ユカタン+キューバ旅行2016

26. 革命防衛委員会

お昼で鳥見が終わり、あとはまたしても、のんびり時間。この標識によれば、村の名前はCaletón(カレトン)というのかな?

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下の板には「自然をたいせつに」、「浜をきれいに」、「火の用心」、「水を汚さない」、「ペットは家に置いてくる」、「ごみはゴミ箱に」という、道徳的標語が並びます。

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こちらは CDR という組織の第21地区の案内板。CDR の正式名は Los Comités de Defensa de la Revolución で、その意味は「革命防衛委員会」。はあ?まさか隣近所でお互いを監視し合う組織?「不満分子」を役所にチクる?なんて疑ってしまうよね。現状は町内会に近い役割を果たす組織のようで、1960年創設時、まさに革命を防衛しなければ、とピリピリしていた当時(コチノス湾事件は1961年)の名称をそのまま変えていないせいで、こういうことになる。「革命を叫ぶときだ」という上の板の標語も、当時から変わっていないような・・・。

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ま、今もこの写真のように、「戦い続けるぞ」「連帯、警戒、戦い」を掲げているわけですが(その割には CDR のロゴマークがおちゃらけすぎ・・)。すべてのメディアが「大本営発表」だしね。新聞は対象読者層が違うだけで、報道内容は全部同じ。テレビ局5チャンネルは全部国営です。で、表向きはこういう「革命精神」的な標語で溢れていて、しかも、それが単なる上からの押し付けだけでなく、実際、普通の人たちも、こういう言葉を口にするのです。

でも、多くの国民にとって現実に重要なのは、言うまでもなく、「生活」です。この長い「特別な時代」に、苦しさのあまり危険を犯して国を離れた人たちもいた。今、キューバに残っているのは、「自分たちは革命を成就させた誇り高い国民なんだ」という「腐っても鯛」精神で歯を食いしばりつつ、裏の「副業」で生活費を稼いだり、政府や共産党にコネがあったり、まあ、なんやかんやで食いつないできた逞しい人たちです。

だから、個人で事業を営むことや不動産を所有することが可能になり、ハバナが美しい姿で復活し、カナダや欧米から観光客が押し寄せる今、宿のおかみさんのように、バリバリ働いて金儲けにいそしむ人が出てくるのは当然でしょう。これまで封印されてきた商売人としての能力が花開いた例もあるし、最先端の有機農法を取り入れて栽培した作物を自由市場で売って成功している農協もあります。

では、共産主義を捨てて100%自由競争にすることに国民が賛成しているかといえば、そう単純にはいかない。

「大本営発表」では、世界の先進国といわれる国で、貧しい人たちがどんな生活を強いられているか、どれだけ暴力がはびこり、弱者がないがしろにされ、わずかな数の富裕層に富が集中しているかという点を、これでもか!というほどしつこく強調するわけ。実際、誇張しているとはいえ、それが先進経済圏の一面であることは否定できないしね。この「革命を成功させた、おらが国」に、そんな方向へ向かってほしくない。完全無償の教育と医療、組織犯罪のない安全な社会、これを手放すようなことをしたら、これまで我慢してきた甲斐がないってもんでしょ。

一方、では、その質はどうかといえば、高度先進医療の技術は高い。ガンも心臓病も治せる。でも、子どもが下痢した~、熱が出た~、怪我した~ぐらいでは、だれも病院に行かないみたいよ。医師も看護師も足りなくて、治療を受けられないから。二重通貨制度のせいで、ウェイターやウェイトレスが外国人観光客から受け取るチップだけでも、看護師の給与の数倍だもの。人手不足に加え、薬も足りない。包帯も、注射針も、消毒液も足りない。教師を辞めて民宿経営という例も何度か耳にしました。

というわけで、今、難しいところへ来ています。ソ連邦崩壊後に外貨獲得を目的として「一時的に」導入された「一国二通貨」という、この異例な措置を、政府はなかなか解消できなかったのですが、2013年に「統一」という方針が確認されました。その後、2015年半ばに、年内に通貨統一かという観測が流れたのですが、私が旅行した2016年4月にも、そして現在、2017年8月にも、まだ実現していません。

その間、政府は CUP で給与を受け取っていて不満が膨らむ層に、ボーナスは CUC で支払うなどの、まあ、こう言っちゃなんですが、「その場しのぎ」の給付を行っているようです。「もうちょっと辛抱してくれ」と言いたいのでしょうが、庶民は「いつまで辛抱すればいいんだ!」という感じ。それに、皮肉なことですが、経済改革の始まりまでは辛抱できた。でも、改革がいったん始まったからこそ、「遅い!」というジリジリ感が出てくるのかも。

