インド旅行2006

旅行日記読み物編

そもそも普段から読書というものを、肘掛け椅子にどっしり体を沈め、という形で行っていないわけでして、本というものは、スポーツジムで自転車をこぎながら、風呂につかった状態で、電車で移動中に、読むことになっている。家で落ち着いて本を読む余裕がないからなのですが、なぜ余裕がないかと言いますと、本を読んでいる状態というのが、どうやら猫たちから見ると、何もしていないかのように見えるらしく・・。(仕事をしたりインターネットを見ているときのようにバタバタと手が動かないからねえ)

ニャ~ゴニャ~ゴオオオオオ[訳:何もしてないんなら、オレの、この、ここんとこ、ね?首の斜め30度のとこ、そこんとこをカキカキしてくれー]
ミャオミャオーン[訳:いやーん。ワタシが先いいいい。ワタシはお尻がいい~。お尻カキカキー]
オレ!ワタシ!オレ!ワタシだってば、グワヴ!ギャオー!

というわけで、なかなか難しいものがある。そんなこんなで、旅行中というのは、読みでのある本に集中するには、なかなか良い機会です。

だがしかし!読みでがあると言っても、程度問題ではある・・なあ。以前、乗り継ぎ空港の書店で、サルマン・ラシュディの Midnight's Children(真夜中の子供たち)が30%引きのバーゲンになっていて、ついケチ心を出して買ったら、ペーパーバックで463ページ(!)。そこから先の旅行中ずっと、それをしょって歩いたわけでして。それでも面白かったから我慢できたが、それでつまらなかったら、途中でブン投げていたと思う。

Naipaulbiswas_2 そこで今回はV.S.ナイポールの"A House for Mr. Biswas"にしました。ナイポールはノーベル文学賞を取ったときに話題になったので、名前をお聞き覚えの方もおられるかも。トリニダードトバゴというカリブ海に浮かぶ小国出身のインド系の方です。トリニダードトバゴの公用語は英語なのですが、カリブ海の国々で話される独特の英語で、その語り口のリズムがすばらしい。こういうのはほかの言葉には移しようがない要素ですね。

ナイポールはノンフィクションも書く人で、インドについてとかイスラムについてとか、大著があります。そちらも洞察に満ちていて面白いようなのですが、私は未読(なにしろ大著なんで、ちょっと手が出ない)。小説の方は、永遠の漂流者、どこにいてもアウトサイダー、という視点から書いた話がお得意。主人公たちは、トリニダードからイギリスに行っても、また戻ってきても、インドからアフリカに行っても、どこにいても、四角いものを丸い容器に詰めなければならないような、なんとはなしの居心地の悪さの中を、ふわふわと漂い続けるのです。

この作品のビスワス氏の場合、住む国が変わるわけではなく、彼は小さい島を一度も離れません。でも、貧しい生活から(自分のせいでお父さんが溺死し、一家離散の憂き目に!)なんとかがんばってはい上がろうとするのですが、小金持ちの娘とまんまと結婚できた、と思ったら、マスオさん状態で、ますます自分の首を絞めることに。とてつもなくパワフルで奇人揃いの姑や義理の兄に、弱々しい反抗を試みてはぶっとばされ、それでも自立の象徴としての自分の家を持とうとあがくのですが、運命の力であっちへ蹴飛ばされ、こっちへ押しのけられ、なかなか家を持てない。やれやれ、やっと家を持てた・・と思ったら、それはそれで、なんだか妙ちきりんなものになってしまう。そんなわけで、やはり安住の地にたどり着けない人の話なのでした。

でも、ビスワス氏だけでなく、誰もが漂流者なんだよね。芭蕉も奥の細道の冒頭で

「月日は百代の過客にして」[うわっ。「はくたいのかかく」とタイプしたら、ちゃんと変換された!ATOK賢い・・]

と言っている。永遠の旅人。実際に住む国や場所が変わるというだけでなく、人生自体が旅で、どこかに行き着く前に一生を終えるのが普通なんだなあ。どこかに行き着くというのは、まあ、信仰の道とかですかね?でも、そうなるとまた別の意味で、人生は仮の宿になってしまうかも。

たとえば古代エジプト人たちなんて、たぶんほとんどの庶民が生まれた土地を一生離れなかったのでしょうけど、本当のすばらしい生活はあの世にあって、現世はその準備段階だと信じていたんだから、その意味では、一生が仮の宿だったわけだ。

今回の旅行中、スピティ渓谷やラダックまでの道で、岩と砂地の切り立った崖と紺青の空以外に何もない景観を前に、ゴーゴーと風の吹き抜ける音を聞きながら、家を建てようともがき続けるビスワス氏の話を読んでいた。こんな遠くの見知らぬ場所を訪れ、私にとっては非日常であるこの状況の中で、自分だけは日常のままで、いつも通り本を読んでいるというのは、いかにも不思議といえば不思議なんだが、私としてはなんら無理をしているわけではなく、ごく自然なことでもあり、「人間万事塞翁が馬」なんてフレーズが、いかにも実感を伴って感じられ、「まっ、これでいいのだ」という、バカボンのパパ的な結論に達してしまうのでした。

旅行日記買い物編

特に欲しいものがあればべつだけれど、買い物はめんどくさくて、あまり好きではない。旅行でも、家族や友人へのおみやげは買うけれど、なにしろ荷物が増えるのがいやなので、自分のものはあまり買わない。とは言え・・

