インド旅行2005

2005年4月インド北部旅行/第1回:テーマは神谷

2005年の旅行には、珍しくテーマがあった。それは神谷武夫!それ誰?と首をひねった方は、こちらをどうぞ。そのサイトでわかるように、本職は建築家です。でも、インドの建築物に対して並はずれた情熱を注いでこられた方で、ある掲示板で紹介されていた「インド建築案内」という本を買ったのが運のツキ。

この本、573ページの中に1800枚の写真(全部、神谷先生ご自身が20年間かけて撮影したもの)。これだけでも、素晴らしいという称賛を通り越 して、「どうしてこんなものを作ってしまったの?」とあんぐり口を開けるしかない過激さです。それに加え、その建築物にたどり着くための地図や交通機関の 図版まで添えてある。ガイドブックがなくても、この本の一部をコピーして行けば旅行ができそう。TOTO出版というところから出ているので、たぶん TOTOが利益を度外視して出版したのだと思います。だから、こんな分厚いカラー写真満載の本なのに、たった2800円という廉価!

この本のせいで、インド北部ヒマーチャルプラデシュ州のチャンバという田舎町と、同じ州のサラハンという、これまた田舎町に、行くしかないだろう!フガフガ(鼻息)となってしまったのでした。

しかも、この2つの田舎町をつなぐ旅程を考えていたら、とても魅力的な感じの鉄道路線も見つかってしまった。行かずにどうする!フガフガ。

さあさあ、こんなフガフガ状態で、ちゃんと旅行はできたのでしょうか。心配ですねえ。

第2回:エアーインディア~

2005年4月13日(水)

私は根っからの小心者です。米国で取った運転免許を、日本の道路での運転が怖いばかりに、日本の免許に切り替えるのを諦め、結局、免許を捨ててし まったほど。ですから、一部の旅行者のように「冒険」が目的で旅行するなんてことは、ブルブル(首を激しく左右に振って、たるんだ頬が揺れる音)、もって のほか!

それに、先代黒猫女王の影響で(いや、女王だけでなく、動物はだいたい変化を嫌うね)、日常のリズムが崩れたり、生活に変化が生じたりするのは、ち と苦手であります。目覚まし時計を使わない生活なのに、ほぼ同じ時刻に起き、同じ時刻に犬と散歩し、そんな毎日を繰り返しています。家のインテリアも、 10年間ほとんど変えていない。

こういう人間が旅行に出たがるということ自体が、そもそも不思議なのですが、要するに好奇心に負けるわけなんだな、きっと。事故や喧嘩があると、野 次馬の最後列で首を伸ばして見るタイプだから。で、旅行中はできる限り危険を避け、できる限り日常的な日々を送ろうとするわけです。

そのような私ですので、前年に南インドを周り、少しインドに慣れたとはいっても、「南」は「北」に比べたらラ~クラク!というのが個人旅行者の間で の常識と聞き、緊張感いっぱい。そこへもってきて、初めてのエアーインディアなのでした。今は成田からの便は全部直行便ですが、この当時はバンコク経由。

Airindiamascotmaharaja これはエアーインディアのマスコット、マハラジャさん。客室乗務員は、こんな格好はしていない。男性はシャツとズボン。女性はサリー。機内は恐れていたようなボロボロでもなく、サービスもごくごく普通で、ホッと胸をなでおろしました。

バンコクに遊びに行くという隣の席の女の子たちとおしゃべりしているうちに(「遊べるうちに遊んでおいた方がいいよ!」と、お説教というか入れ知恵というか、してしまい、後で考えたら、おばさん、チト恥ずかしいワ~)、あっという間にバンコク着。

ここで、周辺の席のお客さんがだいぶ入れ替わりました。ワサワサする様子をぼんやり見ていたら、斜め後ろで「ギャッ」という声が。えっと振り返ったら、長身の外国人カップルが、目を丸くして天井に目をやっている。よ~く見たら・・

ポタポタ・・・・ん?

窓際の天井から水が!

カップルが「すみませ~ん」と呼ぶと、豊満(意味はわかるね?)かつ妙齢(これもわかるね?)の女性が、すでに眉間にしわを寄せた表情で登場。うるせーなー、いちいち、ってことなんでしょうが、なぜ、そちらが、怒る?????

