたので、私もその横で外の景色を眺めることにしました。

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この路線は西ガーツ山脈の山中から海側へ下って行くので、最初は左のような山の光景で、だんだんに右のような、いかにも南国の海べりらしい光景に変化して行きます。変哲もない風景と言えばそれまでですが、なにしろ動くので、飽きないんですよ。途中で何か障害物でもあったのか、ちょっと停車したら、こんなことが。

Train12262

これ、たぶん車掌さんなんかじゃなくて、普通の乗客。インドでは、列車が途中で止まると、「なんだなんだ?」というわけで、乗客が降りて様子を見ようとするなんていうのは、日常茶飯事。それも、ほんの数分でそれをやる。

私は1時間足らずで席に戻ったのですが、例の青年はその後もずーっと、その場を離れなかったようです。口元と目元にかすかに笑みを浮かべ、目の前を流れる風景を見つめていたので、よほど気に入ったみたい。

次は、マンガロールから海岸沿いに北上し、ゴカルナという巡礼が訪れる聖地まで行きます。列車の便がないので、今度はバス。

Bus1226

こんな感じで、ヤシ林の間を抜けて6時間。そこで別のバスに乗り換えて、ようやく夕方にゴカルナ到着。ちょっと豪華に、町外れのリゾートに宿泊しようかと予定していたのですが、なんと、この日は週末と祝日が重なり、リゾートは満杯。リゾートの前の車道には大型観光バスが何台も停まり、海岸は家族連れや若者たちでごった返している。

そこの近くの安宿を見たら、思わず腰が引けてしまう汚さ。それに、白人の宿泊客たちは、男女を問わず、よれよれの風体で、明らかにクスリをやっている目つきだし、これはたまらんということで、町中に戻り、ガイドブックにあった宿へ。

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現れた女主人に部屋を見せてもらうと、ピカピカにきれいで広くて、バストイレもベランダもついて600ルピー(1500円ぐらい)というので、「あ、じゃあこれで」と言ったら、

「もうひとつ、広い部屋があるよ」
「ううん。これで・・」
「800ルピー」
「こっちで・・」
「テレビがあるよ」

商売がうまい!

久しぶりに、お菓子をモゴモゴほおばりつつ、ホームドラマを見て、インドのお茶の間気分を満喫してしまいました。

インド旅行2008 (39):お腹と脳みそに栄養補給

夜行に乗る前に腹ごしらえということで、Indra Cafe's Paras というマイソールの庶民に人気のレストランへ。1階が満席だったので2階へ上る途中でパチリ。

Indiracafe1125

話は違いますが、この写真でもわかるように、マイソールのような地方都市になると、ムンバイのような大都会と違い、やはり今でも成人女性の装いはサリーが多いんですよね。

さて、食事の方はどうかと言えば、2階に行って、夫婦連れとカナダ人男性が座ったテーブルに椅子が1つ空いていたので、そこに割り込ませてもらいました。ところが、私が注文しようとしたメニューは7時以降で、まだ時刻が早くて軽食しかできないとのこと。

「あ~、どうしようかなあ」と言ったら、夫婦もカナダ人も、「それ、おいしいのに、残念だなあ」と言うのです。3人そろってそう言うのなら間違いなし!というわけで、

「よし!近所で時間をつぶして、7時にまた来る!」と宣言したら、3人とも、「よしよし」とニコニコ顔。

外に出て、間口が一間だか半間だかで、裸電球がぶら下がった小さい店が並ぶ小道を歩いていたら、本屋にぶつかりました。Sauharda Bookstore。本屋と言っても、日本の田舎と同じで(私が住んでいる町の本屋も同じ)、文房具屋さんを兼ねていて、ボールペンやノートの横に、本が積み上げてある。

Intheshadowofthesun1124 どうせ時間をつぶすだけだし、土地の文字で書かれたものは読めないのだし、英語の本といえばコンピュータ言語のテキストか教科書だろうと思いながら、ぼおっと狭い店の中を見回していたら、英語の本がありました。

それも土地の作家の作品ではなく、ベンガル語で書かれた作品の英訳です。ペラペラめくってみると短編集で、読みやすそう。表紙も気に入ったので(日の丸弁当みたいでしょ。この時、お腹が空いていたからねえ。それで魅力的に見えたのか?)、たとえつまらなくても、おみやげだと思えばいいや、というわけで、購入。295ルピー。

そんなことをしているうちに時間になったので、Indra Cafe's Paras に戻り、食べたかったミールスを注文。

Indiracafethali1125

これ、評判にたがわず、さっぱり味で旨かった!チャパティが焼きたて!待った甲斐があったというものです。

インド旅行2008 (38):鉄道博物館

Sunset1124

4月4日(金)

