インド旅行2006

2006年9月インド・チベット文化圏

18日間の旅行に出ていました。インド北部のヒマーチャルプラデシュ州東部(去年はここの西部を回った)の高地をグルリと回ってから、インド最北端のラダックに行ってきました。

一度にはとても書ききれないので、写真を入れながら少しずつ報告してゆきます。

風に舞うタルチョ(チベット仏教の経文が書かれた旗)
Gyormreduced_2

第1回:デリーまで

今年の旅行は昨年の続きということで、インド・ヒマーチャルプラデシュ州東部の中国国境側山岳地帯をぐるりと周り、最後にインド北端のラダックまで足を伸ばします。地図ではこんな感じ。
Himachalmap
大半は山また山のチベット文化圏なのですが、その前にまずはデリーを通過しないわけにはゆかないので、やっぱりインドなんだ。「しないわけにはゆかない」 と、つい書いてしまうわけですが、べつにデリーが嫌いなわけではないんですよ。好きなんだけど、どこの国でも都会は疲れるからねー。ただ、今回、デリーで は1つ楽しみにしていることがあった。デリーで地下鉄に乗る。驚いてはいけない。デリーに地下鉄が開通したんですよ。う~、楽しみだあ。

さて、8月24日木曜。例によって前日までは「旅行直前行きたくない病」が出て、「ああ~いやだ。旅行に行ったからって何があるわけでもないしな あ」とウジウジ。ところが当日になると、これまた例によって、起きたとたんにアドレナリンが出っぱなしの躁状態で、いてもたってもいられず、予定していた 時刻よりも早く家を出て、結局、成田エクスプレスに乗車する戸塚で30分以上も時間をつぶすことに。

成田空港は特にセキュリティが厳しいこともなく、搭乗前にボディーチェックがあっただけ。エアーインディア機の機長がなかなか愛想のいい人で、飛行 高度や気象状態だけでなく、「左手に富士山が見えまーす」とか、「バングラデシュ上空を飛行中でーす」とか、バスガイドさんみたい。そのたびに乗客は首を 伸ばして、「ほほお」とか「見えな~い」とか、ザワザワ。

デリーには予定より早く午後4時に到着。その日の22:00発の夜行列車を予約していたので、まだ半日ある。昼間だし時間の余裕もあるから、市内ま で普通のバスで行くことに決定。50ルピー(1ルピーは2.6円くらい)。車体デコボコ、ガソリンの臭いムンムン、座席のビニールは破れ、全面砂ぼこりで 覆われ、座ったとたんにお尻が汗でべったり座席に貼りつく。ああー、インドに来たんだなー。

途中からバスが混んできてギュウギュウ詰めになり、乗客の体臭と窓から吹き込む熱風で、ますますインド感充溢。通路に置いた私のバックパックの上 に、乗客が勝手に腰掛けるのも、私が降りようとすると、そばにいた人がさっとバックパックを持ち上げて背負わせてくれるのも、いかにもインドです。

何が「いかにも」かと言うと、これらの行為が無言で行われるという部分。「あのー、ちょっと腰掛けていいですか?」「ええええ、かまいませんよお。 どうぞ」とか、「背負わせてあげましょうか?」「あらまー、それはどうもかたじけない」とか、そういうやり取りが一切ない。ヒンドゥー語の教科書にも、 「すみません」や「ありがとう」という言葉は存在するが、本当に悪いことをしたり、実にありがたいことをしてもらったとき以外はあまり使われないと書かれ ている。あるインド人が言っていたのですが、微妙な動作や視線が言葉の代わりをするのだそうです。そう言われてみると、確かにちょっと肩が動いたり、チラ とこちらを見たり。以前、バスで幼児が飲み物をこぼして服が汚れたときに、その子どものお母さんにティシューを渡したら、お礼の言葉は何もなかったけれ ど、ちょっと顎をしゃくるような仕草をしていました。あの有名な顎を左右に振るインド式のOKサインも、「了解」だけではなく、「気にするな」とか「どう いたしまして」とか、そんな風にも使われる。

40分ぐらいかかったでしょうか。車掌さんにConnaught Placeで降ろしてくださいと頼んであったので、間違えずに降りられ、そこから数分歩いて地下鉄に。地下鉄はどこの国でも(少なくとも素人目には)ほと んど同じで、デリーの地下鉄も構造とシステムはごく普通。切符売り場で「~まで」と言ってお金を払うと、プラスチックの丸いトークンをくれる。それを改札 口の読み取り機にタッチ。出るときはそのトークンをスリットに入れる。Rajiv ChowkからChandni Chowkまで3駅2キロほどで8ルピー。予想よりもやや高かったけど、オートリクシャーよりは安い。

ところが、普通でないことが1つ。改札口の前で「ボディーチェック」!本当だよ。男女に分かれて、女性は婦警さんが担当。荷物の中身も調べる(バッ クパックも開けさせられた)。当然、長蛇の列ができ、そこで大渋滞。ほかの乗客たちは特に文句も言っていないようだったので、これは臨時の措置ではなく、 普通に行われているのだと思う。ムンバイでテロがあったばかりだし、次はデリーが標的という不安があるのでしょうか。確かにテロリストなら、「インド新時 代」の象徴であるかのように鳴り物入りで開通した、この地下鉄を標的にするかもしれない。

第2回:デリーでマック

そういうわけですので、地下鉄駅構内の写真など、とても撮影できる雰囲気ではございません。カメラを出したとたんに警察官がとんで来そう。残念。路線図はインターネットでダウンロードしました。今回乗った部分はこうなっている。