上を指さすカップル。その2人を、豊満妙齢の彼女は、フン!と文字通り、鼻であしらったのだ。そして、中学校の校長先生が生徒をたしなめる口調で、

「これは空調システムの結露。飛び立ったら止まるんだからー」

と言い放つと、水漏れしているところに右手でタオルを突っ込みつつ、左手で後方の空席を指さし、人差し指1本で、2人をそちらに誘導したのでありました。

う~ん。やはりあなどれないぞ、インド。

第3回:超人気ゲストハウス

4月14日

インド初日の宿泊先は、貧乏旅行者ではあるが、ある程度の快適さは確保したいタイプのインド好きの間で絶対的人気を誇る宿にしました。Master Paying Guesthouseというゲストハウスです。ニューデリーの中心から5キロほど離れた住宅街にあり、ごく普通の中流家庭に泊めていただくという雰囲気の宿です。

バスルームも共同だし、ホテルのような設備はないのですが、それでも個人旅行者に必要なもの(清潔な部屋、虫のいないベッド、眠れる程度に静かな環 境、ほかの客と話せるスペース)はすべて揃っている。それに、そこが経営者の自宅でもあるので、いつでもそばにいて、デリーの観光案内や旅行の相談に乗っ てくれる。私は野鳥のフィールドガイドを買いたかったので、そういう本を売っていそうな本屋さんを女主人に教えてもらいました。

それで1泊1500ルピー程度(当時、1ルピーは3円弱。私はオフシーズンに泊まったので、900ルピーに値下げ)。こういうところが案外ないんで すよ。ちょっとしたホテルだと1万円超えるし、千円以下の安宿は不潔だったり、かと思うと、宿の方は清潔でも、泊まっている客の方が不潔だったり(!)。

Masterpayinggh0123

どうです。感じいいでしょ?この写真の右側が私の部屋。

ただ、とにかく人気の宿であるうえに、4部屋しかないので、インド旅行のハイシーズンにあたる10月から3月ぐらいまでは、数ヶ月前に予約しないと取れません。

上の写真の手前にあたるところがベランダで、宿泊客たちがくつろげるようにテーブルとカウチが置いてあり、1泊した翌朝、そこで朝ご飯を食べていると(簡単な食事も出してくれる)・・

Squirrel0123

こんなかわいいお客さんも。さては、ここで宿泊客からパン屑をもらっているな。

そこへ30才くらいのカナダ人夫婦がやって来て、お茶しながらおしゃべり。ちょっと興味深いカップルで、彼の方はスノーボードなどのウィンタースポーツ用品のマーケティングが仕事。彼女の方は、なんと、大学の哲学科の先生。

「うわっ!すごーい!すんごく知的な仕事だね」と、私はちょっと興奮してしまった。ご本人は、いえいえ、そんな、なんて言いながら、ヒラヒラ手を横に振っていたけれど。

彼の方は、なにしろスノボーが専門ですから、「暑いのはダメなんだ。早くデリーから逃げたいよ」と、着いた翌朝だというのに、すでにぐったり状態。でも、学生の頃に一度、インドに来たことがあり、

「まだ子どもだったから、オートリキショーなんかも、ガイドブックに書いてある値段より1ルピーでも高く言われると、バカにされたと怒りまくってた。絶対に値切ってやる!と息巻いてね」

と、ほほえましい話をしてくれました。でも、これからネパールに行くから、暑さはここだけとのこと。

トレッキング?とたずねたら、彼女の弟さんが数年前に登山中に滑落して亡くなられたのだそうです。その場所を訪れる予定。

「どうしても一度は行かなくては、と思っていたの」と、彼女の方は、ちょっと遠くを見る視線になっている。

「なにか儀式のようなことをするの?」と聞いたら、彼の方が、

「そーだなー。べつに何も考えてなかったけど、好きだったタバコでも置いてこようかな。ね?」

と言いながら、チラと彼女の方を見た目がとても優しくて、いい夫婦でした。

第4回:インド鉄道でお茶を

4月14日(木)続き
インドが真夏にさしかかるこの時期、ただでさえ暑くてうっとうしいのに、デリーでは地下鉄工事が山場を迎え、中心街で あるコノートプレースあたりはデコボコと煙モウモウで、最悪の環境。その中、黒い汗を流してフラフラしながら歩きつつ、「こんなことしてるのは観光客だけ だよ」と思ったら、そうでもなかった。暑い中、がんばる人たちがいました。