さて、宿までの道の途中にある Tiki Bahía de Cochinos というレストランで昼食。ここも食材が新鮮なのが魅力。味付けはいま一つだけど。

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海で泳いで、木陰でちょっと昼寝。

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夕暮れの浜を撮影。

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25. サパタ湿地国立公園でバードウォッチング

4月11日(月)

ここに来たのは、ボチャボチャ海水浴したりスノーケリングしたりするためではありません。目的はバードウォッチング。

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コチノス湾の西にサパタ湿地国立公園(地図で緑色の部分)という広大な湿地自然保護区があり、バードウォッチングの名所なのです。ちなみにサパタ(zapata)はスペイン語で「靴」という意味。名前の由来は形を見ればわかるね。

朝8時に国立公園(入場料10 CUC)の管理事務所が開くので、そこでコース(海岸とか森とか)を決め、ガイド(15 CUC)と鳥見を開始するポイントまでのタクシーの手配をするという段取りになっている。フラミンゴなどの冬に飛来する水辺の鳥は、ほとんど北に帰ってしまったというので、森の中を歩く2時間のコースを選び、同じコースを選んだカップルとタクシー代を割り勘にすることにして、いったん宿に戻り、朝食を取ってから、約束の10時に事務所に戻りました。

ところが、そのカップルがキャンセルしたとのこと。え~!私一人でタクシー代を払うの~?とガックリしていたら、職員のおじさんがドイツ人の中年夫婦を連れてきてくれました。この方たちはレンタカーを自分で運転して来ているので、タクシーはいらない。ラッキー。

でも、英語を話せないガイドしか残っておらず、ご夫婦は旅行用語しかスペイン語を知らない。大丈夫かしら?ということになったら、おじさんが

「ダイジョブ!この人がスペイン語話せるから、通訳してくれるよ」

・・・・って、「この人」というのは、ええええっ!?私のことか?冗談じゃないよと慌てて、「ちょっとわかるだけだよ!通訳なんて、できないよっ!」と、おじさんに盛大に抗議したら、

「ほらほら!スペイン語、できるでしょ!ダイジョブ!」

ううううう~ん。冷や汗がタラリ。でも、ご夫婦はニコニコして、いいね!という感じ。ま、いいか。

実際には、ガイド氏はすごいベテランで、鳥を見つけるのが抜群にうまいだけでなく、ポインターで鳥がいる箇所を照らしてくれるし、スマホに鳥の英語版識別図鑑をダウンロードしてあって、それを見せてくれるし、英語が話せないことは全く問題ありませんでした。

それでも、林の中を抜ける道を車で走りながらの会話は、僭越ながら私が通訳いたしまして。

北部沿岸に Varadero(バラデーロ)という冬にカナダ人や欧州人が大挙して押し寄せるリゾート地があるのですが、ご夫婦はドイツからリゾート宿泊と航空券のお得なセットを利用して来たとのこと。そこでレンタカーを借り、この南部沿岸まで足を伸ばしたという次第。

キューバは暑いけど過ごしやすいというお二人の意見に大いに同意です。汗をかかないし、エアコンが欲しいと一度も感じない。ガイド氏に夏はどうなのか聞いたら、一年中あまり変わらないのだそうです。

さて、有能なガイド氏のおかげで、鳥をたくさん見られて、大満足の鳥見だったのだ。たくさん見たのですが、ちょっと自慢しちゃいたい鳥だけ、ご紹介します。

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キューバキヌバネドリ(Priotelus temnurus)というキューバの固有種。キューバの国鳥でもあります。ほら、色が青白赤で、キューバの国旗と同じでしょ。これは絶対に見たかった。

さえずりが可憐ね。

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そしてこれが今回の旅行の目玉!マメハチドリ(Mellisuga helenae)という世界最小、最軽量の鳥です。キューバ固有種。体長5~6センチ、体重2~3グラム。キューバでは zunzuncito(スンスンシート)という可愛い名前で呼ばれています。ひどい写真ですが、なにしろハチとあまり変わらない大きさなので、普通のカメラで撮るのは無理。フレームに入っただけで良しとしましょう。双眼鏡でちゃんと観察できたからね。とっても可愛いのよ。

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キューバスズメフクロウ(Glaucidium siju)。これも固有種。

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ガイド氏が木の下の方をトントンと叩くと、「なんか用?」と、巣穴の中のヒナが顔を見せてくれました。もうだいぶ大きかった。

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マユグロシマセガラ(Melanerpes superciliaris)。この辺で calpintero(カルピンテロ。キツツキという意味)と言えば、これのこと。

