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映画・テレビ

愛と法

何年ぶりか(あ、それはオーバーだ。今年初めて)で渋谷までエッチラオッチラ、足を運びました。ユーロスペースで映画を観るためです。(今後順次、全国各地で上映予定)

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南さんと吉田さんは大阪北区南森町(正式には「みなみもり」ですが、「なんもり」という略称もあり)で法律事務所を営む弁護士夫夫です。

二人の日常を追うドキュメンタリー映画なわけで、同性愛者夫夫の日常を見てみたいという、キワモノ的な好奇心で映画館に足を運んでも、ぜんぜんオッケーだよ。見始めたら、そんな色物的というか、オネエ言葉の連発という期待は完全に裏切られるから。

ろくでなし子さん(女性性器を型どった作品が猥褻であるとして起訴された)や君が代起立拒否の教員を始めとする、圧倒的に不利な依頼人たち!二人の戦いの毎日!行きどころのない少年の後見人として同居!・・・・という目まぐるしい毎日なのですが、必死という感じはあんまりないのよ。

失礼ながら才能はあまり感じられない南さんの自作自演の歌がの~んびり流れるし、吉田さんが料理上手で、食生活が豊かだし、事務所の事務員でもある南さんのお母さん、ろくでなし子さんのお父さんなど、当たり前のこととして二人を支える人たちもいっぱい。それになんといっても、互いを大切に思う気持ち(愛よ!愛!)。

裁判官に対する憤懣やるかたない気持ちがあふれる場面もあり、吉田さんが亡くなったお父さんとの最後の日々を思い出して、「だれも助けてくれなかった」と涙する場面もあります。でも、助けてくれなかった世間を恨むのではなく、今、彼は弱者を助ける側に回ったわけだし、ろくでなし子さんの裁判では、裁判官が彼女の作品を「芸術」と認め、一部無罪になったのですよね。愛と法が支え合う社会を育ててゆこうというメッセージを、おっとりと(おっとりさ加減が監督の個性かも)伝える映画でした。

2年前に本も出ています。南さんが執筆して、吉田さんが合いの手を挟むという形式。こちらは男同士のカップルがどのようにできて、結婚式を挙げるに至り、十数年を経て、里親になりたいなと考え始めている。それを具体的に語る内容で、同性どうしのカップルだけではなく、恋愛や家族をつくることなど、だれでも興味を持つのではないかな。私自身、この本を読んで、「私はこうではないから、独りなんだなあ」と納得しましたよ。やはりカップルを作る人と作らない人はいるわけ。

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希望のかなた

前回、久しぶりのジャックアンドベティだったのに、翌週、また行くことになりました。「希望のかなた」という作品。

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中東、東欧をさまよった末に北欧にたどり着いたシリア難民の話・・・・と言っても、正義の味方が登場して官僚主義や右翼と戦うなどという、単に難民を話の種に使っただけのヒーローものの映画ではないのだ。

なにしろカウリスマキ監督なので、こんな風になります。

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ストーリーはごく単純で、フィンランドに不法入国したシリア難民の青年が、放浪の途中で生き別れた妹を探しながら、なんとかフィンランドで生きてゆこうとする。一方、どうやらアルコール依存症らしい妻と別れ、心機一転してレストランを始めた中年男。こちらも、レストランの先行きはおぼつかないし、なんとか生きてゆかないとねえという状態です。この男が難民青年に手を差し伸べるのでした。

自分の人生が行き詰まったときは、他人を助けるといいのでしょうね。自分のヘソばかり見なくて済むし、視野が広がって、いろいろなことが見えてくる。

でまあ、そんなこんなで、シリア人青年はフィンランドのネオナチに襲われたりしながらも、妹探しに協力してくれる難民仲間や、中年男をはじめとするレストランの仲間に助けられて・・・という話です。

難民排斥の嵐がいまだに吹き荒れているようですが、政治レベルではともかくとして、個人レベルまで降りていったら、この映画のようになるのが自然なような気がするんだけどね。

猫が教えてくれたこと+イセタカ君

久しぶりのジャックアンドベティ

今日の映画は「猫が教えてくれたこと」というトルコ映画です。

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イスタンブールは私が訪れた1980年代末とはすっかり様変わりして、高層ビルはあるし、ガラス張りの高級ブティックはあるし、町行く人たちはファッショナブルだし、すっかり大都会です。実際、人口はここ30年ぐらいの間に3倍以上に増え、なんと1400万人だって!

