ボリビア旅行2013

ボリビア旅行0:ここはどこ?

さて、私はいったいどこに来てしまったのでしょうか?

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ボリビアだよ。びっくりでしょ。これはスクレという町。白い町よ。

旅行記はいずれ書きますので、とりあえずご報告まで。

実は旅行の最初で大きくつまずいたのであります。私には全く責任はない。悪いのは某航空会社Aであります。マイアミ乗り換えでサンタクルスという都市からボリビアに入国したのですが、到着したら私の荷物がない。マイアミに置き去りです。

ま、これはね。あるのよ。けっこうよくある。私は以前に一度、ロンドン経由でローマに行ったときに、経験済みです。

でも、今回は面倒で、A航空会社は翌日、マイアミからサンタクルスまで送るから、空港まで取りに来いというんだけれど、サンタクルスからすぐに国内便に乗り継いで、スクレに行くことになっていた。じゃあ、サンタクルスからスクレまでボリビアの航空会社の便に乗せて送るからということで、話がまとまりました。

でも、それは同日には無理かもしれないしねえ。

と思っていたら、案の定、さらに翌日になり、結局、荷物を受け取ったのは2日後の午後で、1泊だけだった予定のスクレに3泊することになってしまったのよ。

でも、宿泊したホテルが期待をはるかに上回る素晴らしさ。

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さあ、どうだっ!中庭は

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これで1泊4000円ぐらいです。これなら、足止めをくらっても、まあいいかなという気分になりますね。

スタッフも私に同情してくれて、いろいろ助けてくれて、もう、涙涙ですよ。

とまあ、こんな具合で、これからどうなることやら。

ボリビア旅行1:無事に帰国しました

皆さまにご心配をおかけしましたが、最初につまずいた後、なんだかその埋め合わせのように、やたらツキまくり、これまでで最高に盛りだくさんな旅行になりました。いや、ホント、めまぐるしくて、夢のようでしたよ。

これから例によって長々と旅行記を開始しますが、とりあえず最初に一発、こんなところに行ってきたというご紹介として、写真を一枚。クリックすると大きくなるよ。

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留守番のケモノたちはどうだったかというと、これがもう、こちらの心配をよそに、拍子抜けするほど何事もなかったようで、猫たちは「あれ、どこ行ってたの?」という態度。

タイキくんは、さすがに犬で、私の体をクンクンと丹念に嗅いで、「よし、本物ですね」と確認。でも、それ以外には特に反応なし。

夜になっておやつをあげたら、突然、興奮し始め、どうやら、「あっ!これはおやつをくれる相手だったんだ!」と、ようやく私の存在価値に気づいたらしく(シッターさんには、おやつは頼んでおかなかったので)、その後は、ずーっと、私にまとわりついたりして、現金なモンです。

でも、KDPに保護されるまで、たぶん劣悪な環境で生活していたと想像されるのに、体は丈夫だし、性格や態度にも全く問題がないというのは、やはり一日一日、現実的に対応してきた成果だと思います。飼い主がちょっと留守にするぐらい、へっちゃらなのだ。偉いぞ、タイキ!

ボリビア旅行2:現代用語の基礎知識-ブロケオ

5月15日(水)

今回のルートは・・と言っても、当初の予定ではなく、アメリカン航空のせいで最初に足止めをくらった分、修正したルートです。最後に北部の熱帯雨林を少し見学しようと思っていたのですが、そこを削りました。オレンジがバス。青い線は空路です。

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高山病予防策として徐々に標高を上げて行く計画で、ボリビア南東部低地の商業の中心地サンタクルスから入国したわけですが、既報の通り、バックパックはマイアミに置き去りです。

ガックリしつつも、両替をして空港を出てすぐに、いかん!ビシッとしなくては!と、ほっぺたを叩くそのままでありました。

だって、スペイン語を話さなければならないんだから。うわ~通じるかなあ。

で、出口の外で客が集まるのを待っているらしいミクロ(10人乗りぐらいのバン)の運転手に、¿ Va al centro? 市内まで行く?(先頭に疑問符がひっくり返ったのがついていますが、疑問文と感嘆文では、ひっくり返したものを先頭につけます。)

通じました。うれしい!

この後も、どこへ行っても、しっかり通じるのですが、通じすぎて、ちょっと面倒。

どういうことかと言うと、日本語と母音が同じだから、私たちが話すスペイン語はわりあい自然に聞こえるらしいんですね。しかも、ボリビアの公用語にはスペイン語以外に先住民族の言葉であるケチュア語やアイマラ語もあり、そちらの方が母語で、スペイン語は習った言葉という人もたくさんいるのです。ボリビア国民でスペイン語に少々なまりがあっても、全く不思議はない。スペイン語はインドでのヒンディー語のような立場でしょうか。

そんなわけで、ちょっと道をたずねたりすると、こちらがスペイン語ができるものと勘違いして、相手はワワワーと早口でしゃべり出すのです。そのたび、「スペイン語できないんで、もう少しゆっくり・・」と説明が必要でね。

ミクロで市内に行き、遅い朝食を取ってから、スクレまでの国内便が出る別の空港まで2キロ弱、歩くことにしました。なにせ、ほら、荷物がないから。機内持ち込みのデイパックのみ。重いものはカメラだけ。

しかし、空港まであと500メートルぐらいのところに来たら、おお!やっていました!