今回の旅行では、帰国前日にニューデリーを歩き回り、こんなものを買いました。

Bluetop_1 ANOKHI(アノキ)というブランドの直営店で買ったコットンのトップ。手作業のブロックプリントで知られるメーカーで、ここのは以前から欲しかった。夏服はやはり暑い国のものが良いですよ。軽くて涼しく、しかもここの製品は縫製がしっかりしている。

インド製の布というと、テーブルトップやベッドカバーなどが多く、安物だとプリントがずれていたりしますが、このブランドでは、その心配はゼロ。値段もインドの感覚では高いのですが、日本円にすると1500円ぐらいです。綿だけれど、華やかな感じで、外に着てゆける。

Graytop もう1枚、買いました。こちらはもう少し安く、ゆったりしていて、普段着という感じ。どちらも真夏に重宝するタイプの服で、もっと買ってくれば良かったなあと、かな~り後悔しましたね。インド各地に直営店があるので、次回に買い込んでこようかと画策しております。

スカーフも買いました。インド女性のファッションと言えば、やはりいまだにサリーとサルワールカミーズなのですが、都会ではスーツ、ワンピース、トップとパンツの人が増えている。それでも、胸のあたりはなんとなく隠したいという気持ちが残るのか、汗をかいても気にならないようなフワフワした生地のスカーフをよくしています。

Bluescarf それをまねしてみようかと思って購入したのですが、帰国したのがちょうど初秋。昼間は暑くて半袖でちょうど良いが、夕方になると風が冷たく、少し首周りが寒いという時に、ぴったりでした。

前回のインド旅行の途中に買った10ルピーという安物の石けんが気に入ったので、今回は KAMA Ayurveda という高級ブランドの製品を買ってきました。1000円くらいだったかなあ。石けんではなく、スクラブなんですが。

Mridul 古来からの製法を忠実に守り、天然成分だけを使ったという謳い文句。緑色の粉で、手の中で水に溶いて、ペースト状にして顔をスクラブする。こういうスキンケア製品の判断基準は、自分に合うか合わないか、それしかないわけで、これは私にはバッチリ!合いました。軽くスクラブする感じで、皮脂が適度に落ちる。もったいなくて、ケチケチ使っていたのですが、さすがに最近、使い切ってしまい、日本の代理店では販売していないので、インドのネットショップに注文したところ。

旅行日記 (25):これで終わり

レー市街を見下ろす丘の上にもナムギャル・ツェモというゴンパがあります。徒歩で登るのは疲れそうだったので、行きはタクシーで。

絶景!

Flags1

風にはためくタルチョ(祈りの旗)。このとき、何を思ったのだったか。いくら頭をひねっても、何も思い出せない。なぜかというとね。バスに乗っているときと同じで、こういう光景を見ているときも、要するに、何も考えていないんですよ。

Stupa

中央に見える白いストゥーパ(仏塔)は日本山妙法寺さんが1985年に建立。

Flags2

さて、最初の写真に戻ったところで、旅行も終わりです。もう少し、と未練が残りながらも、家に残した動物たちのことが気にかかり始める頃です。このぐらいがちょうどいい。ちょうどいいところで、終わりにしましょう。

旅行日記 (24):レーで観光

9月6日(水)、7日(木)
ラダック観光のハイライトと言えば、ゴンパ(僧院)の見学というのが普通なのでしょうが、タボとキーのゴンパで、もう好奇心は満腹になり、レーまでたどり着いたら、見学する意欲を失ってしまった。

チベット文化の専門家の間では、ラダックは中国側のチベット文化圏よりもチベットらしさが残る地として知られているのだそうです。そのラダックまで遠路はるばるやって来て、ゴンパを見ないというのは、いくらなんでも、もったいないよなあと思ったんですよ、私も。実際、これを書いている今、やっぱり行けば良かったかなあ、なんて思っている。でも、その時はその気にならなかったのだから、しかたない。行けば良かったと後悔しそうだから、気は進まないけれど、行っておこうか、という考え方は、私にはないんですよ。

でもまあ、1カ所だけ、レー市街からバスで30分ほどのティクセイというゴンパにだけ行くことにしました。

Tyksey2

ここまでの写真でもおわかりのように、乾燥しているから、空がとにかく青い。で、夜はどうなるかというと、黒。あんな夜空、生まれて初めて見ましたよ。写真に撮れないのが残念ですが、日本の夜空のような、もやっとした藍色ではなく、真っ黒。漆黒の夜空。そこにパラパラ星が散らばっている。

ここの仏像はハデハデ。2階まで吹き抜けになっているので、お顔の部分を近くで拝めます。

Buddhaintyksey

僧院の上から見下ろした周辺地区。

Viewfromtyksey

9月に観光客が減るので、それを引き留めるための手段として、ラダックの観光局がラダック・フェスティバルという2週間のお祭りを催します。各地のゴンパでバラバラの時期に行われる伝統的な祭りのサンプリングというわけで、ダンスの一部を見せたりする。観光客向けなのですが、実際には、ラダック各地の皆さんがレーに遊びに来る良い口実になるようでした。

Localpeople

赤い帽子のお婆さんの格好が、ラダック地方の伝統的な装いですが、その後ろの2人のように、イスラム教徒もいます。レー市内にもモスクがある。

ラダックは1つの州ではなく、インド北端のジャムー・カシミール州の一部。仏教徒のラダック、ヒンドゥー教徒のジュムー、イスラム教徒のカシミールと、宗教的に多様な州なのです。カシミールのパキスタン国境付近がいまだに安心できない地域であることは、ご存じの通りですが、ラダック周辺は安全です。(* 脚注)