Rally0218_2

どうも見慣れた光景で、とても小さいけれど、いちおう政治集会みたいです。規模は小さいが、ご覧の通り、おっさんたちは熱い!私と同じくヒマ人らし い男性が足を止めたので、何をしているのかたずねたら、船舶用燃料が値上がりしたとかなんとか、そんな問題で、その業界関係のおっさんたちが集会とデモを 打ったのだそうです。インド人は議論好きで政治好き・・なんて言っちゃいけないな。好きでやっているわけではなく、政治を持ち出さなければならない問題 が、頭がクラクラするほど、次から次へと持ち上がる国なのでした。

Cpim0218 そんなわけで、いまだにこの懐かしいマークが見られる国でもあります。ご多分に漏れず、インドの共産党もだいぶ前に、共産主義に忠実な派、資本主義も取り 入れつつという派、その他にもありそうですが、まあとにかく、いろいろ分裂。これは Communist Party of India (M) のMでわかるように、マルクス派です。右のヒンディ文字がカッコいいね。

列車の予約はインターネットで入れたのですが、ニューデリー駅近くのインド鉄道事務所で切符を受け取ることになっていました。いちおうニューデリー駅まで行き、どこかな~とあたりを見回していたら、中年の男性に「どうしたの?」と聞かれ、事務所の場所をたずねたら、

「ああ。いっしょに行ってあげますよ」
(むむ・・。これが噂に聞く tout というやつかしら・・?)

ちょっと説明すると、インド旅行に付き物なのがこの tout(タウトゥと発音する)です。旅行代理店の回し者とか、オートリキショーやタクシーの運転手とかで、詐欺というほど悪質なものでもないのだけれ ど、自分が契約している店にむりやり観光客を連れて行き、手数料をもらうことを仕事にしている皆さんです。

たぶんそうだろうなあと思いつつ、どんなことを言うのか興味もあったので、ちょっとついて行ったら、鉄道事務所らしき建物の前を通過しようとする。

「あれ、ここじゃないの?」
「違う違う。そこはインド鉄道の別の部門」

嘘ばっかり。でも、

「年はいくつ?」(驚いてはいけません。インドでは、初対面の女性に年齢をきくのは全然オッケーなんだよ)
「50だよ」
「ははあ。それぐらいだと思ったよ」
「だめじゃん。もっと若いと思ったってビックリしてみせなきゃ」
「ハハハ」

なんて話しながら、そのままブラブラついて行ったら、案の定、いろいろな国の国旗が描かれた看板が見えてきました。

「あのね。私は旅行代理店に行く気はないから」

と言ってバイバイ。背後で「列車とホテルをパッケージにすると安いよー」などと叫んでいたけれど、そのままチャカチャカと先ほどの建物に戻りました。

中に入ると、さすがにそこは(たぶんコンピュータを使うから)エアコンがかかっていて、一息つける状態。そこで若い男性に切符引き替えのためのプリ ントアウトを渡したら、係の人が席をはずしているとかで、ちょっと待っててね、と言われ、丸椅子に腰を下ろし・・たところへ、その兄ちゃんがコーヒーを 持ってきた!

ひえー。なんという歓待!国営鉄道だから、ここはお役所みたいなもんなのに。世界中にほかにこんな役所があるでしょうか、と一瞬、感銘を受けそうに なったけれど、いや待てよ。コーヒーを持ってきたということは、それを飲むだけの時間、待たされるということではないか!とガックリ。

でも、ただのコーヒーの威力はすごい。飲んでいたら、あっという間に時間が過ぎ、15分ぐらいで係の爺さんがひと抱えもある黒い表紙の宿帳みたいなものを持って登場。バサッとそれを開き、ここにサインね、と言われたので、覗き込んだら、それはなんと、手書きの帳簿!

クラクラしました。だってね。インターネットで予約を入れているんだよ。そのデータはデジタルのはずなんだよ。それをわざわざこの爺さん(または誰かほかの人)が帳簿に書き写し、それに私がサインするという、このシステムは何なのか?