ただで車に乗せてもらっては悪いし、最後にご夫婦に「ガソリン代だけでも」と言ったのですが、お金を受け取ってくれないので、招き猫の模様の未使用のハンカチを進呈しました。こういうときのために、旅行にはハンカチとか手ぬぐいとか、未使用で日本的な模様のものを持ってゆくようにしているのだ。すごく喜んでくれて、良かったー。

24. コチノス湾事件

これは宿の前の浜。タオルとスノーケルだけ持って裸足で浜へ行って、ボチャボチャ泳いだり、潜ったりできて、便利だよ。

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この海岸は Bahia de Cochinos(バイア・デ・コチノス)という湾に面しています。ここ、実はキューバ国民なら知らぬものはないコチノス湾事件という戦闘の現場だったんですよ。cochinos は豚という単語の複数形なので、そのまま訳せば豚湾ですが、さすがにそれでは語感がよろしくないので、日本ではコチノスなどの名前で呼ばれます(Wikipedia の記事では英訳した名前をカタカナ書きしたピッグ「ス」湾になっていますが、それを言うならピッグ「ズ」でしょ)。

詳しくはこちらに説明がありますが、簡単にいえば、1961年に米ケネディ政権がキューバのカストロ政権転覆を図り、この湾の入り口にあたる Playa Giron(プラジャ・ヒロン)という海岸から上陸侵攻を決行したが失敗。上陸作戦の計画自体がずさんだったことはもちろん、それに先立つ情報戦で、CIA はカストロに全く歯が立たなかったと言われています。

村の中心までは宿から歩いて15分ぐらいで、そこで道はハバナからのバスが通る国道11号線とぶつかります。その ENTRONQUE(交差点)の標識というのが、もう~、なんでこうなるの?という代物で。

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戦車の上に書かれているのは「1961年4月18日、ヒロン浜での勝利に決定的な役割を果たす戦いがここで起きた」。それはいいとして、カニはなんなの?なんでカニ?

それはね、ここでは毎年4月頃に、周辺の森にいるカニたちが産卵のために海岸を目指して一斉に季節移動をすることで有名で、数百万匹のカニが道路をゾロゾロ横断するのです。その様子を土地の人たちは「毎年恒例のカニの襲来」と形容するわけ。それで、米国の侵攻作戦がちょうど4月だったし、「お前ら、カニか?」と、作戦をバカにしてみせたということですかね?

その横の広場には、こんな展示物(?)も。

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でも、この華々しい戦績は過去のもので、今はとにかく、のんびりする以外にすることがないだろ!という土地柄です。ヒロンの方はダイビング客が押しかけ、いかにも観光地らしいのですが、こちらはダイビングスポットまで遠いので、観光客も少なく、ゆったり。私はバードウォッチングに便利なので、ここを選んだのですが、楽しく遊びたい方はヒロンに宿をとった方がいいでしょう。

のんびりの象徴のような交通機関がこれ。

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貨物の運搬はこちらでどうぞ。トウモロコシの皮みたいなのをもらっていた。

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でも、こんな静かな海辺の村でも、商売っ気にあふれる人はギラギラしちゃってる。宿のおかみさんは、やる気満々!どうです!この自信にあふれる表情。元漁師の夫はもちろん、今も漁師をやっている息子も手伝い、一家総出で民宿経営。

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ハバナで泊まった宿の経営者と同じく、自宅は別のところにあり、この宿は純粋にビジネスです。浜に面したこの家を2年前に買い(詳しい法律はわかりませんが、今は不動産の所有が認められています)、最近、分割払いが終わった!やった~!宿泊費はハバナの民宿よりも安くて25 CUCですが、それにしたって、大変な収入です。小学校の先生の月給ぐらいだもん。どれだけ格差があるのか。

朝晩、ここでご飯を食べました(朝5 CUC、夜10 CUC)。メニューは好みの食材を頼めば、なにかしら作ってくれる。「こんなのがとれたけど、どう?」という魚もあるし、バカでかいフリーザーがあって、そこに肉も保存しているから、肉料理も頼める。

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生野菜とバナナチップの前菜。このハバネロはそれほど強烈ではなかった。

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スープ。

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主菜。

ご飯を食べていると、必ずやって来るのがいて。

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ご近所の子だって。

23. ハバナのフリーランサー

夕食はキューバの名物料理の一つである ropa vieja(古い服)を食べました。かなり期待していたのですが、要するに牛肉の野菜炒め!ハハハ。まずくはないな、ぐらいのものであった。レモネードとサラダも注文して、全部で21.00 CUC.。しつこいようで恐縮ですが、高いよなあ。