ダンスもポロも観光用に薄めたものですが、土地の皆さんも楽しんでいたから、ラダック観光局の意図とは別のところで、良い効果が上がったみたいね。

Dance1

Dance2_1

ダンスはまず楽隊がドドドーン、ブオーとイントロを奏でた後に、僧侶たちが登場して、お香が入った容器を振りながら歩き、お浄めのようなことをします。それから衣装をつけた僧侶たちの踊り。悪霊と善霊が戦って、善が勝つというストーリー。シンバル、太鼓、ラッパのジャジャジャーン、ブヨヨーンという伴奏に乗り、ゆ~っくり、ひたすらゆ~っくり、かぶり物の僧侶たちが舞います。全く同じパターンが何十回も繰り返され、いかにも古式ゆかしい(翻訳すると→退屈)ものでした。

Dance3

Dance4_1

悪い霊      善い霊

ダンスが始まる前に、ちょっとした事件があったんですよ。上の写真のお婆さんのような近隣の女性たちが大勢、ダンス見物に来ていたのですが、1人の米国人(発音でわかった)男性がその人たちの写真を撮ろうとしていた。すごく高級なカメラを持っていたので、写真が趣味の人だと思う。お婆さんたちは写真をいやがって、顔をそむけたり、手でレンズを覆うような仕草さえしていたのです。それなのに撮るんだよね。いやだなあ、何か言ってやろうかしら、と思っていたら(いや、特に正義派でもないんですけどね。その前に、お婆さんたちにリンゴをもらったりしたもんで。ヘヘヘ)、その男性のそばにいた、やはり米国人の女性が隣の人に、会場中に響き渡るような大声で、「世の中には無神経な人がいるのよねっ!」と一言。それが効いたのか、それとも撮りたいだけ撮ったのか、男性は撮るのをやめました。でも、本当に無神経な人だったようで、平然としていたけどね。

どちらの側も、いかにも米国人らしくて、なんだかおかしかった。あの国にいると、こういう場面にしょっちゅう遭遇する。唖然とするほど自分勝手な人間がたくさんいるんだけど、ほかの人たちが、それを「見て見ぬふり」にはしておかないので、自分勝手は簡単には通用しない、という仕組みになっている。

Polo

Polo2_1

ポロはこんな感じ。小型の馬だけど、こんな高地で走り回るのだから、心肺機能は相当高いんでしょうね。地元の皆さんは、ツボを心得た声援を送ったり、ヤジを飛ばしたりしていましたが、われわれ観光客はただボーッと見ているだけ。

D&Aと会え、いっしょに観戦したので、イギリス人でスポーツは何でも好き(相撲についても、少なくとも私よりは詳しい)というDに見所をたずねたら、「こんなつまらんスポーツに見所なんてない!」と断言されてしまった。ポロだけは嫌いなんだって。確かに、馬を操らなければいけないので、玉を次々とパスして、などということはまず不可能で、パカーンと1回打つと、そっちに向かってドドドドと走り、追いついた騎手が打つと、またそっちに向かってドドドドと走る。そんなこんなしているうちに、たまたまうまい具合にゴール。そんな感じでした。

フェスティバルの出し物自体はこんな程度だったのですが、思いがけず愉快なものを見てしまった。

Wheel1_1

人だかりができていますねえ。何でしょう?この時いっしょだったコリアンガールズといっしょに、近寄ってみました。

Wheel2

なんと、人力観覧車!中心に少年がいますね。この子が足で回しているのです。どうやるかというと、まず、大人1人と少年2人の3人がぶら下がり、引き下げるようにして回し始め、弾みがついたところで男の子が中心に上り、足で横棒を押し下げて回し続けるという段取り。けっこうなスピードが出て、乗っている人たちはキャーキャー悲鳴を上げている。この写真では中がよく見えないけれど、大人も(けっこう重そうな男性)も乗ってるんですよ。

見ているだけで面白くて、われわれも含め、取り巻いている観客は、なかなか立ち去らない。コリアンガールズも、「キャハ!こんなの生まれて初めて!」とハシャイでいました。でも、見ているだけで、料金を払ってまで乗る人は、あんまりいなかったりする。列ができるくらいなら儲かるんでしょうけどね。

* 脚注:政治的意味合いの安全だけでなく、普通の治安という意味でも、ラダックはヒマーチャルプラデシュと同じく、安全です。宿の主人に両替を頼んだら、ズボンのお尻のポケットから無造作に数十枚のお札をつかみだしたんですよ。「それ、危険では?」とお札を指さしたら、「ぜーんぜん」という返事でした。

旅行日記 (23):レーの町

9月5日(火)
最後の目的地はラダックの中心、レー。20年以上前、ラダックを初めて写真で見て以来の念願がかないました。と言った舌の根も乾かぬうちに、こんなこと言うのもナンなんですが、レーの町自体には、あまり期待はしていなかった。空港ができて、デリーから毎日飛行機が飛んで来る(* 脚注)と聞いていたので。どんな秘境でも、空港ができたら、あっという間に日本の温泉街と大差なくなるわけでして。

予想通り、レーは一大観光地と化していました。土産物屋とインターネットカフェが軒を並べ、シーズンは過ぎたこの時期でも、観光客が通りをぞろぞろ。さすがにまだ信号はありませんが、車がとぎれることはない、といったところ。

Lehroad_1でも、大通りから一歩引っ込むと、石垣と街路樹に沿った小道の横を水路が走り、いい感じの住宅地になります。レーでの宿、Padma Guesthouse & Hotelも、こんな袋小路の行き止まりにありました。着いたのが夜だったので、探すのに一苦労で、懐中電灯を持って20分くらいウロウロ。