Routemap

Chandni Chowkが旧デリー駅の最寄り駅なので、そこで下車。乗車したRajiv Chowk(Connaught Place)付近は高級店が並ぶニューデリーの繁華街で、地下通路もピカピカだったのですが、旧デリーのこの駅では、開通から1年も経過していないという のに、地下通路はすでに薄汚れ、壁や天井にも茶色いシミが浮き出て、照明がつくはずのところがポッカリ空洞のまま放置されている。鉄道駅を表す列車のマー クをたどって地上に出ると、なにやら工事中で、どこかの水道管が漏れたのか、水がザーザー流れて地面はドロドロ状態。つま先立ちで駅まで歩く道すがら、左 に屋台が並び、浮浪者なのか労働者なのか修行者なのか不明な半裸の皆さんがウロウロ。ああ、本当にデリーに来たんだわあ。なんだかホッとするなあ。

薄暗い駅舎内は人でごった返し、こぼれたジュースや赤ん坊のおしっこでベトベトするコンクリートの床に家族連れがうずくまり、その横では中年男が熟 睡中で、その間を野良犬が走り回り、額に脂汗を浮かべた青年が、一家を代表して列車の運行を確かめるべく、慣れない時刻表を読もうと眉をしかめ・・相変わ らずです。そのごった返す中、人の波をクロールでかきわけて前に出て、時刻表でKalka行き列車の発車ホームを確かめ、一時預かりにバックパックを預け (10ルピー)、それでもまだ7時にもならない。さあて、どうやって時間をつぶそうか。

列車でもホカ弁を注文できるのですが、10時ではちょっと遅すぎるので、何か食べることにする。来た道をそのままたどり、また地下鉄で Connaught Placeに。ドアの前にガードマンが立っているようなレストランに入るのは気が引けるし、と迷いつつ、「どこに行きたいんですか?道を教えてあげます よ」という、ご親切な男性たち(旅行代理店か観光客相手の店の客引きです)をかわしつつ、ブラブラ歩いていたら、見慣れた金門のマーク。あっ、これこれ。 中を見てみたかったんだ!

店の内装は普通のファーストフード店と変わりませんが、メニューはインド限定!veg(ヴェジ:菜食)とnonveg(ノンヴェジ:非菜食)のメ ニューに分かれ、ノンヴェジといっても、もちろんビーフはないし、ポークもない。ここでノンヴェジといえばチキン。ヴェジメニューを「100%ピュア!」 と謳っているのは、以前に排斥運動が起きたりしたこともあって、ダシにも動物は使っていないと強調しているのでしょうか。ヴェジメニューには野菜バーガー だけでなく、ブロッコリーとマッシュルームのこんなのもあった。
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今日はノンヴェジにすることにして、薄っぺらなチキンティッカ(*脚注)バーガーとアイスティーで40ルピー。いくら物価の高いデリーでも、これはちょっ と高いなあ。と思いつつ、モグモグしながら周囲を見渡すと、家族連れは1組しかおらず、ほぼ満員の店内は若者で埋まっている。インドにマックが進出した当 時は西洋料理レストランという位置づけで、ネクタイしめたお父さんが家族を連れてくるという話でしたが、今は若者たちのたまり場になっているのかな。

実はここでトイレにも行きたかったんだけど、トイレは使用不可。たぶん恒久的に使用不可なのではないかと。ちょっと尿意を催しつつ、またまた地下鉄 に乗ろうとしたら、ボディーチェックするのが最初に乗ったときと同じ婦警。こちらがニヤニヤしていたら、婦警さん、「あら、あの大きな荷物はどうした の?」と、やっぱり覚えていました。

*脚注:チキンティッカは鶏肉をスパイスで味付けしてヨーグルトに漬け込んだ後、焼いたもの。この数日後に出会うことになる英国人夫婦が話してくれ たのですが、英国というのはご存じのように、美味しい郷土料理に乏しい。そこへ元植民地だった各地からの移住者がそれぞれの郷土料理を持ち込み、今やそう いった外国の料理が英国の家庭料理になっているのだそうです。食生活に関する全国調査を実施したら、「あなたの家族がいちばん好きな料理」の堂々ナンバー ワンに輝いたのが、チキンティッカを具にしたカレー、チキンティッカマサラだったのだ!

でもこれ、日本でも似たようなものですね。子供に好きな料理を聞けば、「カレーとハンバーグ」なんて答えが返ってくるものね。ちなみに、英国のチキ ンティッカマサラは本場インドの味とはかな~り違うようで、その辺も、日本の一般家庭で作るカレーがインドの味とは似ても似つかぬものであるのと同じ。

第3回:地下鉄から夜行列車へ

いちおう地下鉄の車内をご紹介すると、

Delhimetro1_1

こんな感じで、つり革が通路の中央にぶら下がっていることを除けば、日本の地下鉄と変わりません(いや、あくまでも素人目には、ですよ)。これはイ ンドの鉄道ファンから拝借した写真(*脚注)で、私が乗ったときは帰宅途中の通勤客で、もっと混み合っていましたが、車内がシミひとつないピッカピカとい う点はこのまんま。乗客は皆おとなしく、お行儀が良い。大声で話す人もいないし、われ先にと押し合いへし合いドアに殺到する光景もなし。ツバ吐く人なん か、もちろんいないぞ!エアコンでヒンヤリしているだけでなく、人間までなんとなくヒンヤリ。さすがのインド人も、光り輝く車両、自動開閉するドア、抑揚 のない無機的な声のアナウンス、正確な運行という、「先進国のスタンダード」のご威光に気圧されたのか。それとも単に、乗っているのが「疲れ切って口を開 く気にもならない都市生活者たち」だからなのか。