このような大都会ですが港町でもあるので、猫がウジャウジャいることで昔から有名です。その中から個性的な猫7匹をピックアップして、周囲の人間たちのインタビューを含めて追跡取材したドキュメンタリー映画。街路を疾駆する猫のあとを追い、這いつくばるようにして撮影したとおぼしき映像もあれば、ドローンを使って上空から撮影した映像もあり、ちょっとしたイスタンブール案内にもなっています。子猫もいっぱい出演(?)するし、猫好きの方と旅行好きの方は必見。

それにしても変わったなあ~。捕れたてのサバを網で焼いて、スライスしたタマネギと一緒に大きなコッペパンに挟んだ「サバサンド」。これ、昔からの名物で、すんごく旨かった!当時は路上の屋台だったんだけど、情報によると、今はファーストフード店のようなちゃんとした店舗で販売しているようです。味はどうなんだろう。

映画の後、いつもと違う川沿いの道を歩いたら、こんなものが。

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うむむむ。猛禽類・・・。ああ、交番だから、ちょっと恐い感じの鳥を、ということなのかな?

ネットで調べたら、この方、ちゃんと名前もついていました。イセタカ君です。ここは伊勢佐木警察署管内なのですが、ここの治安状態を監視するマスコットとして、ハイタカをモデルにしたとのこと。

う~ん。治安を監視するマスコットというのはいいのですが、交番の上に、こんなもの乗せるか、普通?

続・ムーンライト:ファンはありがたいね

監督のインタビューを見たら、ホウ・シャオシェンの影響をあげていました。「百年恋歌」の構成をヒントに、少年時代からの成長過程を三部に分け、それぞれにその後の人生を決定する象徴的な出来事を描くことにしたのだそうです。

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そして、やはりウォン・カーウァイへのオマージュという要素もあるとのこと。で、ひょっとして、YouTubeでそのことを取り上げた評論があるかも、と検索をかけたら、まっまっ!世の中には偉い人がいるのでありました。

似たシーンを並べて編集した動画を制作。いやー、どれだけ時間とエネルギーを費やしたのでありましょうか。労作ですよね。

単に映画ファンであるとかウォン・カーウァイが好きというだけでなく、どうやらこの方自身、映画作りのキャリアへ進みつつある・・のかな?

ちなみに、こういうのって著作権はどうなの?と首を傾げた人がいるかもしれないので、一言付け加えておきますと、こういう評論・批評行為での「引用」は許可されています。

ムーンライト

アカデミー賞関係で話題にもなったので、説明はしません。詳しくはこちらをどうぞ。

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ええ~、アメリカ映画なんでしょ~?なんてバカにしちゃだめですよ。ぜんぜんアメリカ映画らしくないから。うつむきがちで無口な主人公なのであります。アメリカ映画で「うつむく」主人公って、なんたるこっちゃ!

特に王家衛ウォン・カーウァイ)ファンは必見。あれ、このフレームの切り取り方、どこかで見たような・・というシーンが見つかりますよ。インテリアとか、背景の色調とか、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の好きな方にもオススメかな。

こんな静かな、いわゆる玄人受けする映画、アメリカで客が入るのかしらん?アート好きや映画ファンの間でカルト的人気を獲得するだけでは・・・と老婆心で心配したら、そんなことはないみたい。普通の人の間でもウケてるみたいよ。

ひょっとして、トランプ政権への反動で、アメリカ国民のセンチメント自体がシフトしたかな?

ヴィヴィアン・マイヤーを探して

横浜黄金町の映画館、ジャックアンドベティで「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」という長編ドキュメンタリー映画を鑑賞。

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コピー的に表現すれば、「偶然オークションで発見した膨大な点数の写真に感動した若者が、生涯1点の写真も発表しなかった埋もれた写真家の正体を探る」ということになるのでしょうが、正直言って、映画としての質は特に良くはない。住み込みの子守だった、この写真家のゆかりの人たちを探し、その人たちから話を聞く。それを撮影しただけです。

ただ、とにかくこのマイヤーという女性が魅力的であること。そして、ひょっとすると、それよりも面白いのは、写真を見つけ、私立探偵のようにアメリカ各地とフランスを飛び回ったジョン・マルーフという若者も、子守だった彼女と毎日生活を共にした人たちも、だれも彼女を理解しない。理解できない。ここのところです。

上に掲げたパンフレットの表紙の写真を見てもわかるように(たぶん窓ガラスに映った自分を撮影している)、常にこんなカメラを胸にぶら下げて、街を歩き回り、見知らぬ人に近づき、シャッターを押していたんですよ。脅威を感じ、反発した被写体がいたことは想像に難くない。相当、変でしょう、これ。彼女自身が目立ちまくりではないですか。