人気の宿と聞き、キーロンから電話で予約しましたが、もうシーズンオフなのに、安いレベルの部屋で残っていた最後の1室だった。

Padmaguesthouse_1 トイレ・バス共同のダブルルームで400ルピー。2階の右端が私が泊まった部屋。大きなベッドが2つあって、壁2面が窓。昼間は陽がよく入り、ポカポカ暖かく、居心地のいい部屋でした。ただ、体を洗うのがちょっと面倒。お湯は出ないので、大きなバケツに入った湯を運んでもらいます。(写真は© www. reachladakh.com)

トイレは洋式だったんだけど、面白かったのは冬用トイレが別にあること。冬は上下水管が氷ってしまうから、水洗トイレが使えなくなる。そこでどうするかというと、冬用トイレは砂場のような作り。そこに排便して、シャベルですくって穴に落とすのね。うちの猫のトイレとおんなじだー。

ホテルの方はバス・トイレ付きでお湯が出るのだけれど、1000ルピーもして、ごく普通の殺風景な部屋だったので、安い部屋にして正解。当初はゲストハウスの棟しかなかったのだそうです。オーナーが自宅の一部に旅行者を泊めていたのが、どんどん人気が出て、ホテル棟を増築したわけ。

Padmaこれは私の部屋からホテル棟を見たところ。柵で囲われたベランダ部分をレストランにしています。ここで毎朝、遠くの山並みを見ながら、パンケーキとゆで卵の朝食。空気がおいしくて、鳥も来るし、最高。花が咲いている中庭がキッチンガーデンで、ここで取れた野菜やハーブが調理に使われる。リンゴの木もあったよ。キナウルで見た小さいリンゴで、長い棒を振って落としていた。

Dogsinleh_3 Onedog

町中も、騒がしいとはいっても、喧噪のちまたとまではゆかず、レーの犬たちは昼間はこんな感じです。それにしても、クラクションを鳴らして車が行き交い、 近くでは工事もしているのに、全員、熟睡というのはどういうことなのか。ちなみに、犬たちは野良犬ではなさそう。右の写真をご覧ください。首にリボンが。

Lehroad2

中心部から少し足を伸ばして、チベット仏教の小さなお堂を訪ねることに。道路脇にずんぐりしたチョルテン(仏塔)が並ぶ。右の方にいるのは、途中で道をたずねた坊さん。英語は通じないので、身振り手振りで交流・・できたとは思えないが、まあ、道がわかったから、いいか。
Monkinleh_1
どうもありがとうございました。またどこかでお会いできるといいですね。

Prayerwheel_3 十字路に、こんなマニ車(中に教典が巻き込まれている。これを時計回りに1回まわすと、教典を1回読んだことになるという便利なもの)がありました。

この後、目指すお堂にたどり着けたのだけれど、管理人が不在で鍵がかかっていて、外の壁画だけ見学。

Mural ファンキーな曲を演奏していそう?

シーズンオフに行くと、宿探しが楽だし、観光ポイントが混み合わないのはプラス点。でも、閉めてしまうところもあるから、それがマイナス点。ただ、通りかかった近所の住人に聞いたら、このお堂はそもそも管理人不在が多いみたいだったけど。

Tenniscourt 帰路で見かけたこの看板。なんでしょうか、これ。"ENJOY WORLD HIGHEST LAWN TENNIS COURT"と書いてあるんだけど、う~ん。この標高でテニスをする人がいるとしたら、医師・看護師が待機していないとね。ちなみに、この英語、ちょっと間違ってるけどね。(あっ。ここにも爆睡中のヤツが・・)

夜はジープの仲間たちとTibetan Kitchenという有名店で食事。今回の旅行ではここがダントツに旨かった。揚げたモモ(チベット風餃子)もおいしかったけれど、どういうわけか、インド料理も美味でした。スパイスの調合が上手。

ハジメマシテーのコリアンガールズは、仕事をやめて旅行に出たとのこと。韓国も日本と同じで、「仕事やめない限り、旅行はできない」そうです。ゴッツイ体に似合わず、専門はファッション業界だって。

「仕事、すぐ見つかりそう?」
「うむむ・・見つけないとねー」

ねー、と2人で顔を見合わせて合唱している。

イギリス人カップルは学生夫婦でした。妻の方は生物学専攻だけれど、専門を活かす職に就く気はなし。もっと人と関わる仕事がしたい。夫の方はイラストレーター。こちらも絵を描くのが好きなだけに、仕事にすることは躊躇してしまうところがあるらしい。

結婚したら、学校の寮でカップル用の広い部屋をもらえたし、独身のときよりも奨学金の額が増えて、いいことづくめ。

「へー、なんで?一人よりも二人の方が生活は楽なんじゃないの?」とたずねたら、夫の方が言うには、

「どちらも親と同居していたから、世帯の年収ということで、親の年収を基準に奨学金の額が決められていたんだけど、結婚したら、2人とも学生で、世帯の年収が少ないから、奨学金が増えたんだよね」

ははー、なるほど。そりゃー、いいわ。

* 脚注:「レーへの道・・」の部分を読むとわかると思いますが、レーの標高は3500メートルぐらいなので、高山病を気にするなら、バスでマナリから5000メートル以上の峠越えをするよりも、むしろデリーから一気に飛んでしまった方がいいと言われています。いちばんいいのは、1週間以上かけて徐々に標高を上げてゆくという行程なんですけどね。

旅行日記 (22):レーへの道すがら(続)

キーロンで宿をとってから、バスが通る道まで戻ると、道の両側に数台ずつジープが止まっている。そこで立ち止まり、ちょっと大げさに左右を見て、何かを探すジェスチャー。たちまち、そばの茶店から、眼鏡をはずした三木のり平 (*) みたいなおじさんが現れ、