一歩外に出ると、またまた汗と唾と体臭の旧デリー世界。なんだか映画館から外に出たような感じ。そうかあ。地下鉄って、エアコンの効いた映画館のよ うな別世界なのかもしれない。現時点ではね。何年かするうちに、そちらの方が現実になり、現在の旧デリーは「懐かしい」別世界になるのでしょうか。現に、 私にとっては旧デリーが懐旧的雰囲気の町で、「なんだかホッと」してしまっているんだもんね。

駅横の食堂でお茶して(お茶というのは嘘かも。Aloo ParathaAlooparatha
という、パンケーキにジャガイモを挟んだようなもので、しっかり食事してしまった。Rs45)、ついでにトイレを借り、手荷物預かり所でバックパックを受 け取る。プラットフォームへ行くと、まだ1時間以上前なのに、もうKalka行き夜行列車(事前にインターネットで予約・購入[Rs632]して、Eチ ケットを発行してもらった。インド鉄道の予約方法についてはこちらをご覧ください)の準備が整った様子。誰もいないガランとした車内で寝台(berthと言います)を確認し、よじ登り(上段を取ったので)、洗面用具を出したりして、さっさと寝る準備。

お金の計算したりしているうちに、ポツリポツリと周囲の寝台が埋まり始め、車内販売のあんちゃんたちがホカ弁(けっこう本格的なカレーセットもあ る)やお茶の注文取りに回ったり、シーツと毛布と枕が配られたり、忙しくなってきました。そこへ、英語で自分の寝台の位置をたずねる男性の声が聞こえ、声 の後にご本人が登場。

身長190センチくらいで、それに劣らず横も大きなボヨヨ~ンとした白人青年。私の寝台から通路をはさんだ斜め下の寝台だったようで、これまた巨大 なバックパックを置くと、車内販売員がすかさずメニューを持って注文取り。ボヨヨン君は彼をインド鉄道の従業員だと勘違いしたようで、「もうインターネッ トで電車賃は払ったよ」なんて言っている。販売員の方は「違う、違う」ぐらいしか英語ができない。で、私が「その人は鉄道の職員ではなく、弁当屋の従業員 で、注文を取りに来ただけ。食事や飲み物は電車賃とは別に払うんだよ」と説明。そんなきっかけで、ちょっと四方山話に。

日本に行きたいと言うので理由を聞いたら、昨年1年間、中国四川省の高校で英語教師をしたのだそうです。政治学習の時間に生徒たちがコブシを振り上 げて日本政府を糾弾するのを見て、中日の過去のいきさつを全然知らなかったので、興味を持ったとのこと。日本政府のことは非難しても、日本製品や日本文化 (今どき日本文化と言えば、ほぼオタク文化を指すと言っても過言ではない)について生徒に聞くと、「好き!」という答えが返ってくる。「へえ~」だったん だそうで。

日本でも最近はナショナリストが幅をきかせていて、どこぞの知事(国際的にはultra-nationalistとして有名な方です)の口からは下 品な言葉が聞かれたりするけれど、あいかわらず経営者の皆さんたちは中国の英雄や故事が好きだし、電車の中では中国語のテキストを広げている人が増えたも んなあ。私自身、仕事ではなく、個人的に中国人の知り合いができたのは、ここ数年のこと。接触が増せば増すほど、また摩擦も増えるのかもしれないけどね。

そんなことを話しているうちに、周囲の寝台が埋まってきました。そして、例によってアナウンスなんてものはないので、あれっ、と思ったら、列車が動 き始めていた。ゆっくりゆっくり動き始めるから、インドの列車が好きなんだ。夜行列車Howrah Delhi Kalka Mailは定刻通りの発車です。混まないうちに歯みがきとトイレを済ませ、寝台で横になって本でも読もうかな、と思ったとたんに意識が・・ああ・・遠のい て行く~・・

*脚注:撮影していたら車掌がやって来て、「ここは撮影禁止」と言われてカメラを取り上げられそうになったのだけれど、「まだ何も撮ってないだろ」 とか何とか全員で口々に叫び、車掌がまごついたスキをついて逃げてしまったのだそうで。ドン臭いおばさんには、そんな芸当はとてもできません。

第4回:山岳列車でシムラまで

2日目:8月25日(金)

ウイ~ンという音と共に車内の照明が点灯し、うっすら意識が戻ったけれど、まぶたが半分上がったぐらい。周囲で人がゴソゴソ動き始める。窓の外を見 ると(エアコン付き客車の窓ガラスは日よけのための色つきで、よく見えないのですが)、まだ真っ暗で、いつ降り始めたのか、大きな雨粒が窓を激しく打つ。

ふわああ。でも、照明が点いたということは、そろそろ着くんだわあ。やれやれっと。歯みがきでも・・あれ?歯ブラシどこ?

と、ここで、薄皮を一枚ずつはがすように、少しずつ記憶が戻ってきた。夜中に寝返りを打った時に、洗面用具を入れた袋を蹴り落としてしまったのだ。取りに降りないと・・と思った記憶は、おぼろげながらあるんですが、そこから先が・・。

あわててカーテンを開けて通路を見下ろす。影も形もありません。下の寝台は空いていたので、下に降りて、そこも調べてみたけれど、なし。ま、どうせ足りないものもあったし、Shimla(シムラ)についたら薬局で一式買いそろえるってことで。

Kalkast夜明け前の5時。終点のKalka(カルカ)に到着。どしゃ降りの雨がトタン屋根を激しく叩く。キオスクでRs3のチャイ。雨音を聞きながら飲むチャイは甘く、熱く、うま~。なぜチャイは立ち飲みがうまいのかなあ?