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ところが、知人たちは口々に「変人だった」と言うのですが、結局は、「どんな写真を撮っているのか見せてよ」と言った人はいなかった・・か、または、彼女にそう言えるほど親しくなった人はいなかった。「カメラをぶら下げた変な子守」でしかなかった。

こういうことって、決して珍しくないですよね。有名なのはゴッホかな?あんなに絵を描き続け、弟は画商だったのに、生前は周囲の人たちにとり、「変な絵を描く酔っぱらい」でしかなかった。

でも、彼女がゴッホと違うのは、たぶん「世間に認められない」ことを、彼女の方は、それほど重視していなかったのではないかと思えるからです。焦燥感や不幸であるという感覚はなかったと思いますよ。老後はかなり悲惨だったようですが、それは写真家として認められるかどうかとはあまり関係ないし(計画性がなかっただけだよね。それに、やや心の病に傾きかけた人だし)。

マイヤーには写真を撮る「喜び」があった。自分だけにしか理解できない感覚。シャッターを押す瞬間の集中。歓喜。自分にとってだけ重要なことを、自分の内心でだけ研究し、試行錯誤を繰り返し、「やった!」という瞬間に達する。彼女にとって大切だったのは、それだけだった。実際、ネガのままで現像すらしていない写真が大量に残っていることからも、彼女にとり、写真は「他人に見せる作品」というよりも、喜びを生む「アクション」だったことがうかがわれます。

かつての知人たちは、「かわいそうな人だった」みたいなことを言いますが、それはその人たちが芸術というもの、創造の喜びというものを理解しない俗物だからです。俗物にとっては、安楽に暮らせる程度の金を稼ぐか、金を稼ぐ男と結婚して、子どもや孫がいて、食べ物や、病気や、天気や、そんなヘドが出るほどつまらない話をする相手がいて。幸福というのはそれしかないわけで。それを持たない人はひっくるめて、「かわいそうな人」になる。

マイヤーは幸せだったと思うよ。だいたい、子守で貧乏だったみたいに見えますが、8カ月間も仕事を休んで、世界旅行をしているんだよ!世界各地で写真を撮りまくってる!

これを幸せと言わずに、なんと言うのか!

人生スイッチ

どうも「さよなら、人類」の衝撃があまりに過剰で、いまだに時々、場面が目の前にちらつき、突発的にグフグフと笑い出しそうになるので、全く違う楽しみ方ができる映画を観てみましょうか、というわけで。

アルモドバル製作、アルゼンチンのダミアン・ジフロン脚本・監督作品「人生スイッチ」を、川崎市アートセンター・アルテリオ映像館で鑑賞しました。スペイン語圏の映画を観ると、スペイン語の勉強にもなるし。

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原題は Relatos Salvajes。Relato は「お話」、Salvaje は「ワイルドな」(最後のsは複数形です。形容詞も複数形になる)、つまり野性的であったり、凶暴であったり、というイメージの言葉です。英語圏ではその通りに、Wild Tales というタイトルがついているみたい。

6話のオムニバス形式で、アルモドバル製作といっても、全然、作風が違うので、あの独特なヌメリのある悲哀とドラマを期待してはいけません。逆に、アルモドバル嫌いの方でもダイジョブ。

6話に共通するのは、人間が「ワイルド」になる瞬間、ずっとたまっていたモヤモヤが爆発して、心の底に眠っていた獣が牙をむく、その瞬間です。「人生スイッチ」という日本語タイトルのつけ方はうまい。座布団1枚!

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ジフロンの脚本がすごく良くできていて、演じる俳優たちもうまいので(アルゼンチン映画なんてめったに観ないのに、見覚えのある俳優が何人かいたから、アルゼンチンでは有名な役者さんを揃えたのではないかと)、ちょっとしたセリフや表情で、「あ、こいつ、危ないところが・・・」と、観客にわかるようにできています。(第1話だけは例外で、ご本人が登場しないので、他の人たちの話から推測できるんだけど)

そういう話なので、笑いと暴力(究極のバイオレンスみたいな話もある)が満載なんだけど、とにかく脚本がよくできていて、「ああ~わかるわ~」と主人公の行動が納得できてしまい、自分の中にも「ワイルド」が眠っていることがよくわかります。

スペイン語も少しだけ聞き取れて、うれしかった。特に、3話目で主人公が繰り返し叫ぶ罵りの言葉。

La puta que te parió!