Miki Edomurasaki_1

* と言っても、知らない人が多くなったような気がするので、写真をチョコっと。眼鏡をかけると江戸むらさきね。

声をかけてくれました。「ジープはマナリからお客さん乗せて来るから、席があるかどうか確認するね」と、携帯でマナリの事務所に電話。席があったので、料金1000ルピー、予約金300ルピー前払いで商談成立。

Keylongjeep_1
ポケットに入っていたボール紙(後で裏を見たら、薬のケースだった)を破いて、こんな風に領収書を書いてくれました。

3列のシートの中段・窓際の席で、料金は1000ルピー。そのうち300ルピー支払い済みなので、残り700ルピーを運転手に渡すこと。ジープのナンバーはHP01K・0675。間違えないでね、と二重アンダーライン。

という内容。ごく簡単な走り書きだけれど、席も指定されているし(窓際なので、ちと高い)、必要なことはすべて記載されている。のり平、けっこう気が利いているのだった。

9月4日(月)

さて翌朝。今日も早起き。7時の約束だったので、6時半にホテルを出る。息が白い。今日も寒っ。レコンピオで買ったオヤジジャンパー、大活躍。

昨日の場所まで行ったら、茶店のカウンターの後ろにのり平の姿が。ああ、ここの店主だったわけね。チャイを注文したら、サービスしてくれた。

7時をやや回った時刻にジープ到着。運転手は20代半ばぐらいで、慣れた感じで仕事をしているので、ホッと一安心。5000メートル超の峠越えもある行程を1日中走る続けるという過酷なスケジュールです。運転手さんには元気でいてほしいものですよね。

荷物を車の屋根に積んで、出発。マナリからすでに韓国人の若い女性2人、イギリス人の若いカップルが乗っていて、ここキーロンで私と、イスラエル人の男性1人、レーに帰るラダック住民の男性4人が乗り、運転手を入れると11人。よくまあ詰め込んだねえ。

乗り込んだら、隣がイギリス人の女性。荷物を積んでいる間も、私に声をかけたそうにしていたのだけれど、出発して少しすると、うふ、という表情で、

「シムラにいたでしょ?」
「えっ。いたけど・・」

なんで?と言おうとして、相手の顔をよく見たら、シムラのYMCAにいた人だった。2人そろって、キャー!

そんな偶然あるのか?と驚くでしょ。でも、あるんですよ。旅行者が取る経路というのは数種類しかないから、旅行中の偶然の再会というのは、けっこうある。それよりもビックリするのは、その土地の住民と、別の地方でバッタリ出くわすこと。こちらは確率が極度に低いはずだけれど、そういうことも実際に起きます。お互い、ホントにビックリするけどね。(この2枚と最後の1枚はクリックで拡大)

Darcha Darcha2

1時間ほどでダルチャに到着。パスポートチェックを受ける。こんなテントに警察の出張所を置いているわけです。右の写真は別のジープですが、我々の車もだいたいこんな感じ。ジープから降りてくる人間たちは皆、寒さに肩をすぼめ、眠そうで、元気なのはニワトリだけ。

その間に韓国人の女の子たちと、ハジメマシテー、アンニョンハシムニカと、お互い知っている唯一の言葉であいさつを交わしました。ネパールでトレッキングしてからインドに来たというだけあって、2人ともガッチリした体格。でも、今日はふらふら。マナリを出発したのは3時半だったとのことで、マナリ組はみんなすでにお疲れ。

ダルチャを出ると、後はもうレーの近くまで、旅行者を泊めるテント村以外に集落はありません。草木も生えない、山また山。

Taglangla5328m ここが世界で2番目に高い峠、タグラン・ラ(ラは峠という意味)。標高5238メートルです。標識のいちばん下に「信じられないでしょ?」なんて書いてあ りますが、考えてみると、確かにすごい。これまでの人生で高所経験といっても、ザックしょってヒーヒー言いながら山登りして、ようやく頂上について、やったー!なんてバンザイしてい たのが、ようやく3000メートルちょっとだったわけで。

でも、ここに着くまでにすでにキナウル、スピティ、ラホールと、高いところをテクテク越えて来たからねえ。「やったわ!感激!」というような感慨はありません。一方、そのおかげで体が高度順化できて、この標高でも快調。

ジープ仲間の半数ぐらいで高山病の症状が出たのですが、意外や意外。いちばんひどかったのがレーに戻る地元民の男性。顔が蒼白で、休憩地点でジープ が止まると、ヨロヨロと転がり降りて、その場で嘔吐していました。レーの標高は3500メートルだから、高地住民とはいえ、5000メートル超は慣れてい ないということ?

途中、標高が下がり、ぽつぽつと潅木が生える野原になる。雨期の後ということで、砂地の間をちょろちょろ水が流れています。運転手はこのぬかるんだ草原を突っ切ることにしたので、乗客は降りて道を歩くことになり、ちょっと散歩という格好です。足が伸ばせて、野の花も、わずかに咲いているし、良い気分転換。

後はひたすら空と岩と砂。その中をジープは黙々と進む。

Roadtoleh

休憩で降りたら、人目につかない岩陰で、すべきことをします。ゴーという風の音以外は何も聞こえず、なんの壁もなく、仰ぎ見れば紺碧の空。小だけでなく、大もしてしまった。気持ちよろしいよ。