宿に帰ったら、ステファンとエリスが飛び出してきて、「ごめんね、ごめんね!」と、やたらにうろたえているので、どうしたのかと思ったら、私の部屋に付属しているバスルームで、男性2人がなにやら作業中。

そこに洗濯機が置いてあって、私が外出中に使用していたわけ。それが壊れた、と。私のあからさまに呆れた表情に(そもそも、客室付属のバスルームに設置してはダメでしょ。いくら民宿だからって)、2人はますますうろたえ、「すぐに終わるから、ちょっと待ってえ。居間でコーヒーでも?」。

居間で2人の結婚記念アルバムを見せてもらいました。プロの写真家を雇って撮影して、製本した30ページぐらいの立派なアルバム。しかも結婚式だけでなく、その後のハネムーンの写真も入っている。結婚式にはイタリアからステファンの家族や友人も来て、大騒ぎだった様子。ハネムーンは海岸のリゾートに行ったんだけど、エリスの家族も一緒。

そんなことをしているうちに作業終了。でも、作業員の若者の説明によれば、修理が完了したのではなく、足りない部品があるから、また明日。で、作業員とステファンのやり取りを聞いていると、販売店から派遣された修理専門の人ではない。2人が去った後で、「あの人たち、どういう人?フリーランス?」と聞いたら、

「キューバでは電気製品なんか作れないから、なんでも輸入なんだけど、金がないから安物しか買えないし、3ヵ月ぐらいで壊れて、修理する人がいないから、機械をいじれる学生なんかに頼むしかないんだよ」

でも、逆に言えば、学生だけでなく一般社会人も、こういう「フリーランス」の副業で収入を補って、なんとか生活しているのかな。なんていう話になり、詰まるところ、

「キューバ国民は政府の奴隷なんだよね。『お前はこれをやれ』、『お前はここに住め』って政府に命令されて、それに従うしかない。表向きはね。でも、それじゃ食べていけないから、裏でいろいろやるわけ」・・・だそうです。

寝る前に15分ぐらいの停電があり、室内にロウソクが用意してあったところを見ると、珍しくないものと思われます。技術を教育するところまではできるけど、実際のインフラ整備や家電製品の製造・保守など、まだまだみたいです。

4月10日(日)

さあっ!今日は海辺へ!と興奮したらしく、4時に覚醒してしまいました。長距離バスまでにまだ時間があったけど、5時前に宿を出て、まだ暗くて車も通っていない静かな Prado(例のライオン像がある大通り)をテクテク歩く。

これって、すごいことですよ。何がすごいかというと、夜明け前の通りを女性が1人で平気で歩けること。それほど安全なのよ。これも前日に宿の経営者夫婦が言っていたことなのですが、

「キューバでは政府や警察や軍隊が恐いから、悪いことはできないよ。犯罪組織を作ったのがバレたら、集まっているところに戦車が突っ込んできても不思議はない。逮捕されて拷問されて、親兄弟どころか親戚まで引っ張られる」

ウムムム。信憑性のほどは定かではありませんが、とりあえず安全である、と。そんなことを考えながら歩いているうちにタクシーが1台走っているのが見えたので、オオ~イと手を振ってつかまえ、20分で Viazul(ビアスル)という長距離バスの発着所に到着。

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もちろんこのバス会社も国営で、ネットで予約できます。韓国人の若者2人とオシャベリ。双方とも挨拶だけはお互いの言葉で言えたけど、そこから先は続かず、大笑い。あとは英語になりました。ダイビングが目的だそうで、大きな荷物を持っていた。

バスは満員ではなく、スムーズに走り、3時間ぐらいで Playa Larga(プラジャ・ラルガ。長い海岸という意味)に到着。

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泊まりたかった宿は満杯で、そこの経営者がどこかに電話して、やがて長身でガタイの良い60代ぐらいのオッサンが、上半身裸のパンツ一丁で登場。さっさと私の荷物を持って歩き出すので、ついていったら、こんな宿の経営者でした。Yola(ジョラ)と Erasmo(エラスモ)の夫婦で経営するCasa Sol y Mar(カーサ・ソル・イ・マール。太陽と海の家)。ドアの横にあるのが政府公認宿であるカサパティクラールのマーク。

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中を見せてもらったら、部屋も共同のスペースも、よーく掃除してあってピッカピカ!

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居心地よさそうでしょ。

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ここに決定!