ここで約76センチという狭軌の列車に乗り換えます。toy train(おもちゃ列車)なんて呼ばれてしまうこともあり、確かに小さいのですが、土地の人が日常的に使う、れっきとした列車です。それどころか、標高 650メートルのカルカから2000メートルを超えるシムラまで、途中102個のトンネルを抜けて駆け上る実力のある山岳列車。愛称だというのはわかるけ れど、toyは失礼だよなあ。

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昨年はシムラからの下りに乗り、その時は普通列車だったので、たったRs20だったのですが、今回は夜行列車とうまく連絡しているということで、 Shivalik Expressという5:30発の急行に乗りました。急行だし、椅子はフカフカだし、朝刊と朝食つきだから、ということで、Rs326という、鈍行と比べ ると「いいお値段」。下界が猛暑期の5月、6月はこのあたりの観光シーズンで、切符を取るのが難しいと聞いていましたが、今はシーズンオフなので、空席が ちらほら。観光客がほとんどかと思っていたら、そうでもなく、私のお隣さんは会社員風、通路をはさんだお隣さんは商店主風。

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元を取らなくてはねーと、朝刊(TIMES OF INDIA)は政治欄から芸能欄まで全部読み、ポット入り紅茶とビスケットのおやつも残さず食べて(*脚注)いるうちに夜が明け、雨は小降りに。これは急 行列車の唯一の停車駅Barog。ここで朝食(パンと野菜コロッケ)を積み込む模様。少し停車するようなので、足を伸ばしに降りる乗客が多い。

Barogmonkey

ホームに降りると、雨はほとんどやみ、サルたちが活動を始めていました。「ほらほら、そこにもいるよ」と、そばで教えてくれる声がして、振り返ったら(と言うより、振り仰いだらですね)、ボヨヨン君でした。「この列車、面白いねえ」と、わりと気に入った様子。

*脚注:新聞を読んだりご飯食べたりということは、その時はごく当たり前の「日常的行為」だから、写真を撮ったり記録を残したりするのを忘れがち。 こうして日記を書く段になって、「あ~朝食を撮っておけば良かった」とか「面白い記事があったのになあ。なんだっけ~」と、後悔する。むしろ名所旧跡や風 光明媚な自然の景観なんてものは、ほかにもたくさん情報があるし、自分でオソマツな写真を撮る必要はなかったりする。

第5回:リフトで尾根へ

針葉樹林の間を抜け、トンネルを通り、急カーブを曲がり、それを何度も何度も繰り返し、10時過ぎにシムラ着。

シムラは標高2000メートルを越える高原の町で、英国がインドを植民地支配していた当時、英国人たちはデリーの猛暑期(5~6月)に耐えられず、 ここシムラを夏の首都にしていました。そんなわけで、教会などの英国風の建物があり、西洋風の雰囲気が漂い、新婚旅行先として人気を集めた時代もあったと のこと。今も避暑地として知名度は抜群。インドの軽井沢という位置づけですかね。そんなわけで、インド人にとっては憧れの地なのですが、外国からの観光客 にとっては、さほど面白いところでもなく、私の場合も、去年・今年と、単なる通過点。

Shimla_ridge
Himachal Pradesh Tourism Development Corporation © *脚注1

さて、列車を降りて、重い荷物(*脚注2)を背負い、これからがチト問題。というのは、英国風の建物が並ぶ中心街が尾根にあり(実際、英語で尾根を 意味するThe Ridgeと呼ばれている)、駅から坂か階段を20分くらいグググッと登らなければならんのだ。ちょっといいかなと思っていたホテルがRidgeのはずれ にあるし、その前に洗面用具を買いたいし・・と考えていたら、ねえねえ、とボヨヨン君に声をかけられた。タクシーをシェアしない?という、うれしい申し 出。このような坂と階段だらけの町なので、バスや鉄道がある下の道から尾根まで上る有料エレベーター(ヒマーチャル州観光局が運営。elevatorでは なく、英国風にliftと呼びます)が町の反対側にある。そこまでタクシーで行こうというわけ。

インドのことは詳しくないようだったので、タクシーの中でインドは初めてかとボヨヨン君にたずねると、

「インドも初めてなんだけど、海外旅行自体、初めてなんだ~。中国は仕事だったから、旅行じゃなくて、住んでいたわけで」
「へー。慣れてるように見えるけど」
「見えるだけ。実は胸がドキドキで、あんまりちゃんと寝ていない。デリーはちょっと・・ショックというか。つらかった」

と言って、大きな肩をすくめるんですが、そう言われてみると、なんだか顔色があまり良くない。そうか。トレッキングをすると言っていたから、体は筋 肉質なはずなのに、ボヨ~ンとした印象を受けてしまったのは、調子が良くないからなんだね。頭の中だけだとしても、ボヨヨン君なんて呼んで申し訳なかった (日記でも、ここからは本名のジョンと呼ぶことにしよう)。ヒマーチャルは涼しくて体が楽だし、客引きや乞食にまとわりつかれることもないし、騙される心 配もないから、たぶんすぐ元気になるでしょう。もともと落ち着いた性格の人みたいだから。

Lift

エレベーター(Rs5)は2本を途中で乗り換える仕組みになっている。2本目に乗り込んだら、ジョンがとにかく巨大だし、我々の荷物も大きいし、5 人しか乗らなかったのにギュウギュウ。ボタンの前にいたお嬢さんがボタンを押したようだったのに、エレベーターが動き出さない。「窮屈だね」と言ったら、 claustrophobic(閉所恐怖的→窮屈な感じ)という大げさな言葉を使ったのがいけなかったのか、ジョンが

「去年、ロンドンの地下鉄でテロがあったの覚えてる?ぼくの友達が、あの爆破されたやつの1本うしろのに乗ってたんだよ。その後、そいつ、閉所恐怖症ぎみになっちゃってさ」