でも、ま、いいか。これでちゃんと切符が受け取れたんだから。コーヒーも飲めたし。ノープロブレムね。

第5回:デリーで慢心する

4月15日(金)

ここは認めるしかないでしょう。そうです。私は慢心していました。「いい気になる」というやつです。

前年に南インドを旅行し、インドは経験済みでしたが、南インドはもともと評判のいい地域。でも、北インドについては、「悪い奴らでいっぱい」とか 「ぼられる」とか「密室に連れ込まれて宝石を売りつけられる」とか、怖い話をいろいろ小耳に挟んでいたので、かなりビクビクしてデリーに到着した私だった のです。

ところが、前回ご紹介したように、tout も大したことないし、オートリクショーの運賃も、ゲストハウスの女主人からは「コノートプレースまで40ルピー」と言われたのに、30ルピーで行ったりし て、鼻高々。わずか10ルピー(30円弱)で鼻高くするなよおと言われるかもしれませんが、こういうのは得意になるんですよ。

「土地の人は40で行ってるみたいなんだけどさ、運ちゃんと交渉して30になったよ」

一生に一度でいいから、さりげなくこのセリフを吐いてみたいと切望する個人旅行者がどれほどいることか!

そんなわけで

デリー、大したことないじゃん!

それに、帰り道がわからなくなって、住所が書いてあるゲストハウスのカードを持って、同じところをグルグル回っていたら、車で通りかかった青年がカードに気づいたようで、ゲストハウスまで送ってくれたんですよ。

デリー、親切じゃん!

たかだかこれだけのことで、なんだかすべてがうまく行くような気になってしまったのです。しかし、好事魔多し。緊張感が緩んだのがまずかったあ。

まずはちょっとした失敗から。

フマユーン廟(こちらで神谷さんの写真をご覧ください)というイスラム建築を見学しようと、例によってオートの運ちゃんとナンジャカホンジャカと交渉。納得できる値段にまとまり、フンフンと鼻歌を歌っているうちに到着。料金を払ってオートを降り、入口まで行って、ハッと気づいた。

違う・・。

違う遺跡だった。フマユーン廟の周辺は庭園になっていて、そのはずれにある遺跡の前で降ろされてしまったのでした。気づかないこちらがバカなんだけ どさ。しかたなく、そこもいちおう見ましたけどね。でも、35℃の炎天下、日陰がゼロの中、フマユーン廟までの数百メートルを歩くのは、しんどかっ た・・。

これでちょっと気を引き締めれば良かったんだよなあ。でも、ゲストハウスに帰って、女主人に今日の夜行でパタンコットに行って、そこからバスでチャンバに向かうと話したら、

「あら。私の母の一族が昔、チャンバに住んでいたのよ。きれいな所。涼しいし。いいわねえ」

これでまた、いい気になってしまった。ふふふ、私の選択は正しかったね。

さて、夜になり、たっぷり1時間も余裕を見てニューデリー駅に到着。右往左往する人の波をぼんやり見ているうちに、出発時刻の9:10が迫ってく る。でも、アナウンスがない。準備が遅れているのかなあ・・と思いつつ、さすがに9:00になると、これはおかしいと不安になり、窓口でたずねると、

「その列車はニューデリーじゃなくて、古い方のデリー駅始発だよ」

グワーン!

「2キロぐらいあるから、もう間に合わないな」

グワグワーン!!

「ちゃんと切符に書いてあるだろ」

グワグワグワーン!!!

あきらめるしかないです。次のパタンコット行きは早朝。それに乗ることにして、マスターペイイングゲストハウスは予約がいっぱいだし、今夜は駅の近くで1泊するしかない。ああ~、夜のデリーで宿探し。泣けるナア。メソメソ。

蛇足:「インド旅行2006」でご紹介したように、今は地下鉄があるので、このゲストハウスへも、ニューデリー駅からデリー駅へも、オートを使わず に地下鉄でラクラク行けます。便利になったのはデリー市民にとっても観光客にとってもうれしいことだけれど、オートのおっちゃんたちにとっては打撃だった んだろうなあと思うと、なんだか悲しい。料金の交渉という面倒がひとつ減ったのは確かだけれど、やっぱりつまらないしね。