さて、テンヤワンヤのサファリも終わり、こんな夕陽を眺めた翌朝、国立公園にさようなら。ちょうどうまく、前日に客を乗せてきたタクシーがあり、その時に迎えを頼んでおいたので、帰りは新しい車で故障もなく、するするとマイソールまで戻りました。迎えに来てもらったし、車もいいし、ちょっと高いかなと思ったら、1500ルピーで、行きの爺さんのアンバサダーとほとんど変わらなかった。

Eyes1124 夜行列車まで半日、時間があるので、マイソールの町をブラブラ。

これはビックリ。眼医者さんかしら。

マイソールでアーユルベーダの治療(と言うのかな?施術?)を受けようと計画していて、ガイドブックに書いてあったところに行こうとしたら、オートリクショーのドライバーが、その場所を知らない。

後から来たオートの人に聞いてみても、やっぱりわからない。住所を言うと、「まあ、その辺ならわかるけどお・・」という、まことに心許ない返事で、しかも、普通の3倍ぐらいの料金をふっかけてきた。

こっちはもうイライラしているので、交渉する気もなくなり、ふざけるな!というわけで、行くのはとりやめ!

でも、そのおかげで、いいところを見学できたのであります。道沿いにあった鉄道博物館(10ルピー)。昔の列車の複製車両が置いてあったり、インド鉄道(南部)の歴史の説明があったり、楽しい。

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上の上段左端の絵が面白いのよ。

Railmuseum1124

馬に騎乗した係官が前方を走り、前に石などの障害物がないことを確認していたんでしょうね。旗を振って、「機関車が来るぞー。気をつけろー」という前触れもしていたのかも。

Mysorestreet1124 マイソールはアシュタンガヨガの本場として世界的に有名になりつつある。しかも、大都市バンガロールから2時間ちょっと。それなのに、不思議にのんびりした、暮らしやすそうなところです。

インドの地方都市は、ここのところのインド経済の急成長に伴い、あまりに急速に進んだ都市化のせいで、アウランガバードのように、排気ガスまみれで環境汚染の巣窟になってしまったところが多いのだけれど、ここは珍しく、いい感じ。

インド旅行2008 (37):インド人と英語

オフィスそのままがインド人と会話を交わすときに使う言葉は英語。ビッグゼロの爺さまのように、普通のおじさんでも英語を話します。インド人ってすごいなーと思う人もいるかもしれませんが、実はインド人にとり、英語を話すのはさほどすごいことではない。

なぜかというと、インドは多言語国家だから。英国から印パに分離して独立した時点で、使用する言語にほぼ沿って州を作ったので、だいたい州ごとに言葉が違う。似た言葉もあるのですが、南部タミルナドゥ州の言語であるタミル語などは、ヒンディ語と全く違うドラヴィダ語族に分類される言語。南インドで神様のようにあがめられる大スター、ラジニカーント主演の「ムトゥ躍るマハラジャ」という映画でも、知らぬ間に州境を越えてしまい、言葉が通じなくなる場面がありましたね。

これで1つの国にしようというのだから、そもそも、ものすごーく無理がある。でも、その無理を承知で国にしたので、とりあえず公用語を定めました。それがヒンディ語なのですが、ま、容易に想像がつくように、北のデリーに対する他の地方からの反発があり、ヒンディ語を話したがらない人が大勢いる。その上、英国の植民地だったので、高等教育は英語で行われていたという歴史がある。というわけで、英語はいわば第二の公用語です。

Monsoonwedding1114 中産階級以上の家庭では、半分ぐらい英語で会話していますよ。モンスーン・ウェディングという映画を見ると、そのあたりがよくわかります。英語の字幕が出るところだけヒンディ語で、あとは英語なのね。

それに、言語が違う男女が結婚することだって、当然、あるでしょ?例えばサファリで同じグループになった若夫婦。女性はマラヤーラム語という言語を話す南インドのケーララ州出身。男性はベンガル語を話す北東インドの西ベンガル州出身。この2人がムンバイで出会いました(たぶん職場結婚)。こうなればもう、100%英語で話す以外、会話の手だてがありません。

英語が公用語?!文化侵略!けしからん!英語使用撤廃!な~んて言うのは、フランスや日本のような、ほぼ一言語しか使ったことのない国の人間。インド人はそんなケツの穴の小さいことは言わない。文化って、そんなヤワなもんじゃないもんね。逆にインドっぽい英語に変えてしまった!シンガポールもそうだよね。シンガポールの英語はシングリッシュとか言われてるでしょ?