これはしっかり確認済みのフレーズなので(こちらをご参照ください)、絶対、聞き間違えない。

さよなら、人類

久しぶりにジャック&ベティで観た映画をご紹介します。スウェーデンのロイ・アンダーソン監督作品「さよなら、人類」。

実は今年に入ってから、何度かジャック&ベティで映画鑑賞しているのですが、残念ながら、紹介したいような作品がなかったんだよなあ。

たとえば、ちょっと話題になった「おみおくりの作法」とか、いい話だし、手を抜かずに作っていることも、よくわかります。でも、テレビやインターネットで無数の映像を見ることができるこの時代に、わざわざ映画館まで足を運んで満足するには、何か新しいこと、奇妙なこと、すばらしいこと、等々を、あの暗い空間で、見知らぬ人たちと共有した。そういう「経験」感がないと、なかなか人に推薦はできないですよね。

その意味で、今回は堂々と宣言できる!

この映画を観ることは「経験」である。

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話の筋というのはべつにありません。チープな面白グッズを売り歩く二人組のセールスマンが、いちおう全体を貫く線になっているけれど、厳かさゼロの死とか、デブ女が教えるフラメンコダンスレッスンとか、笑っちゃうんだけど、なにやら居心地の悪さがあり、観客自身も身につまされてしまう、そういう場面が連続します。

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寒々とした色調。白いメイクを施された役者たち。どの場面にも窓やドアがあり、その向こうが見えている。そちらでも何かが進行している。

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1つ1つの場面が絵画のようでもあります。

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ああ!生きるというのはなんと恥ずかしいことか!

というのが全体のトーンね。愚かなことをしたり、残忍なことをしたり、恥多き人生を生きるわけですが、それでもなんとか生きてゆくわけでして。その先に、またしても恥多き死が待っているとしてもね。

ご参考までに。ルイス・ブニュエル監督が好きな人なら、なんの違和感もなく、入ってゆけます。

民主主義は面倒だけど面白い!

今日は新百合ヶ丘の川崎アートセンター・アルテリオ映像館で「みなさんのアムステルダム国立美術館へ」を鑑賞。

アムステルダム国立美術館といえば、泣く子も黙る、アレです。アレ。レンブラントの「夜警」!私、昔々に見てるんですよ。この美術館で。

イギリスに数日滞在した後、大陸を旅行していた友人と、どういう塩梅でそうなったのか、とにかく、ベルギーのアントワープ駅のホームで待ち合わせたのです。いや~、それにしても、どうしてそんなことになったのか、どうしても、思い出せん!列車の都合かな。

大しけの英仏海峡を渡り(英仏トンネル開通前だったもんで)、オランダのどこかの港(たぶんロッテルダム)に着いたのはいいんだけど、ちょうどいい列車がなくて、半日ぐらい空いちゃった。オランダに滞在する予定はなかったのですが、せっかくだから、とアムステルダムで美術館に行ったのでした。素晴らしかった。夜警。

とまあ、この映画を観て、そんなことも思い出したりして。さて、この映画。

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中央の絵の女の子が手にしているのは安全帽。所蔵作品をちょっとイジったわけね。

アムステルダム美術館の全面改修計画が始まったのは2003年。2008年には改修が完了する予定でした。しかし、それは甘かった。みたらし団子より、十勝おはぎより、甘かった!根回しがゼンゼンできてなかった!問題が噴出。爆発。結局、再オープンされたのは2013年のことでした・・ということは、美術館は10年の閉館を余儀なくされたのであった。

その10年間、このドキュメンタリー映画の監督以下、スタッフはそれに付き合うことになってしまったのですよ。やれやれ。でも、結局は面白い作品になったから、良かったけど。登場人物がパンフレットに図解されていました。

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クセモノぞろいなのですが、特に、赤で囲った内装担当のジジイとオネエサンは、もう、役者に演技させたって無理、と思えるほど、オカシイ。ジジイはミーティング中に居眠りするし、オネエサンはカメラに向かうと「(美術館の人たちには)コンセプトがぜんぜんないのよ!」なんて文句たらたらなくせに、ミーティングのときは「板挟みになりたくない」とかで、口をつぐんだまま。

さて、設計計画が公表されるやいなや、自転車通路が使いにくいとサイクリスト協会が噛み付き、反対運動を展開する。設計変更を迫られた2人のスペイン人建築家は、建築家としてのプライドがズタボロ。「だって、この通路部分のアイディアが画期的だという理由で、私らがコンペで選ばれたんじゃないか!」と、むくれる。館長は「通路の文句ばっかり・・。美術館に対する誇りはないのか」と神経衰弱寸前。結局、疲れきって、辞職してしまいます。

でも、そもそも1885年の開館のときに、旧市街と新市街をつなぐ道として、美術館の中を通路が横断するようにしていたわけで、自転車利用者の皆さんの反対には正当性があるのね。だから、市当局も、そちらを支持するしかない。