第6回:インドの連ドラ

4月15日(金)続き
そんなわけで、ニューデリー駅を出て、宿探しかあ、はふう・・とため息をつきつつ、周囲を取り巻く旅行業従事者諸氏の 「どこ行くんだー」「タクシー?タクシー?」「ゲストハウスはこっちだあ」という声を片耳で聞きつつ、Lonely Planet(個人旅行者必携本。「地球の歩き方」を10倍ぐらい詳しくしたものと思ってください)を開いたとたん、あ、と思い出した。

ゲストハウスを決める前に、ニューデリー駅近くの中級ホテルも候補に挙げていたのでした。2500ルピー(7000円ぐらい)と高くて、やめたのですが、それ以外は良いホテルだったので、そこに決定。

空室があり、あっさり部屋に落ち着きました。でも、ただ数時間眠るだけでこんなに払うのはクヤシイ!というわけで、テレビをつけ、お湯をジャンジャン出してシャワーを浴び、ガシガシ洗濯。地球にやさしくない旅行者。そこへ聞き覚えのあるテーマミュージックが。

あわてて洗濯を中断してテレビを見ると、あー!まだやってた!これ。Kkusum(どうやっても、カタカナにできない発音です。アルファベットだって全然表現できてないもん)という月曜から木曜に30分やる連ドラなのだ。

前年に南インドを旅行した時に、テレビで見ていたのですが、なにしろヒンディー語は全くわからないし、飛び飛びに見るから、正確には内容がわからな い。でも、そこは30分の連ドラ。あらすじは万国共通。Kkusumという美しく(これは必須だ!)しとやかな(これは、かつては全方位的に必須だったよ うですが、最近は中高年ファンの間でのみ必須)女性が主人公で、金満家の婚家を追い出され、女手一つで娘を育て、その娘が美しく(必須!)成長し、そこへ かつての夫と再会したら、夫の再婚相手が性格悪くて(必須!)ケバケバしい(必須!)女で、その娘が可愛いけれど意地悪(必須!)で、Kkusumの娘を 平手打ちしたりして、いじめまくる

全く言葉がわからなくても、これぐらいのことは、わかってしまうのであった。母と娘がほとんど同年齢に見えるなんていう細かいことでブツブツ言ってはいけないというところも、万国共通なのだ。

そんなわけで、列車には乗り損ねたけれど、ベッドでボリボリお菓子を食べながら連ドラを見るという普段は全く興味のないことが、なぜかインド旅行中は楽しいっていうのも、不思議ですよねえ。

第7回:今度はバスで

4月16日(土)
夜遅くまで連ドラの再放送なんか見ていたら、夜明け前に起きて5時の列車に乗るなんて、とても不可能な事態と相成り、どうでもいいやあと適当に起きて適当に駅に行ったら、駅員さんの方で、

「パタンコット行きはもう午後までないけど、チャンディーガルまでの列車ならすぐ出るからな。そこからバスでパタンコットに行け」

と、勝手に決めてくれました。チャンディーガルに着いたのはお昼頃。

チャンディーガルは1947年の印パ分離独立後、インド側パンジャーブ州の新州都に指定された場所です。ル・コルビュジエという、とんでもなく偉~いフランスの建築家(どれほど偉いかはここをご覧ください)が、ここの都市建設をまかされ、碁盤目状の道路も公共施設も(たとえばこんなの)一切合切ひっくるめて、「ここがインドか!?」と目をむくような、すごいものを作ってしまいました。

それはすごかったんだけれど、残念ながら、分離独立後の印パ関係という残念な歴史の流れの中で、パンジャーブ州はもみくちゃにされ、公共施設への出 入りが自由にできなくなるなど、建物にとっては不幸な経緯がありました。それに、すんばらしい現代都市を一歩離れるとスラムが広がるという落差に眉をひそ める人もあり、「モダニズムの都市計画の失敗作」と書かれちゃったりしてる。ただし、神谷さんは、都市計画には批判があるとしても、「コルビュジエの建築 はインドの感覚によく合っていた」というご意見です。

ま、今回はヒマーチャルプラデシュ州がメインだったので、ここには寄らないことにして、運動場のようにだだっ広いバス発着所まで来たのですが、どの バスに乗ればいいのか、さっぱりわからん。デリーとは大違いで、オートやタクシーの客引きも全然いないし、誰も寄って来ない。ポツンとたたずんでしまっ た。