レーに着いたのはすっかり暗くなった8時過ぎ。出発点のマナリからは17時間。その間、運転手が変わらないというのは、すごいね(* 脚注)。お疲れさまでした。

* 脚注:後日、イギリス人カップルと会ったときに、運転手がタフだということが話題になり、妻の方が言うには、運転手が時々、ガムみたいなものを噛んでいたそうです。日本のトラック運転手の人たちもカフェインやミントのガムを噛んでいるよね。

旅行日記番外編:あなたもわたしも自己主張

書き忘れていたことがあったので、番外ということで。

インドは3度目だったもんで、初インド当時にはあった「日本人はビックリ!でもインドではフツー」なことが、私の中ではもう「全方位的にフツー」になってしまっています。それこそブログに書く気もないほどフツーなので、書き忘れてしまったのですが。そのひとつが自己主張。

とにかく老若男女、誰も彼もが主張する。店でもバスでも駅でも路上でも、怒鳴り、金切り声を上げ、叫び、手を振り回し、髪をかき乱し、天を仰ぎ、主張します。「私は正しい!私こそが正しい!」と。

今回の旅行でも、タボまでのバスが混んで、途中から乗ってきた人たちは当然、立つことになる。ところが、鶴のように痩せて首の長い初老の男性が、気に入らないと言って、怒り始めた。車掌は取り合わないのですが、その男性は地方が違うから言葉が通じないと思ったのか、途中から英語で怒鳴り始めた。

「同じ料金を払ってるんだぞ!ワシには座る権利がある!これは不公平だ!車掌であるおまえには、ワシを座らせる責任があるんだ。おまえはちゃんと仕事をしてないじゃないか。ここでは正義が行われていない!なんたることだ!」

このような内容のことを、ほとんど同じ言葉で、何度も何度も、天に向かって両手を挙げたり、周囲の乗客に同意を求めたり(自分の席を譲りたくないから、当然、みんな知らんぷりですけどね)、延々と20分くらい、それこそ鶴が頭を振り上げて天に向かって鳴くように、金切り声で叫び続けているうちに、バスが止まり、大勢降りたので、どうやら彼も座れたようです。

それよりも前にカルパまでのバスでも、発着所でバスの停車位置にトラックが停まっていたら、タヌキ顔の我らの車掌さんが、ものすごい形相になって飛び出して行って、両手をグルグル振り回し、胴間声で怒鳴り、トラックの運転手に食ってかかった。相手は(最初はちょっと言い返していたけれど)「わかったわかった。どかせばいいんだろ」と言っている様子なのに、車掌さんは、さらにさらに言いつのり、どうやら相手をののしっている。

翌日、D&Aとのおしゃべりで、この時のことが話題になり、自分も男性で、テストステロンに不足はないDが言うには、

「イギリスでもニュージーランドでも、あんなに怒鳴り合ったら、絶対」(と、ここで拳をグイと突き出して)
「これになるよ。でも、もう何ヶ月もインドを旅行して、怒鳴り合いを何十回も見ているけど、手が出たところを見たことないんだよなあ」

インド人がガンジーの教えを守って非暴力、というわけではないんですよ。血で血を洗う抗争や残酷な犯罪はインドでもしょっちゅう起きている。家庭内の喧嘩で包丁振り回し、ということもある。そういうことではなく、怒鳴り合いやののしり合いはインド人にとっては「喧嘩」の範疇に入らないようなのです。あくまでも「自己主張」。

その証拠に、上記の車掌さんもそうでしたが、ひとたび怒り始めると、いつの間にか、問題が解決するかどうかは二の次になってしまうことがある。そう見受けられるのです。とにかく自分が正しいことを全世界に主張したい。

「物言わぬは腹ふくるるわざなり」という言葉もあるぐらいで、言いたいことを言わないのはストレスの元。でも、安心して(?)あれほどの自己主張ができるのは、やはりそれが「喧嘩」にならないという社会的背景があってのことですね。

旅行日記 (21):レーへの道すがら

Maplahcut

キナウル地方からスピティ地方へと、中国との国境に沿ってグルリと遠回りをしてきましたが、いよいよラホール地方を経由してラダックへ向かいます。バスでカザからグランプーGramphooへ。そこでバスを乗り換え、ラホールの中心地キーロンKeylongへ。1泊して翌日、できれば相乗りジープでラダック地方の中心地レーに向かうという計画。うまくゆきますかどうか。

9月3日(日)

早朝6時20分発のバス。川向こうの発着所まで徒歩15分ほど。ということで、目覚まし時計は5時にセット。起きられなければ、それはそれでいい。その程度に思っていても、ホラ、小学校の頃に遠足の日はパッチリ目が覚めたでしょ?あれと同じで、目覚ましが鳴る前に起床してしまった。でも、周囲は真っ暗だし、頭の中身もほの暗い。

顔を洗ったり、寝袋をたたんだり(予想以上に寒かったので、宿の毛布1枚では足りず、寝袋を持参して正解)しているうちに脳みそが活性化。まだ早かったけれど、ヨッコラショと荷を背負い、宿を出る。空をあおぐと満天の星・・という決まり文句通りの満天の星なんだが、実は星が多すぎて、黒い空にあてずっぽうで針をブスブス突き刺して穴をあけたようですな。

D&Aは私とは別の経路でレーに向かうので、前日に出発していた。Loは途中まで同じバスのはずなのだけれど、起きられたのかな?部屋の前を通ったけど、シーンとしてたなあ。起こせば良かったかなあ。などと思いながら、小さいライトで足下を照らしつつ、真っ暗な川沿いの道を歩く。はっはっはっと息を吐いてみる。夜の川がドウドウと音を立てて流れる。夜明けまで、まだもう少し。