その他、施工の指示がおかしいとか、壁の色が気に入らないとか、ああだこうだ、ああだこうだ。新館長は、設計変更ということで収まっていた通路問題を、「嫌いなケーキを出されても、俺は食わない!」とか言っちゃって、白紙に戻そうとして、一悶着起こすし。

苦労して日本から金剛力士像を入手したアジア館の館長は、倉庫に入ったままの二体の仏像の前で、「こんなところに入れられて・・」と泣きそうになってるし。

でも、最後は完成して(そりゃー、いつかはね)、そうなれば、みんな、「おお!なんて素晴らしい!」になるわけ。それはなんといっても、芸術の力が大きいと思うよ。うわあと胸が一杯になるもの。正面に「夜警」が見えれば。

それにしても、どの方面の皆さんも、よく粘りました。偉い!皮肉ではなく、本当に感心してしまいます。自転車通路の例に象徴されるように、美術館は民のものなんだよ。だから、民主主義を貫くのが当然なのだ。ま、美術館関係者と政府・市当局関係者はヒクヒクとチックが起きてしまいそうだったけど。

30日(金)まで新百合ヶ丘駅北口から徒歩3分。17:30から上映。その他の映画館での上映情報はこちら

塀の中のジュリアス・シーザー(Cesare Deve Morire/Caesar Must Die)

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これはイギリスで封切られたときのポスターなので、

Caesar Must Die シーザー・マスト・ダイ

原題であるイタリア語では

Cesare Deve Morire チェザーレ・デヴェ・モリーレ

これをスペイン語にすると、

Cesar Debe Morir セザール・デベ・モリール

英語は全然違いますが、イタリア語とスペイン語はよく似ているでしょ?どちらもラテン語を親とするロマンス語なので。

昔、イタリア人の友人がメキシコ人と話すのを横で聞いていたら、どちらも自分の母語(イタリア語とスペイン語)で話していて、それでもなんとか通じているので、ビックリしたことがあります。実際、最近スペイン語を勉強しているから、テレビで時々耳にするイタリア語も、たま~に、わかったりしています。

さて、この映画。タヴィアーニ兄弟監督作品です。パードレ・パドローネとかサン・ロレンツォの夜とか、物語を作り、うねるように語るのがうまいタヴィアーニ兄弟がドキュメンタリーを撮るというのは、ちょっと意外かもしれません。でも、ドキュメンタリーといっても、実在の人物を「追いかける」タイプのドキュメンタリーではないのです。

日本語の題はネタばらしになっていますが、「塀の中」の皆さんがシェイクスピアの(イタリア語訳だけどね)「ジュリアス・シーザー」を上演する顛末を撮っている。

ローマ近郊の刑務所では、受刑者のリハビリの一環として、毎年1本、芝居を一般の観客の前で上演しています。その稽古を見たタヴィアーニ兄弟が、ぜひ映画にしたいと自治体に(たぶん)持ちかけ、実現した作品なのだとか。

監督たちはジュリアス・シーザーという、裏切りと殺人の芝居を選びました。それを「殺人で終身刑」などという方々が演じる。

実際の舞台は最後に少し出てくるだけで、そこの部分、つまり虚構の部分だけがカラー。その前のオーディションと稽古の部分は全部、モノクロです。これからもわかるように、監督たちは完全に自分たちの映画の世界を構築しているんですね。各カットもすんごくスタイリッシュだったりする。しかも、そもそも稽古の場面にしても、語られるのはシェイクスピアの言葉なのです。

つまり、実人生において裏切ったこと、裏切られたことがあり、人を殺したことがあり、騙し、騙されたことがある人たちが、シェイクスピアの言葉を口にし、監督たちの作る画面の中で動く。この作品自体が、受刑者たちに「自分を演じる舞台」を提供しているという案配なのです。

そのことがよくわかるのは、というか、実はイタリア人以外にはピンと来ないのだけれど、監督たちは、役者たちに、それぞれの出身地の方言、仲間内で使っている言葉、なまり、そういうものでセリフを言わせたのだそうです。生の自分、お前の臍の奥にあるものを出せ!ということですよね。

そもそも組織犯罪のメンバーが多いわけで、自分の内面を検証するという経験はなかったかもしれない。芝居の稽古を重ねる中で、「ブルータス、お前もか!」という台詞を言うことで初めて、自分の中に溜まった思いが外へほとばしり出る。そういう意味で、この刑務所では、芝居をリハビリに使っているのでしょう。芝居という枠組みがあって初めて、その中に自分を見ることができる、というかね。

お勧めです。DVDも出ていますから、お正月休みに退屈したら、借りて、ぜひ。

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