そばを通りかかった20才くらいの青年に「パタンコット?」と聞くと、どうやら彼にもわからない様子なのですが、キョロキョロしながら、手のひらをこちらに向けて(ちょっと待て)というような仕草をすると、タタタッと走り去ってしまった。

(誰かに聞いてくるという意味?)と首をかしげていたら、遠くの人混みの中に時折、青年の姿がチラチラ見える。ところが、それがもう、その広い発着 所のあっちゃこっちゃで、なーにをやってんだか。あいつはダイジョブか?と、こっちが心配になる。でも、5分ほどして無事に走って戻ってくると、あれあ れ、と1台のバスを指さし、こちらが「ありがとう」と言うのもろくに聞かずに、さっさと消えてしまいました。

ここからパタンコットまでは5時間ほど。夕方までには着くなあとバスに乗車した・・

・・ところまでは良かった。問題はバスからの降車。途中、何度か停車し、乗客の乗降があったのですが、ある大きな発着所では、客の大半が降りてしまいました。どこかなあ?なんて窓の外を見ているうちに、入れ替わりにドッと新しい乗客が乗ってきて、満杯状態で発車。

(あれ?車掌さんが変わってる。ターバン巻いてるからシク教徒だ)

ターバン車掌は乗客に切符を売ったり、持っている切符を調べたりしている。混み合う車内を徐々に進み、私のところにやって来た。はい、と切符を見せたら、車掌さんがビックリして、

「パタンコット!&%$#X!!」
「へ?」

私の周囲の乗客が全員、椅子から飛び上がり、

「&%$#X!!ナンジャカホジャラカー!」と叫び始めた。乗客の中の一人が英語で「パタンコットはもう過ぎたぞ!このバスはジャンムー行きだ!」

ありゃまー。さっきのところがパタンコットだったのか。このバスはパタンコットが終点じゃなかったんだ。

「あ、どもども、ほんじゃ私、降ります」と、バックパックをごそごそ持ち上げる私の周りで、乗客たちは大興奮。相変わらず、口々にナンジャカホジャ ラカーと叫び、運転手に向かってああだこうだと言っている人もいる。そのうちバスが停車。道ばたに食堂兼雑貨屋のような店がある。どうやら乗客の皆さん、 「食堂のあるバス停で降ろせば、そこで逆方向のバスを待てる」と、運転手に言ってくれたようです。

降りたら、ターバン車掌がわざわざ後から降りてきてくれました。食堂の兄ちゃんに「ハニャランホニャラン」と説明している様子。兄ちゃんはチラと私と視線を合わせ、よし、と頷いてくれたので、たぶんパタンコット行きのバスが来たら教えてくれる模様。

「ありがとう」とターバン車掌に礼を言い、待たせて悪かったなあと、発車するバスの窓からこちらを見ている乗客の皆さんに手を振ったら、皆さんもうれしそうに手を振り返してくれました。

そこの食堂に落ち着き、チャイと揚げパン(全部で20ルピー。甘い揚げパンが旨くて食べ過ぎた)で早めの夕食を取りながらよくよく考えたら、万が一 あのまま終点のジャンムーに着いていたら、ジャンムー・カシミール州に行くところだったのでした。旅行の予定を立てるときに、カシミールにも少しは食指が 動いたのですが、印パ関係がまた不穏になり、爆弾で死傷者が出たなどとニュースが流れていた時だったので、あきらめたといういきさつがあった。

旅行者は「危険だから行くのやめた」なんて簡単に言えるけれど、あのバスで終点まで行く人たち、そこに住んでいる人たちは、危険だから帰るのをやめ るなどとは言えないもんなあ。帰宅したら、「すんごくおかしなことがあったんだぞ。中国人みたいな変なチビのおばさんがバスを乗り過ごして大騒ぎさ」なん て、家族に話すのでしょうか。少しは娯楽を提供できたとしたら、私としても大変うれしいのですけれどね。

第8回:忘れじのアブドゥラ

4月17日(日)