バスが出る30分も前に発着所に着いたのに、もう10人くらいの乗客が暗いコンクリートの床にうずくまっている。待っている間に、少し空が白んできた。バスの本数が少ないから、かなり混みそうな・・と思った予感が的中し、満席になったバスに、どんどん乗客が乗ってくる。発車3分前、という時に、乗車口からLoの長~い顔と、それに続いて長~い全身が、ヌウっと登場。

「間に合ったね!すぐ発車だよ」と声をかけると、

「あと3分もあるの?じゃ、それほどギリギリじゃないね」

などと言うのですが、3分前ではやはりギリギリなんですよ。と言うのは、彼が予約した席にはほかの人が座ってしまっていて、それにそもそも、もう車内はギュウギュウ詰めで、乗車口よりも奥へは行けません。結局、Loは3時間ほど、手すりに寄っかかった状態で、立ちっぱなしでした。でも、途中下車する時には、「これから湖まで歩くんだ~。楽し~」と、疲れた様子はまったくなし。バイバイ。ロレンツォ。今度はアフリカかどこかで会おうか!

Loが下車したのは、スピティ渓谷とラホール渓谷の境界にあたるクンズム・ラという峠(標高4551m)。バスはそこを越え、昼過ぎにグランプー到着。到着といっても、ここは集落ではなく、軽食を出すテント店が1軒あるだけ。バスはここで南下してマナリ方面に行くので、私は降りて、キーロン行きのバスを待つ。本当に来るのかなあ?周囲360度、な~んにもないんですけど。

不安はあるものの、ここはとりあえずチャイ・タイムだよな。軽食屋の外でチャパティとチャイでお昼にしていたら、大きなスポーツバッグを持ったひょろひょろ背の高い兄さんが、どこからともなく現れて、

「バスはすぐ来るから」

それだけ言って、またどこかに消えてしまいました。実際、10分もすると北上するバスが来て、そこからキーロンまでは2時間ほどでした。

Kazakeylong_1

キーロン付近は少し標高が下がり(3300mくらい)、こんな風に木も生えている。さて、ここで相乗りジープを探さないと。


旅行日記 (20):食卓を囲んで

ここSakya Abodeには2階にレストランがあるのですが、味には全く期待していなかったのに、なかなかおいしく、得した気分。

モモなどのチベット料理よりもインド料理の方が得意で(チベット料理は町の食堂の方がおいしかった)、マタールパニールが美味でした。マタールはグリーンピース、パニールはカテージチーズ。それをトマトと玉ねぎのスープをベースに煮込んだカレー(インドではカレーとは言わないけどね)。野菜カレーと言っても、けっこうこってりしている。

Matar_paneer_1* ちなみに、こんなレトルトもあります。ほかにもダル(小さめのひよこ豆)とかノンベジ(肉入り)とか、いろいろある。輸入食品店やインターネットでお買い求めいただけます。味は・・う~ん、ですが(メーカーによって旨いところもあるそうです)、備蓄しておくと、急にインド食したくなったときに便利。


ダライラマ猊下のお写真がたくさん飾られ、その中の一枚に、例の生まれ変わり僧院長がダライラマ猊下に拝謁している写真がありました。ゲストハウス全体の何でも屋といった役割の青年に、写真を指さして、「僧院長に偶然お会いしたんだよ」と自慢したら、「それは良かった」とニッコリ。彼もそうだけれど、この辺のチベット系の人たちは、転生ということを全く自然に受けとめていて、特異なことだとは思っていないようです。「生まれ変わりなんだってねえ」と、こちらが興奮気味に言うと、「そうですけど、それが何か?」という反応が返ってくる。

そう言えば、この人が前年にデリーに行ったときのことを話してくれたんでした。親戚関係の用事が済んで、夕方に一人で遺跡見物に行ったら、4人組の若者にナイフで脅されて、お金を取られたんだって!

「ええっ!ナイフ・・・・。で、いくら取られたの?」
「700ルピー。有り金全部・・」

日本円にしたら2000円足らずですが、スピティで700ルピーと言えば、独身の人なら何週間か暮らせる金額です。デリーでは物価が高いから、700ルピーの使いではあまりないわけで、なるべく賢く倹約して使って、おみやげも吟味して、と考えていたんじゃないでしょうか。災難だったね。でも、無事で良かった。

夜はテーブルを囲んで団らんのひととき。D&Aは二人とも菜食なので、菜食主義者が多いインドでは菜食メニューが豊かでうれしいとのこと。耳にタコができるほど聞かされたところを見ると、どうやら肉食のニュージーランドでは理解者が少ないらしい。特にDはインド料理が大好きで、毎日毎日、朝から晩までインド料理一点張り。外国人旅行者の間でこういう人は珍しいのではないかなあ。香辛料を多用するし、油で揚げた料理が多いから、三度三度インド料理だと下痢をしがち。

食卓での話題はいろいろです。今回の旅行では、出会った人がほとんど皆、日本について具体的な関心を抱いていて、ここでも、3人が政治経済からファッションまで、あれやこれやと聞いてくるので、うまく答えられないことも多々あり、脂汗をかいてしまった。英語で話さなければならないという問題に加え、そもそも経済のことなんか、他人に説明できるほど「正確」には知らないもんね。矛先をかわそうというわけで、「たまたま3人とも30代半ばだけど、これからどうするの?」と、話を振ってみました。

D&Aはどちらも専門職で、大学で専攻した分野にそのまま就職し、ずっとその業種で働いてきているので、職業は安定している。いかにもデキル感じの人たちなので、再就職についても心配はないのでしょう。いずれイギリスに戻り、家を持ちたいということで、人生設計はかなりできている様子。