と、嫌なことを思い出す。何度かボタンを押す音。エレベーターは動きません。ジョンが「え~。嘘だろお」と、天井をあおいだところで、そのお嬢さん の後ろにいた女性が手を伸ばし、ボタンを押す。ガタンと一揺れして、エレベーターが動いた。単に押すボタンを間違っていたのでした。

Ridgeに着いたところでYMCAに泊まる予定のジョンは右へ、買い物をする私は市場がある左へ、じゃねーとお別れ。

The Ridgeと、そこにあるThe Mallという高級商店街は西洋風ですが、一歩はずれて坂を下ると、そこはもう、いかにもインドの商店街で、小さい店が押し合いへし合いしている。私の好 きな揚げものを店頭で威勢良く揚げている店があり、もうちょっとでフラフラと吸い寄せられそうに!でも運よく、すぐに薬局が見つかり、洗面用具を買いそろ える。そこのおじさんと兄ちゃんに、「これから山の方に行くんだろ?そんじゃあ」と、基礎化粧品をすすめられ、保湿液(カタカナ語が氾濫する日本の美容界 でモイスチャライザと呼ばれているやつ)を購入。これ、買ってよかった~と、後々思いました。歯みがきセット、石けんなどを含め、全部でRs218。

予定していたホテルは清潔で広々として、まあまあの感じだったので、決定(Rs440)。部屋に落ち着いて、まずやることはシャワーと洗濯。予想通 り、湯沸かし器(geyser)はまことにおそまつで、やや温かい水・・ぐらいしか出ませんが、心頭滅却エイ!と、ザバンと頭から水をかぶる。ま、こんな もんかな。

*脚注1:ヒマーチャルプラデシュ観光開発公社(HPTDC)の写真。著作権マークはお遊びです。HPTDCは著作権なんかぜんぜん気にしていな い。使ってもらえば宣伝になるし。この写真では青空ですが、私は去年・今年と天気に恵まれず、小雨に煙るシムラしか知らないのです。

*脚注2:重い荷物なんて書きましたが、私のバックパックは10キロ以下です(成田空港で計ったときは9.4キロだった)。持ち歩くショルダーバッグもせいぜい1キロなので、重いなんて言ったら笑われる・・。

第6回:Indian Coffee House

限りなく水に近いシャワーを浴びた後、風邪をひかないようにマフラーを巻いてホテルを出る。まずはインターネット探し。YMCAにあると聞いていた ので、ひょっとしてジョンに会えるかもなと思いつつ、Ridgeの反対側にあるYMCAまでエッチラオッチラ、急坂を登って行きました。YMCAはガラン と人気がなく、職員も見あたらず、ベランダにいた宿泊客らしいブロンドの女性にたずねると、「さっき着いたばかりで何もわからないの。ごめんなさいね」 と、すまなそうにニッコリ。

Ichemblem_1Mall でインターネットカフェを見つけ、猫たちのシッターさん等々にメールを送り、ホッと一息ついたところで、次はIndian Coffee Houseという喫茶店へ。ICHは古~いタイプの喫茶店チェーンで、この日記を書くために調べてみたら、1958年に南インドのケーララ州で、共産党指 導者によって設立され(現在もケーララ州では共産党が強い)、従業員も出資する事業協同組合の仕組みを今も堅持しているとのこと。上の写真でコーヒーカッ プに入っているのが、その組合章。なんか、それっぽいね。

インド各地にあるのですが、どこも「暗い店内」、「古ぼけた内装(剥げた壁つき)」、「客層はおやじ中心」という3点セットが揃っている。特に「お やじ」の部分は譲れないって感じですね。こう、何と言うか、懐具合はあまりよろしくない知識人(腐っても鯛!)の集うクラブ的雰囲気がある。うるさ型が集 まり、政治談義や芸術論に花が咲くといったところでしょうか。それとは別に、単に喫茶店としても、安くて(Rs5ぐらい)旨い、フィルターでいれたコー ヒーを飲めるし(豆も販売している)、簡単な食事もできるし、白い制服と白い帽子のウェイターさんたちは、過不足ないサービスができるプロです。古めかし い言い方をすると給仕頭というか、ランクが上のウェイターさんは頭には鳥のとさかのようなターバン(かぶり物ですね。英語で言うとheaddress)、 腰には幅広のベルトを巻いている。

Headdress_1Headdress2_1

かぶり物はこんな感じ。土地によってバンドの色が違いますが、形はだいたい同じ。腰のベルトはかぶり物のバンドと同じ配色。

インドでも最近はスタバ風のシャレた店(Baristaというチェーン店がよくある。高い!ラテがRs40!)が増える中、カフェオレもカプチーノ もメニューにない(なにしろ「Coffee」しかない。選択肢はミルクを入れるか入れないか、のみ)ICHがいつまで生き残れるのかなあ、とは誰もが思う ところ。実際、どこだかのICHが「存亡の危機にある」という新聞記事を読んだことがあります。ですが、大学のある都市では教授陣や学生たちの絶対的支持 に支えられ、シムラのような観光地でも、土地の常連に加え、私のような観光客にもウケて、いつ行っても席を見つけるのが難しいほど繁盛している。ここから は私の想像ですが、バンガロールやムンバイのような都会のファッショナブルな人たちの間では、スタバ風コーヒーショップなんか、もう安っぽくて見向きもさ れないのではないかと。オシャレ人種は逆にICHに戻ってくるような気がする。この日はコーヒー2杯とマサラドーサ(*脚注)でお昼にして、Rs32な り。

翌日の長距離バスの切符を買いに行ったら、ここでジョンとばったり。彼は北上してマナーリに行くというので、東へ行く私とは方向が違う。メールアドレスを交換して、さよなら。