インド旅行2008 (36):雨に濡れるタスカー

客が飽きないように(特に子供!)、四輪駆動での陸上サファリに加え、湖上サファリもあります。船に乗って湖を横断し、湖上から岸辺を訪れる動物を見るというもの。

ところがこの日は、乗船時点からどんより曇り空で、いずれ一雨来るなあ、という天気。風はないけれど、気温が下がってきて、ウの群れも寒々と見えます。

Lake1016

やがて風が強まり、ポツッ、ポツッと雨滴が水面を打ったと思ったら、あっという間に雨脚が強まり、横殴りに船内にまで吹き込むというひどい状態に。雨に備えて船内に傘が用意してあったので、いちばん外側に座った人たちが外に向けて傘を開き、必死で雨を防いだりして。

今日はもう引き返すのかなあと思ったのですが、その気配はなく、船はどんどん湖上を進みます。私の隣に座った奥さまも同じことを考えたらしく、「こんなひどい雨で、動物が見られるのかしら。ねええ?」なんて言っている。

でも、例の大家族は、雨が降れば降ったで、またそれも面白いじゃないかという、徹底したポジティブシンキ~ング!じいさまの3人息子の中で、エンジニアをしている末っ子一人だけがまだ独身。この方、どうやら甥や姪に大人気の「愉快なおじさん」という役回りらしく、この時も、傘を振りながらインド映画の歌らしきものをフリつきで歌い、その回りで子供たちも跳ね回り、キーキー大騒ぎ。

そんなわけで、決して意気消沈という雰囲気ではなかったのですが、なにしろ雨で体が濡れるし、寒いし、隣の奥さまの言葉に相づちを打ちたくなるような気分。

そんな中、前方に岸が見え、そこに・・

こういうオスはタスカーと呼ばれます。大きな tusk(牙)を持っているので tusker。この後、岸に生えた木の枝を鼻で折り、葉っぱを食べていました。

水面を打つ雨音がすごいでしょう。最後の方で雷も鳴っています。

もう1頭。

インド旅行2008 (35):ビッグ・ゼロ

Kabini1014 ここカビニ・リバー・ロッジには数棟の宿泊施設があり、新しい建物もあるのですが、私は昔からあるものを改築した建物に泊まったので、部屋の前にベランダ(そもそもベランダという言葉自体、ヒンディー語が語源)があり、こんな風に椅子とテーブルが並び、ここでお茶したり、本を読んだり、宿泊客の間で交流したり、まったりできます。

隣の数部屋に、バンガロール近郊からやって来た大家族が宿泊していまして、60代とおぼしき老夫婦に息子3人、嫁2人、孫たちがウジャウジャ。にぎやかな人たちで、とにかく一瞬でもじっとしていない!庭でなんだかゲームをやって遊んでいたかと思ったら、次に見たときにはベランダでトランプ。時々、会話に英語が入るので、単ににぎやかなだけでなく、面白いことを言い合っているのだということもわかりました。楽しくて仲の良い家族。

昼ご飯の後、そのご一家の長であるジイさま(と言ったって、私とたいして歳は違わないけどさ)とおしゃべり。白髪頭はだいぶ薄くなっていますが、目つきは鋭く、いかにも長年、商売をしてきて、ようやく息子たちに代替わりして、悠々自適の生活という感じです。まあ、例によって日本のことをいろいろ聞かれ、政治の話になったので、今回の旅行の途中でラフール・ガンディの遊説に行き会った話をしたら、ジイさまはちょっとピキッとして姿勢を正し、小鼻を膨らませると、ゆーっくり両手を上げ、頭の上で環を作るのです。

「は?そ、それは?」(まさか禅問答じゃないよな?)
「ビ~~~~ッグ・ゼロ!」

ムムム・・その心は?(やっぱり禅問答なの?)

「あの若造はゼロなんだよ。あるのはガンディという名前だけ。中身はカラッポなんだ!」

あ、そ、そういうことですか。そっか。ジイさまはガンディのコングレス(国民会議派)ではなく、BJP(インド人民党)の支持者なんですね。BJPというのはヒンドゥ至上主義を掲げる政党で、政教分離を標榜してはいるものの、イスラム排斥という姿勢が強硬にある。そんなことが脳裏をかすめたせいか、ジイさまは私の表情に何か批判めいたものを読み取ったらしい。

身を乗り出すと、

「別にヒンドゥだイスラムだと言うんじゃないんだ。わしは宗教や人種に関する偏見は持ってないよ。あんたとこうやって楽しく話をしているだろ?ただ、何十年もコングレスが政治を操ってきて、そこらじゅう汚職だらけじゃないか。ラフールの遊説だって、1人に200ルピーすつやって、貧乏人を駆り集めてるんだぞ!」

ますますブワーっと小鼻を膨らませると、丸まっちい指を2本、私の目の前にぐいと突き立てるのでありました。

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