無事、逆方向のバスに乗ることができ、パタンコットに到着。バス発着所のそばにある宿に泊まり、翌朝、ようやく(!)旅のとば口まで来ました。

こんなバスで(2006年の旅行日記に使った同じ写真ですが)チャンバを目指します。

Bus0308

チャンバまで6時間。途中、何度か休憩がある。こんなところで。

Street0308

江戸時代の宿場町みたいでしょ。黒沢の「用心棒」の宿場町って、こんな風景ではなかったでしょうか。

さて、途中で私の隣に男性が座りました。その名もアブドゥル・レーマン。なんて簡単に言っていますが、なにしろお互い、まったく言葉が通じないので、名前の交換までに数時間が経過しているのであります。

その間、私たちが何をしていたかというと、最初は無言です。2人とも正面を向いたまま。でも、チラチラ横を見たりして。そのうち、私が膝の上に置い ていた英語の本に、横から手が伸びました。アブドゥル氏は、まったく無言で、その本を手に取ると、表紙をしげしげと眺め、ひっくり返して裏表紙をしげしげ と眺め、パラパラとページをめくり、ふううう~と鼻から息を吐き出し、ゆーっくりとした動作で、私の膝に本を戻しました。

こういうことが行われたとなれば、これはもう2人は知り合い・・だよね。と思ったので、私はカメラを取り出し、OK?と聞いてみました。氏はやや警 戒するように目を細めましたが、重々しくうなずいた。そこでカメラを向けたら、「ちょっと待て」という仕草をして、慎重に右斜め上に視線を定め、「このア ングルで撮れ」(!!!!!)。カメラを持つ手が震えたね。

Abdul0308

その後、次の休憩所で氏は外でレーズンを買ってきて、「喰え」と。いただきま~す、だけでは悪いので、こちらは持っていたバナナを差し出すと、「俺 は本当はいらんのだが、女子に対する礼儀としてもらっておくのだ」という様子。実際、膝にバナナを載せたままで、食べていなかったような気がします。

それからまた少し無言の時間があり、氏が持っていた袋から何かを取り出した。氏は私の方に手を突き出し、パッと手を開くと、手のひらに指輪が載っている。

は?と目を丸くしましたが、氏は顎をしゃくって、「取れ、取れ」というジェスチャー。いやー、そんなーと言おうとしたのですが、どう言ったらいいのかわからない。手を振って断ったけれど、氏は指輪をつまみ、私の手に押し付ける。で、しょうがないので、いただきました。

Ring0308 これがその指輪。

これって、どういう意味があるのでしょうか。それとも特に意味はないの?べつに高価なものではないから、レーズンと同じように受け取っておけばいい のでしょうか?名前からしても、見たところも、イスラム教徒なのだけれど、イスラム教徒というのは、見知らぬ女子にこんなものを与えていいのか?

ふ~む。

なんだかなーと思いつつ、途中、見事な職人技のタイヤ交換があったり、そばに座った女性が連れていた女の子が皮膚病らしく、腕の半分以上が真っ黒になっていて、アブドゥル氏がそれを触って何やら母親に言い、母親を怒らせたり、愉快な旅が続きました。

そしてチャンバ到着時、そんじゃねーと言ったら、アブドゥル氏、ニカッと歯を見せるやいなや、ムギュと私の左のオッパイをつかんだのでありました。 怒る間もなく、逃げて行ってしまいましたが、正直言って、この年になると、オッパイつかまれたぐらいでは、自然な怒りは湧かないんだよなあ。まあ、女性の 一人として、こういう時は怒らなければいけないんでしょうね、はいはい、それじゃ怒っておきます、って感じ。

ところで、指輪はこの代金ということだったのでしょうかね。安い指輪と小太りおばさんのオッパイ1個おさわり。これは適正な取引でしょうか?