22. ハバナの犬猫

観光の中心となる繁華街には高級ホテル、高級店がずらりと並ぶハバナですが、ほんの1本、道をはずれただけでもう、建物は軒並み、壁が剥がれ落ちた状態です。もちろん、人が住んでいるわけですが。

それでも、剥がれた壁を利用してアートにするという手もある。

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庶民が利用する市場はこちら。

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そばの公園では移動ペットショップ(?)で子犬を販売。

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どこから連れてきた犬なのか不明ですが、リードと首輪も売っているから、単なる思いつきの小遣い稼ぎではなく、まっとうな商売なんでしょうね。

ここで、そう言えば犬を連れた人を見かけないなあと気づきました。でも、こうやって販売しているのだから、飼い犬はいるんだよね。暑いから散歩しないのかな。交通量が多い都会だしね。

猫はいます。

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三毛もいた。珍しい。

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21. 墓地は野外彫刻美術館

4月9日(土)

宿の前の道路は水道工事中。ガンガンすごい騒音。私は昼間外出してしまうから気にならないけど。

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宿のベランダから見下ろしたら、もう水道管を敷設しているんだけど、素人目に見ても、ちょっと浅すぎないか、これ?

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水道を止められる家もあるので、給水車出動。

さて、今日は1周5 CUCで何度でも乗り降りできる観光客用の赤バスを利用します。前に載せた写真に写っていたね。

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ルートは3本です。これは海岸沿いを走り南へ行くルート。

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Plaza de la Revolucion(革命広場)前の停留所で降りると、内務省の建物の壁面に、初日にタクシーから見たゲバラとシエンフエゴスの肖像。

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Hasta la Victoria Siempre (勝利まで永遠に)は有名ですが・・・

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こちらの Vas bien, Fidel (それでいいよ、フィデル)の方は、ちょっと説明が必要でしょう。

革命成就後にフィデル・カストロが歓喜する民衆を前に大演説をしたとき、例によって例のごとく、すんごく長い演説だったのですが、カストロが途中で言葉を切って、そばにいた革命の同志カミロ・シエンフエゴスに ¿Voy bien, Camilo? (こんな感じでいいかな、カミロ?)とたずねた。それに対する答えがこれ。

革命の成功そのものを象徴する言葉として有名になりました。いかにも気心が知れた友人どうしのやり取りで、民衆の心をグッとつかんだのでしょう。でも実際には、シエンフエゴスはまだ20代で、人民の敵である悪玉政権を倒す戦い自体に夢中だったようで、もともと弁護士で、他人を手球に取ることもプロパガンダも得意中の得意、国家の指導者として野心満々だったカストロとの関係を友人どうしと呼ぶのは、ちょっと無理があるかもしれない。

その後、さらに南へ歩いて墓地へ。墓地と言ったって・・・

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こんなすごい建築物です(なぜ裏側から撮ったんだか・・)。でも、この門よりも、一つひとつのお墓が素晴らしい美術品なのであります。

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花も咲いているし。

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墓参に来ていた家族もいましたが、それ以外にはほとんど人もおらず、静かに鑑賞(というのも、ちょっと失礼な気がしますが)できます。墓標も興味深い。歴史上の人物の墓石もあります。愛犬の像もあったりして。ハバナへ来たら、博物館や美術館より、お墓が必見!

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門前のカフェで昼食。「CUC と CUP のどちらの貨幣もご利用いただけます」という表示。

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ここでは飲酒禁止。RON はラム酒という意味ですが、アルコール全体を指すと思われます。

別の停留所から、また赤バスに乗り、繁華街に戻りました。

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これは観光客がいちばん集中する通りにある高級ドラッグストア。薬局というにはオシャレすぎですな。

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ショーウインドウもこんなで、オーデコロンとかを宣伝している。

いちばんにぎやかな通りは車両通行止めになっていて、所々に大道芸人もいます。たとえば・・・

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彫像じゃないんですよ。

ちょうど、カマグエイという地方都市の民族舞踊団がハバナに来ていて、ミニパレード。

20. 夜を告げる大砲の儀式

いちおう小さい建物らしきものがある駅もありますが、プラットフォームとおぼしき長さ3~4メートルのコンクリートの塊があるだけの駅(?)もあり、そんな小さな駅でも人の乗り降りはあり、荷物の積み下ろしはあり、ガッタンガッタン電車は走り、1時間ほどでハーシー駅に到着。ここは観光客が来るので、小奇麗な駅舎が建てられていて、昔、製糖工場からハバナ港まで砂糖の輸送に利用していた車両が展示されていました。

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次の上り列車でトンボ返りするだけではつまらないなあと思って、ここから徒歩圏内にある Jardines de Hershey(ハーシー庭園)という、かつてハーシー一族が所有していた庭園を見学することにしました。だいたいの場所は調べてあったけれど、駅と庭園の位置関係が今ひとつだったので、途中で出会う人たちに聞きながら、炎天下の車道をテクテク。