それに対し、Loはなんと小説家志望!処女作の初稿が完成して、文章に手を入れているところ。ソフトウェアの技術があるので、これまでイギリスとベルギー、さらにインドのバンガロールと、職には困らなかったけれど、その仕事は「お金のため。それ以外に何もない」。母国スペインについても、進んでいるように見えても、実際は古い制約がいろいろ残っていて、息苦しい国だと言う。たまに帰国しても、長くはいられない。落ち着き所はまだまだ見えて来ないようです。

「でも、いずれはヨーロッパに帰るんでしょ?もうバンガロールの会社は辞めたわけだから、ビザが切れるってことで?」
「そうなんだよなあ。あああああ、いやだいやだ。働きたくない」

なんて言ってる。ヨガを学び始めたところで、良き師を求めて放浪中。でも、「悟り」がどうのこうのと言ってヨガだのヒンドゥ教だのに入れ込んでいる西洋人たちを見ると、ウンザリするのだそうで。彼の場合、あくまでも身体を内側から正しく保つことが目的。実際、これまで体を無視して、かなり無茶をしてきたので、腰痛が出てきている(と言いつつ、トレッキングをしてしまっているからなあ)。

というわけで、いろいろな面で、「途上」という感じですね。でも、そう言いながらも、あせりは(今のところ)なさそう。小説家志望なだけあって、突っ込んだ話をしてみると、人間や社会について洞察に溢れる、かなり辛辣な、ひょっとすると絶望していると言ってもいいほどの見方をしているのだけれど、それを表面に出さない世渡り上手なところがある。英語だとstreetwiseという感じ。すぐに友だちができるタチで、実際、友だちづきあいという点ではマメな人。そこが生き抜く上で決定的な強みと見ました。

旅行日記 (19):いるはずの動物一覧

畏れ多くも19代目の生まれ変わりに拝謁した印象があまりに強く、その後、連れの3人といっしょに見学したゴンパの内部は、ぼんやりとしか記憶に残っていないのですよ、これが。でも、全体の印象として、建物がとても新しかったのが意外。後で調べたら、10世紀もの長い歴史の中で、何度も戦乱によって破壊され、建物自体はそれほど古くないのですね。ドゥカン(勤行堂)という中心となる建物は、ほんの数年前、カーラチャクラという法要を執り行う(脚注)ためにダライラマ14世が来訪されるのを期に、アメリカ人の寄進で建てたものだそうです。

さすがにこの地方の中心になる僧院だけあって、タボやダンカルよりもはるかに僧侶の数が多く、小坊主から皺だらけの坊さんまで、せかせかと立ち働いていました。ただし、キーに籍を置く僧侶は200人以上というのですが、インド各地に派遣されている僧が多いようで、常駐する人数はそれよりもだいぶ少なめ。

古いタンカなどを拝見した後、暗い堂内で老僧がお茶をいれていて、私たちにも振る舞ってくれました。冷え冷えとする暗いお堂の中で、とてもおいしくいただきました。寄進代わりに少し包もうかなあと迷っていたら、D&Aがポケットから財布の端を少し引っ張り出し、声には出さず、目で(少し置いて行く?)と聞いてくる。(どうしようか?)と、こちらも目で聞き返していたら、いつの間にか老僧は消えていました。お礼を言う暇もなかった。

そういえば、天台宗や真言宗の密教寺院(比叡山延暦寺とか)に行くと、お坊さんたちがスピーディーかつパワフルに日常生活を送っていて、やや意外な感に打たれることがありますが、チベット仏教の僧たちも、足の速い生まれ変わり僧院長様をはじめ、よく動きます。

午後、カザまで戻る頃には、高山病の症状がすっかり収まり、収まったとたんに猛烈な空腹に襲われる。一休みするという3人と別れ、若夫婦が経営する食堂でマトンヌードルにゆで卵を2つもつけてもらい、グワバグワバと爆食し、お茶もガブガブと爆飲。ちなみに、この程度の食事(Rs40)であっても、このあたりの住民にとっては、めったにない「ご馳走」です。外食できるような現金収入はないし、自宅でも肉はなかなか食べられないでしょう。

大満足状態でシーハーシーハーしながら歩いていたら、こんな看板を発見。

Signboard_1

この周辺のエコツーリズム観光資源案内図というわけです。右下の表を拡大してみましょう。こんな動物がいるのですね。

Animalindex

ま、最上段のユキヒョウは、本格的な調査隊を繰り出して、ようやく見られるかどうか、というほどの稀少な動物なので、「いる」と言っても、「どこかにはいるんじゃない?」ぐらいの薄~い存在感です。でも、実は今回、バーラル(表の下から2つめ。別名ブルーシープ)は見られるかなあと少し期待していたのですが、夏で標高の高いところまで草があるので、5000メートルぐらいに上ってしまっているとのことでした。草が乏しい冬には、町の近くまで下りてくるそうで、食害を防ぐために、リンゴ園の周囲はトゲのある木の枝で作った柵で囲んであります。

そんなわけで、鳥はいろいろ見ましたが、四つ足の動物で見たものといえば、結局はこれに落ち着くのね。まったく、インドではどこに行ってもいるんだよー。

Cowinkaza

脚注:この時の様子が「ダライラマの般若心経」という映像作品に少し出てくるようです。DVDにならないかなあ。短いバージョンは出ていて、般若心経の解説書つきで販売しているのですが、70分の劇場版の方でないと、スピティが出てこないかもしれない。そんなことを思っていると、ああ、あの草木も生えない、岩だらけのスピティが、やけに懐かしいなあ。

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