Shimlamonkey

激しい雨は明け方にやみ、日中は降られずに済みましたが、空は鉛色で、今にもひと雨来そう。午後になり、道を行く子連れのサルたちも家路(山へ帰 る)を急いでいます。ちなみにこの写真、前か横から撮ろうとしたら、ボスザルに見つかって威嚇され、ひえ~と逃げるしかなく、逃げながら背後から撮ったの でした。

Dosa*脚注:マサラドーサは元々南インドの料理で、香辛料をきかせたマッシュポテトをパリパリしたクレープでくるんだもの。形は三角や四角に畳んだり、長い棒状だったり、いろいろ。たいてい付け合わせがつく。

第7回:昔の日本人はよく働きましたね

夕ご飯にしようと部屋を出ると、インド人らしき中年男性が隣の部屋に入ろうとしていた。お互い軽く会釈・・までも行かず、微妙に顎を動かす感じ。おお。私もかなりインド人らしくなってきたぞ。こういう時って、うれしいんだよね。ちょっと得意になってしまう。

Paratha1セッ ト料理がありそうな近所のファミレス風のところに入り、ベジカレーとパラタ(バターから作るギーという油脂を練り込んだパン。ここのパラタは、ただ一枚ぺ らっと焼いたものだったけれど、この写真のように、パイ風に層にして焼いたパラタもあって、これがウマ~)を食べる。食後にチャイを飲んでいたら、テーブ ルの横に人影。ん?と顔を上げると、小太りの中年男が、

「あ、どうも。こんばんは」

って、あなた。ずいぶんこなれた日本語じゃないですか。

こちらは一気に硬直。インドで達者な日本語で話しかけられたら、もう、ボッタクリ商売か詐欺かナンパ(これって死語・・じゃないですよねえ?でも、 なんか現代日本の若者には、もはや使用されていないような・・)しかない。もちろん(!)、ナンパされるなんて、そんな思い上がりは毛頭ないっス。また、 詐欺については、相手が若い兄ちゃんならねえ。中年の外国人女性をだます人もいるんでしょうが、中性脂肪たっぷりとおぼしきポッチャリ体型のおっさんだも んなあ。となると、これはボッタクリ。そこで、犬が鼻にしわ寄せるような表情で、声には出さねど、(何も買・わ・な・い!あっち行け!ウウウウウウーウォ ン!)と心の底で吠えてガンを飛ばす。

ところがところが、その後、おっさんは、え~と、と日本語で言ってから、ドギマギした様子で、

「すみません。この後が出て来ない。日本語を忘れてしまいました。お話したいんだけど、英語でいいですか?」

と英語で言ったのでした。あ・・れ?なんか雰囲気が違う?ボッタクリ商売人だったら、言うべきセリフは淀みなく出てくるはずだし、このドギマギぶり は演技ではなさそう。そう思って、あらためて顔を見たら、さっきホテルであいさつした隣の部屋の人じゃないか!ゲゲゲッ。なんたる勘違い!「犬が鼻にしわ 寄せるような」「ガン飛ばし」、ゼッタイ読まれているぞ。恥ずかし~。どっと赤面。でも、どうして日本人だってわかったの?

というこちらの考えまで、どうやら読んだらしく、

「ホテルでチェックインするときに台帳に記入していたら、私のすぐ上の欄の人が日本人だったから、さっき会ったときに、あ、この人かなあと思ったんですよ」

相手が勘のいい人だったおかげで(こちらはかなり勘の鈍い人間です。それは自覚しています。ちなみに、うちの犬も勘が鈍いです。シュン)、かつ、失礼な勘違いを知らんぷりしてくれる大人だったおかげで、その後の会話はスムーズ&にこやか。助かりました。

実際は、1時間余りの四方山話の中で、会話の内容はあっちに行ったり、こっちに来たり。まことにとりとめのないものだったんですが、それをかなり乱暴に、ストーリーにまとめてしまいしょう。この際ですから。(どの際かと言われても困りますが。)

この方、パテルさん(インド人にとても多い名前)は、インド北部の地方都市で従業員6人の自動車整備工場を営んでおられます。家族構成は妻と娘2人 (13才と16才)。長女は最近、ロックミュージシャンになると宣言し、親の肝をつぶしたそうですが、なんとか説得して、普通高校に行かせている。「い や~困りましたよ」と言いつつも、実はパテルさんのお母さんが、アマチュアだけれど古典音楽の歌い手で、おばあちゃんの血を継いだかなと、パテルさんは、 まんざらでもない様子。次女は反抗期で、成績がかなり心配。

パテルさんは開業するまで10年ほど某自動車メーカーに勤務し、その会社の研修で、20年以上前に日本を訪れたのでした。日本では、まず東京で数週間、簡単な日本語会話を勉強した後、半年、地方の自動車工場で研修を受けたそうです。

「とにかくビックリしたのは、大学を出た人でも、現場で研修するんですね。大卒で入社してから、いろいろな部署を回る。だから、後で管理職になって も、現場のことをよく知っているし、そもそも偉い人でも、よく工場に来るからね。インドも今はだんだんそうなってきているけれど、あの頃は、そんなの聞い たことなかったですよ。大学を出た人は、工場なんか見たこともない。ただ書類にサインするだけ」

それはカーストなんかがネックになるんだろうな、と思いました。だって、安宿でさえ、調理と洗濯と掃除はそれぞれ別の人がやっていて、どんなに人手 が足りなくても、ほかのことはやろうとしない(雇用主もさせようとしない)もの。でも、こういうことって、聞きにくいね。親しくなれば聞けるんだろうけ ど。初対面ではね。

「それに、上から下まで、本当によく働いていた。片道10キロを自転車で通う人もいました。私たちを指導してくれた人。一生懸命教えてくれたから、私たちも一生懸命でしたよ」