第9回:チャンバ

Chambahimalaya0314

インド北部ヒマーチャルプラデシュ州のチャンバは遠くヒマラヤを展望する山間の町。標高1000メートル弱なので、インドで猛暑期に入りかかる4月でも、朝晩はひやりとする涼しさです。ほんの2日前には喧噪のデリーで黒い汗を流しつつ彷徨していたとは信じられん。

町は日本で山間の温泉町に見られるような作りで、川とその周辺の窪地が、公共施設が集まる町の中心。大勢の人が集会を開けるチョウガンと呼ばれる広 い草地もあります。住宅地はその周辺の斜面にあり、水平方向の細い道を小さい階段で上下につなげています。この写真は上からチョウガンを見たところ。

Chamba0314

空気がさわやかで風光明媚で、まるっきり保養地の趣。お年寄りが犬の散歩の途中で立ち話をしていたりして、とにかく気持ちのいい町。夕方になると、 チョウガンや川沿いをそぞろ歩きする人の姿が目立ちます。乞食も少なく、いても、身体に障害があるなど、いわば「もっともな」理由のある乞食ばかりです。 あまりにいい気分だったので、つい5ルピーも(!)バクシーシしてしまった。

Chambafire0314

気持ちよく暮らしていると、心に余裕が出てくるのか、消防署まで、こんな風に可愛くなってしまう・・のではなくて、たぶん元々あった建物を借用したのでしょう。でも、消防隊員さんの背後にある消防車が建物にマッチしているし、ベンチも可愛い色に塗ってあるしねえ。

Chambafiremen0314

なんだかね、いかにも用事がありそうに、隊員諸氏がぞろぞろ現れたので、これはもうカメラを向けるしかなかったね。火事はあまりないとのことなので、遭難などの他の事故への対応で忙しいのかな。

Chambatemple0314

これがこの地方独特の建築様式で建てられたヒンドゥ教寺院。菅笠みたいのをかぶってるのね。内部の撮影には許可が必要なので、外から撮りました。内部は神谷さんの写真でどうぞ。

日本でも神仏習合があるように、ヒンドゥ教と言っても、ヒマーチャルのような中央から遠く離れた山国になると、土着信仰との融合が見られ、正統派ヒ ンドゥ教のような「熱烈信仰」という雰囲気が希薄です。宗教というのは人の日常生活や気持ちのあり方に影響するので、チャンバ全体に、なんとなく、ゆる~ い感じが漂っているのは、そのせいかもしれません。

Chambawall0314 一般住宅の建築も独特で、木材が豊富だし、地震の心配もあるということで、こんな風に石と木を組んでいます。

でも、ここにも近代化の波が押し寄せ、新しく建てられる住宅はことごとくモルタルやコンクリートで、味気なくなりつつあるようです。それでも、ピンクに塗ったりして、その辺はいかにもチャンバらしいけれど。


Chambahouse0314

これは伝統的な建て方の家。政党か組合の事務所か集会所のようでした。

Chambawoman0314男子中学校に住み込みで働いている女性。やはり気温の低い土地柄で、女性のファッションも、サルワールカミーズと言っても、上衣がふくらはぎぐらいまでの長いものでした。ショールのかけ方も、ちょっと変わってるかな。

第10回:続チャンバ

4月18日(月)

そう言えば、ご飯はどうしていたかというと、夕食は宿に付属のレストランで、朝と昼はダーバと呼ばれるこんな軽食屋で取っていました。

Dahba0316

左側に山盛りになっているのは、サモサという中身が野菜だけの揚げ餃子みたいなもの。右は、平たいのがプーリというパンで、その下にあるのは、マッ シュポテトに薄甘い味をつけたようなもの。プーリにこれを挟んで食べる。こういう軽食にチャイをつけて、8ルピーか10ルピー(20~25円)。奥に 4~5人横に並んで座れる席があります。

なにしろ山国なので、観光も足が勝負という要素がある。こういうものと熱いチャイで腹に力をつけないと、山の上の寺院までたどり着けないのだ。とばかり思っていたら、後でガイドブックを読むと、山を迂回する舗装路があって、タクシーでも行けるのでした。

しかしまあ、それを知らなかったので、長~い階段をフウフウ上り、たどり着いた寺院には、こんなナンディ(シヴァ神を乗せる牛の神様)がいました。

Nandi0314

牛・・には見えない・・が、ヒンドゥ寺院にいるんだから、牛のはず。硬貨やお菓子のお供えがあったので、私もベロリと舌を出したナンディの口に1ルピーお賽銭を置いてきました。

それにしても、ちょこんと菅笠をかぶったお寺や、この丸まっちいナンディと言い、カラフルな消防署と言い、なんでもカワユクなってしまうというのは、土地柄なのでしょうか。

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