途中の道端で見かけた、元は何かの製造工場だったとおぼしき建物。その壁面に描かれていたゲバラの肖像とお言葉。

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「大切なのは、我々が毎日、前の日よりも良い新しいものを生み出せることだ」

今は新しいものも何も生み出すことなく、丈高く茂る草に囲まれた廃屋です。ペンキがそれほど薄れていないので、操業を停止したのは比較的最近かも。

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庭園は鬱蒼と茂る森の間を散策する小道とレストランがあり、小川と池もあるので、休日に家族連れで来るといいような場所。この日も、子どもたちが池で泳いで遊んでいました。でも、観光客がこの庭園のためにわざわざ来るようなところではないなあ。馬がつながれているところをみると、どうやら乗馬のサービスもあるのかな?

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鳥も何種類か目撃。これはネットで調べたら、Turdus plumbeus(オジロツグミ)というカリブ海地域に分布するツグミの一種でした。赤い目と脚がかわいい。

駅に戻って切符を買おうとしたら、駅舎は無人。もう電車が来る時間なのに~と、私と他に2~3人がウロウロしているところへ、棒みたいに痩せた黒人の中年女性が道路を歩いてきて、その方が駅員さん(?)でした。切符は売ってくれたんだけど、「遅れてるから待って。いいですね!」とだけ言って、また、道路を歩いて行ってしまいました。あまりに遅れているので、いったん帰宅したのではないかな。

その後、待てど暮らせど電車の影も見えず。1時間以上して、ようやく到着。やれやれと乗り込んだら、途中の駅で、止まったまま動かず。乗客がザワザワしていたら、運転士と車掌が2人で、車両の屋根に上ったり、下に潜ったりしている。

えっ!作業員を呼ばなくていいのか?!なんてビックリしていたのは、外国人の私だけでした。20分ぐらいで応急措置は完了したようで、電車は走り出しました。でも、ホントにダイジョブなの~?

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こんな案配で、電車は遅れに遅れ、日が暮れてしまいました。車内が暗くなり、開け放されたドアと窓から吹き込む風を頬に感じ、乗客たちも自然に静かになる。一日を振り返る時間かな。インドの田舎の列車に乗っているみたい。日本の鉄道は好きだけど、こういう感覚はもう味わえないんだよなあ。

でも、いよいよカサブランカ駅に着いたら、そんな感傷にふけっている暇はない。宿の経営者夫婦から、ハバナの砦(モロ要塞 El Morro)で毎晩9時に、大砲を発砲する儀式の再現ショーがあるから、ぜひ行くといいよと勧められていたのです。

あわてて夜の道を走る。上り坂(!)。なんでいつもこういうことになってしまうのかなあ。

なんとか時間には間に合いましたが、もう観光客でごった返していて、よく見える場所は一杯でした。

こんなみなさんが登場して・・・

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こんな風に行われる。

最後はビックリ!ハハハッ。でも、これは面白かったよ。お勧めします。1時間前ぐらいに行って場所取りをするのがベスト。

19. Hershey(ハーシー)鉄道

4月8日(金)

今日はブラブラではなく、ちゃんと計画があります。電車に乗るのだ。蒸気機関車でもなければディーゼルでもない。インフラの欠乏甚だしいこのキューバに1本だけ、電車の路線があるのです!なんとか残った・・・と言うべきか。

昔、チョコレートメーカーのハーシーが東のマタンサス州からハバナ港まで砂糖を運ぶために敷設した全長約90キロの路線です。全線開通は1918年。トラック運送が主流になってからは、旅客輸送に使われています。インドの田舎の路線とよく似た、のんびりした単線。

隣の部屋に泊まっていた若者2人と一緒に、エスプレッソコーヒー(キューバのコーヒーは旨いよ)、パン、目玉焼き、果物(マンゴー、パイナップル、バナナ)の朝食。2人の会話がドイツ語のように聞こえるのだけれど、聞き取りにくいなあと思ったら、オーストリア人でした。「ドイツ語といっても、だいぶ違うでしょ?なまりがあるから」だそうです。2人は私と逆に、これから西へ行くとのこと。

さて、ハーシー鉄道の駅は外海からハバナ湾に入るためのアクセス運河を渡った向こう岸にあるので、フェリーに乗ります。

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ハバナ港の港湾施設。ボロボロですが、いい雰囲気。フェリー料金は CUC 料金ではなく、価値が25分の1の CUP(キューバでお金(moneda)と言えば、こちらのことです)で払うみたいだったのですが、はっきりしないし、まだ CUP を持っていないし、しかたなく1 CUC払いました。係員はお釣りくれなくて、知らんぷりして受け取っていたけどね。差額はその人のお財布に入ったのかな。さっさと CUP を手に入れないと。