昔の日本人はよく働きましたね~。

パテルさんは懐かしそうにそう言うのです。確かに日本人もよく働いていたけれど(単純によく働くことが評価された時代だったしね)、パテルさん自 身、二十歳そこそこの若さで海外研修という一生に一度のチャンスを与えられ、脇目もふらずに働くことを「正しい」と信じることができたのではないでしょう かね。「労働」が純粋で尊い行為に思えたのかも。今も、たぶん働き者なのでしょうが、自営業で人を雇っている状況で、きれいごとでは済まない部分が多々あ ることは、容易に想像がつくというものです。

会社を辞めてからも、会社とのつながりは切れず、逆に日本から来る社員を自宅に泊めたりしているとのことでした。そんなときに日本語の練習をしたいのだけれど、日本人の方は英語の練習をしたがるし、家族は日本語がわからないし、日本語を話す機会がさっぱりない。

「だから、挨拶ぐらいしかできなくなってしまったのです」
「あー。それじゃ、私と日本語で話せば良かったですね」

あっ。本当だ。話しかけた時はそのつもりだったのに、忘れてしまった!と言いつつ、私の夕食代をおごってくれたのでした。パテルさん、ごちそうさまでした。

第8回:バスに揺られて13時間(前半)

8月26日(土)
朝5:00。目覚めると同時に耳に飛び込んでくるのは、犬が吠え合うワオワオ~ンギャンギャンという声。早朝のバスに乗るので、今日も夜明け前の起床とい うことになりました。いや、それにしても、インドやネパールやタイの犬たちは、夜中に何をしてるんですかね?昼間は道路や床下や浜辺で寝ていて、夜になる とムクムク起き出し、なにやら徒党を組んで動き回っている。夜道で犬の群れに会うと、恐いよ~。

ところで、スイッチを押しても照明がつかない。停電中。懐中電灯をつけてウロウロ。停電ということは、湯沸かし器も作動しない。今朝は限りなく水に 近い湯もなく、水そのもの。顔を洗うだけだからいいけどね。外が白む時刻になると、窓の外でバサバサとせわしげに木の枝を揺する音が聞こえる。サルの群れ が移動を始めるらしい。

6:00前にチェックアウト。玄関ホールで寝ていた兄ちゃんを起こすと(ごめんな)、眠い目をこすりこすり料金を受け取り、玄関の鍵をあけてくれ た。外はほの暗く、かつ、ほの白い。どうやらこの辺一帯がすっぽり雲の中に入っているようで、視界約10メートル。おお、寒っ!マフラー大活躍。

東へ向かうバスはメインのバススタンドではなく、Ridgeから北に20分ばかり下ったところにあるRivoliというバススタンドから出る。昨 日、切符売り場のおっちゃんが、おつりを放り投げ返しながら(Rekong PeoレコンピオまでRs181)、眉間にしわを寄せたいかめしい表情で、
「あんた、バスはどこから出るか、わかってるのか?」
と、妙に居丈高に聞くから、(あ、よく間違えるから、外国人をバカにしてるな)と、こちらもムッとして、無言で(あっち)と指さしたら、
「よし!気をつけてな!」
と、ニッコリ。な~んだ、本当に気にかけていてくれたんじゃないか。それなら、なんでそんな恐い顔するの?

地面がぬかるんでいるし、例によって急坂を下るので、そろりそろりと歩いたつもりだったが、バススタンドに着いてみると、まだ30分以上時間があ る。ブリキの屋根をかけた待合所のベンチで、チャイとチャパティで朝食にして、新聞(TIMES OF INDIA、Rs2)を読む。

そこへ突然、ほの白いもやをつんざき、キーッキーッキャッキャッと甲高い声が響き渡ったかと思うと、バススタンド横の木立がバサッと割れ、サルの群 れがとび出してきた。地上4~5メートルに張り渡された水を送るパイプを(この辺では上水道は整備されていない)つたい、10頭ほどが次々と下りて来る。 細いパイプをすばやく綱渡りして来るだけでも見事なのに、途中でピョンッと宙に高く跳ね、落ちてきたところでパイプをつかんで大車輪。それをものすごいス ピードでやってのける。うひゃー、曲芸だね。あれよあれよという間に待合所まで達し、ブリキの屋根をバリバリバリと駆け抜けて行きました。

思わぬ見世物に目がパッチリしたところで、そろそろバスの時間。大きな荷物はバスの屋根に乗せることもできるけれど、私のバックパックは小さいし、 いちいち上げ下ろしも面倒なので、車内に持ち込むことにする。足もとに横倒しにして置き、その上に足を載せたので、膝を抱えるような姿勢になる。短足が役 立つ唯一の機会。体が柔らかいのも便利です。

Himachalbus
* これは去年ヒマーチャル州の西部を旅行したときの写真ですが、こんな風に屋根に荷物を積む。でも、この日の荷物の量はこんなものではなく、州都シムラで買 い出しをしたのか、抱えきれないほどの荷物を上げている乗客が多かった。積み終わったところで全体にカバーをかけてロープでしばりつける。

発車時刻が迫り、席がかなり埋まったところへ、30代半ば見当の白人のカップルが乗ってきた。私の後ろの席。2人とも大きなバックパックを持ってい るが、もう屋根の荷物はカバーをかけてロープでくくってしまったらしく、車内に持ち込むしかない模様。英語と身振り手振りで運転手さんと交渉して、運転席 の横に置かせてもらう。その交渉ぶりからして、旅慣れた人たちのようです。発音から推測すると・・イギリス人かな?