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フェリーの船上。海風がそよそよ。運河を渡河するだけなので10分弱で向こう岸に到着しました。鉄道駅はすぐそばです。

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カサブランカ駅。ここから隣の県庁所在地のマタンサスまで全長約90キロ。運行は1日3往復。時刻表はありますが、「目安」程度にお考えいただくとよろしいかと思います。午前1本、午後2本と理解していれば、間違いないかと。私は終点のマタンサスまでは行かず、途中の正式名 Camilo Cienfuegos、通称 Hershey という駅で降りる予定。1.4 CUC。お釣りで CUP をもらえた。

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ゲージは日本では新幹線に使われている1,435 mmの標準軌で、かなり広く感じたなあ。

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運転席。

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優先席の表示。右側がスペイン語で、左側はカタルーニャ語。カタルーニャ語(カタラン語ともいう)はスペイン北東部の方言ですが、方言というよりは別の言語といった方がいいかもしれないほど、スペイン語とはかなり違う言語です。カタルーニャ地方のスペインからの独立運動がニュースになったりしますよね。カタルーニャ地方出身者の子孫がキューバにいるのでしょうが、言語はもう使われていないような?

特にアナウンスもなく、さりげなくススッと出発。キョロキョロしていたら、通路を挟んだお隣から「中国人?」と、声がかかりました。

白髪のおじいさん。この方(後でおやすみ中をこっそり撮影)ご自身がちょっとアジア系っぽい顔立ちです。

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それもそのはず。この方の祖父が広東出身。へえ~~~。

「で、あんたは中国のどこから?」
「いや、その東にある日本という国から来たんですけど」
「それは中国の何地方?」
「中国ではなくて、別の国で、陸続きではなくて、東にある島で・・」

ふ~ん、と理解したようだったのですが、

「言葉は中国のどの地方の言葉?広東語、話せる?」
「あ、いや、日本には日本の言葉があって、中国の言葉は話してないから・・」

これに、おじいさんはビックリした様子で、う~ん、と、ひとしきり考えた末、

「でも、どれかの言葉に似ている・・?」
「ぜんぜん似ていない。でも、字は中国からもらったよ」

これに、おじいさんはさらにビックリしてしまったようで、「も~ワシにはわからん」という表情。そりゃあそうでしょう。説明するのも難しい。これは話題を変えた方がいいなと思って、「ハーシー駅は何番目ぐらい?」と聞いたら、まだまだ途中に小さい駅がいっぱいあるとのこと。だいぶ時間がかかりそうでした。

キューバの電車は海沿いの野原の中をのんびり進むのであった。

18. いずこも世知辛い時代です

旧市街まで宿から歩いて10分ぐらい。ハバナの街を南北に貫く大通りは、車線を分ける分離帯が広く、良い散歩道になっています。左右に三越のライオンみたいのがいたりして。

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宿は海の近くなので、そこから南へ、革命博物館とか現代美術館とか、観光スポットに寄りながら、賑やかな旧市街の中心まで、テクテク。博物館・美術館の展示方法は旧式です。内容は面白いけどね。メキシコの博物館のような、鮮やかなデザインやトガッた美意識はなし。

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大聖堂とその前の広場。

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ちょっとコーヒー休憩。どこも改装されて、きれいになっているのが良し悪しで、飲み食いするところが清潔なのは結構なことですが、雰囲気はねえ~。ないですね。まあ、良くも悪くも観光地です。

Lunch170721

夕食。まあまあだったけど、今ひとつピリッとしなかった。舌がメキシコの食事に慣れてしまったのかも。この前に「お通し」みたいな感じでバナナチップがついて、飲み物を頼んで、全部で9.0 CUC。900円ぐらいだから、日本とあまり変わらない。とにかく、キューバ観光を安く上げるのは無理。中南米を旅行した後でキューバに寄る場合、気持ちの切り替えが必要ですよ。

宿に戻って、カサパティクラールの経営者夫婦とおしゃべり。イタリア人男性のステファノとキューバ人女性のエリスのカップルです。ステファノは英語ができるので(ちなみに、そもそもイタリア語とスペイン語はとてもよく似ているので、スペイン語はすぐにできるようになったそうで)、スペイン語と英語のチャンポンでね。

彼女の知り合いからアパートを借りて経営していて、自宅は別にあり、小さな女の子が1人います。夜間など、自分たちが来られないときは、彼女の両親のどちらかが手伝いに来ていました。

ステファノはイタリアで携帯電話会社の中間管理職だったのですが、このご時世で、リストラの嵐が吹き荒れ、どんどん社員が減ってゆく。となれば勢い、残った社員がモーレツに働かされ、会社から持たされた携帯に土日でもバンバン電話がかかってきて、全然休めない。激務にヘトヘトになりながらも、今ここで辞めたらもう次の職は見つからないという恐怖心で、なんとか頑張っていましたが、結局は彼も肩を叩かれる日がやってきました。

リストラの条件として、次の職を紹介してくれることになっていたのですが、その新しい職では、給与が前の会社のほぼ半分。以前に出張で行ったキューバで出会ったエリスとメール友だちになっていたので、メールでいろいろ愚痴を聞いてもらっているうちに、

「もうキューバに来ちゃいなよ!」
「ええ~。どうやって食っていくんだよお。だいいち、キューバに住むなんて無理だろ」
「なんとかなるよ。私と結婚すればいいじゃん」
「はあああああ~~~~?」

ビックリ仰天の展開で、でも、どうにかなってしまったんだそうです。この宿も、客室はたった2部屋だけど、宿帳を見たら、ビッシリ予約が入っているし。

この夫婦もそうだけど、なにしろ国民全員が「特別な時代」を乗り越えてきたわけですから、命がけで国外に脱出するか、さもなければ「なんとかする」しかないわけ。だから、キューバ人は「なんとかする」ことの名人です。

追記:ステファノ自身はキューバに移住したことをどう評価しているのかというと、イタリアとキューバでは経済規模も平均所得も段違いだし、現在の所得をユーロに換算したら、とんでもなく低い。でも、その低い所得で、どんな生活が送れるかといえば、やはりキューバに来て良かった、という結論だそうです。

「だって、ヨーロッパの人が、のんびりするためにわざわざ高いお金を出して来るところに、こちらは住んでいるんだからさ。そういうところにいて、仕事はあまりないから、人生を楽しめるよね」

しかし!妻のエリスの方は、ちょっと違う。両親も彼女自身も、「ビジネス」(宿の経営以外にも何かやっているらしい)を広げたいという野心が満々。子どもの将来のためにも、政府にもっと観光に力を入れて、経済改革を進めてほしい。

「だって、この数年で、ずいぶんキューバも変わったでしょ?」
「それでも、まだまだ遅すぎ!進んだかと思うと、またちょっと戻る!」

という案配で、欲求不満が溜まっているようでした。

17. 公園でダンス

さて、ハバナです。20世紀前半のギャングに支配された「酒と女」の享楽の巷でないことはもちろん、もはや「革命」は観光客を呼び込むための「ブランド」と化しています。団塊の世代でゲバラに憧れた方などは、ガッカリするかもしれませんが、廃墟同然だった市街が蘇ったのは、観光地としての再開発のおかげなんですから。

ソ連からの支援が止まり「特別な時代」に突入したキューバは、観光による外貨獲得に狙いを定めました(ほかに何もないから苦し紛れだったような気がしないでもない)。そこで登場したのが Eusebio Leal(エウセビオ・レアル)さん(どういうわけか、日本で叙勲されています)。歴史学者だったのですが、1994年からHavana Vieja(ハバナ旧市街)と呼ばれる中心地の再開発を任されます。

さすが歴史学者で、壁がはがれた状態の古い建物を壊すことはせず、すべて元通りに復旧するという方針を打ち出しました。テーマパークのような安っぽいものを作ることにも断固反対!その方針に従い、ユネスコの資金援助も取り付け、大規模な再開発事業を進めた結果、旧市街はかつての美しさを取り戻したというわけです。その結果・・

Centralhavana170714

バーン!こうなった。こういう1泊数百ドルの高級ホテルが林立し、冬のハイシーズンには、カナダとヨーロッパからの観光客で数ヶ月前から予約がいっぱい。(写真をクリックすると拡大写真が表示されます)

Havanastreet170714

これは中心だけで、ハバナ市内の繁華街でも、旧市街をちょっと出ると、こんな感じ。さらにはずれると、いまだに壁がはがれたままで、部分的に崩れた建物がズラリと並びます。

ブラブラ歩いて、一休みしようかなと中央公園に行ったら、なんせキューバですから。踊ってます。

料金を聞くのを忘れましたが、サルサのパートナーをつとめる係の人がいるので、一人で来ても踊れるよ。

追記:思い出した!キューバ滞在の最初か最後に、200ドルぐらいなら出してもいいから話のタネに、ハバナの高級ホテルに1泊したいと思って、2ヶ月前ぐらいに探したのだけど、それこそもう400ドルとかいう、とんでもない高い部屋しか残ってなくて、諦めたのだった。ローシーズンだったんだけどなあ。

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