バスは定時に発車。今日はレコンピオまで10時間の行程。途中までは去年、逆に来た道なので、新鮮味がなく、そもそも緩慢なアップダウンがあるだけ の国道で単調だし、なんだか退屈しそうだなあ。と思ったら、バススタンドを出て100メートルぐらいのところでバスが停車。前が詰まっているらしい。こん な早朝に?運転手さんはエンジンを切ってしまった。前方の様子を偵察に行った車掌クンが戻ってきたが、運転手さんと言葉を交わすこともなく、事情は2人と もよくわかっているようだ。10分たってもバスは動かない。事故でもあったか?20分たっても動かず、運転手さんは下りて、タバコを吸い始めた。う~ん。 発車直後のトラブル。先が思いやられます。少なくとも退屈ではなさそう?

第9回:バスに揺られて13時間(後半)

さて、30分以上も立ち止めをくらった後、ようやく夜明けの渋滞を抜け出し、バスは快調に走り出したのでございます。

快調に走り出してしまうと、後は・・何もない。この旅行日記はメモ帳に走り書きした内容に、思い出したことを付け足して書いているのですが、ここから先の5時間、ほとんど何もメモしていない。その間、私はいったい何をしていたんでしょうかね?

こういうこと、しょっちゅうですよ。列車やバスの窓から外を眺めているだけで、何時間でも退屈しないんだよなあ。で、後から考えると、何をしてたん だろう・・ということになる。いや、私だけじゃない(と思いたい)。「世界の車窓から」という番組があれだけ長く続いているんだから。あの番組のファンの 中には、ずうっと車窓から外を見続けるのが楽しみという人が少なからずいると、私は踏んでいるのです。と、こう書いて思いついたけれど、ずうっと車窓から 外を見続けるなんていう、のんびりした時間が過ごせればナアと、ため息をついている人の方がはるかに多いのかも・・。どうなんですかね?
    Sutlej

ともあれ、サトレジ川という大きな川沿いに、つづら折りの道をくねくねとバスは進み、天気が回復に向かったので、山国らしい景色を楽しみながら・・ というところへ、ドッカーンと轟音。車内、やや騒然。バスは走り続けているので、爆発はこの道路上ではないらしい。タヌキ顔の陽気な車掌さんの説明によれ ば、今年も雨期の豪雨で数カ所、崖崩れの被害が出たため、道路の修復作業中とのこと。対岸の道をふさいだ岩を爆薬で吹き飛ばしているのでした。

ラーンプル(Rampur)という去年1泊した町でお昼休憩。車掌さんに「休憩?」とたずねると、イエスイエスと言いながらグイと突き出した左手には腕時計。ツンツンと指で20分後を指す。

トイレらしきところに入ろうとしたら、入口にすわっていたおじさんに止められ、おじさん、何か言いながら親指と人差し指をこすり合わせる。ははあ有 料なんですね。いくら?指2本。2ルピー払うと、鍵をくれて、あっちあっちと左背後の方向を指さす。言われてみれば、おじさんの前を通って行くのは男性ば かりで、女性用は別にあるらしい。

女性用トイレには手のひらほどもある大きな錠がかかっていました。さきほどの鍵で開けて入ると、確かに有料トイレだけのことはあり、個室が2つあっ て、まあまあきれい(=頭がクラッとするほど汚くはない)。用を足してドアを開けると、同じバスに乗っている英国人カップルの女性の方がちょうど入ろうと していた。「お金、払ったから」と言うので、「じゃ、これね」と、錠と鍵を渡す。こういう仕組みはインドでは初めてでした。有料トイレはよくあるのだけれ ど、普通は女性用と男性用が隣り合わせだから、料金係は1人で足りるからね。

  Girls

ラーンプルはバスや長距離トラックが立ち寄るちょっとにぎやかな町で、この日は土曜日だということもあり、周辺からここに遊びに来る人たちが、バス には大勢乗っていました。この子たちもここで下車。なんだかパジャマみたいな格好ですが、これも形の上ではサルワールカミーズ(*脚注)という、インド女 性がよく着る服のようですね。ただ、この色は、大人の女性はちょっと・・着ないよなあ。

ラーンプルから2時間ほど行ったところで、バスが停車。また対岸に発破をかけているというのですが、今度は爆破する場所がかなり高所で、万が一、岩 のかけらがこちらに降ってこないとも限らないとのことで、発破が終わるまで停車。乗客はぞろぞろと降りて待つこと30分以上。大した爆音もなく、対岸の崖 をパラパラと石が落ちた程度で爆破作業終了。期待はずれ。

そんなこんなで、レコンピオ(Rekong Peo:通称ピオ)というキナウル(Kinnaur)地方の中心の町に到着したのですが、そこが終点だと思ったら、もっと先まで行くらしい。ピオから山道 をグググッと登ったところにカルパ(Kalpa)という風光明媚な村があるとガイドブックに書いてあったのを思い出した。後ろの英国人カップルが車掌さん にたずねると、このバスはピオで休憩した後、カルパまで行くという。そのカップルとちょっと相談して、そのままカルパまで行くことに決定。

結局、標高2900メートルの山村、Kalpaにたどり着いたのは、出発してから13時間後の7時半。いやー、お疲れさまでした。外は真っ暗。風光明媚なんだかどうだか、さっぱりわかりません。

L7091_july06* 脚注:サルワールカミーズはこんな服。サルワールという太いパンツ、カミーズという膝丈のシャツ、それにデュパッタという長いショールの3点セットです。 この服はおでかけ用なので、カミーズがとても細くなっていますが、普段着はもっとゆったりしていて、汗をかいても体にはりつかず、快適だそうです。
Limg_6673        都会では、こういう細いパンツ(チュリダール)と組み合わせるスタイルもよく見かける。インドの女性は、すね(膝から下の部分)が細いので、これがよく似合う。ぽっちゃりタイプのお嬢さんでも、足は細いんだよなあ。

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