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今回、出発前に心配していたのは高山病とブロケオ(bloqueo)。

ブロケオとは要するにブロックですが、ボリビアでブロケオと言えば、道路封鎖のことです。国や自治体に何かを要求する運動で、単にデモやストライキを打つだけではなく、空港などの周囲の道路に石を置いて、そのそばに座り込み、車が通れなくするわけ。1日で警察に排除されることもあれば、交渉が長引いて1週間以上に及ぶこともあります。これがまあ、しょっちゅう、いろんなところで、勃発する。

5月初めのボリビア各地でのブロケオ勃発状態はこんな感じ。

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警官隊と衝突なんてことになったら・・とヒヤヒヤしていたのです。でも、サンタクルスのブロケオは、単に広い通りを占拠して数百人で集会を開いているだけで、メガホンのアジ演説や爆竹を鳴らしたりはしていましたが、屋台が出たりして、平和な雰囲気。

サンタクルスのブロケオの主張は不明でしたが、この時に全国各地で起きていた大きなブロケオは、教職員組合と繊維産業労働者組合が組んで、年金の増額(たぶん)を求めて打ったものでした。

ありがたいことに、何も危険なことはなく、「すみませ~ん」と言いながら、デモ隊の皆さんの間を通り抜け、空港に到着。

予定していた航空会社の便は、どういうわけだか出発時刻が変更になり(これは、ボリビアの国内便ではしょっちゅうあるらしい)、もう午前中に飛んでしまっていました。でも、別の航空会社の便があったので、そちらの切符を購入。TAMというボリビア空軍が経営している会社で、とても安かった。390ボリビアーノだから、5400円ぐらい。

ボリビア旅行1.5:ボリビアのオキナワ

すまぬ。荷物が出て来なかったことが、あまりにイヤな出来事だったので、サンタクルス到着までに起きたことを記憶から消し去っていました。

んで、今回は1と2の間の1.5です。

マイアミからの飛行機で隣になった若い米国人女性とお連れの皆さん総勢5人は、ある市民団体のプロジェクトに雇われ、ボリビアで水資源の調査をすることになっていました。あまり知られていませんが、健康を害さない飲み水というのは地球規模の大問題の1つでして。ボリビアでも、水が悪くて特に乳幼児に健康被害が出る地域が、まだたくさんあるのだそうです。

実はその団体というのが、私が仕事関係で知っている組織で、あまりの偶然に、お互いビックリ。

サンタクルスに着くと、ボリビア側の受入団体から迎えのおじさん(いや、おじいさんかな?)が来ていて、私も紹介され、日本人だと言ったら、

「おお!オキナワ、知ってる?」
「オキナワって、日本の沖縄ですか?」
「違う違う!サンタクルスのオキナワだ!」

サンタクルス県(県と表記しますが、departamento と呼ばれる行政区分です)はブラジルとの国境があるアマゾン地方の県です。ネットで調べてみると、1954年、米国統治下の琉球政府が沖縄からサンタクルスへの移住計画に着手しました。入植には琉球政府の沖縄に加え、北米各地の沖縄出身者も参加したそうです。

入植した皆さんは苦労して農地を開拓するわけですが、それが実を結ぶまでに、他の地方やブラジルに転出する者も現れ、また、1980年代になると、日本への出稼ぎが相次ぎ、というわけで、紆余曲折を経て、でも、今もコロニア・オキナワには数百人の日系人が暮らし、農業を営んでいます(米や大豆など)。

おじいさんの話では、

「踊りとか音楽とか、いいね!」

だそうで、ちょっと口ずさんでもらったら、レゲエのような例の「音頭系」なので、盆踊りのようでした。いろいろな年中行事があって、サンタクルスの人たちも見物に行くのだそうです。

現在のオキナワの日常については、YouTubeにこんな動画がありました。


今回の旅行の最後の方で、印象に残る出会いがあったのですが、この時、市民団体のおじいさんから話を聞いたボリビアのオキナワともつながる話なので、お楽しみに。

ボリビア旅行3:白い町スクレ

サブパック1つでスクレに到着しました。出口の外にミニバンが見あたらないので、しょうがないからタクシー(30ボリビアーノ:少し高めですが、こういう状況ではやむをえず)にしたら、

タクシーの兄ちゃん:悪いけど、ちょっと歩いてね。

というわけで、ここでもブロケオ強行中なのでした。空港の敷地の外に、サンタクルスと同じように、数百人が立ったり座ったり、石を並べたり、ちゃっかり屋台を出しているおばさんもいて、串焼きを焼く、いい臭いがしたりしています。

そこを通過してタクシーに乗ってから、兄ちゃんに、ここでは何を要求しているのかをたずねたら(この程度なら、スペイン語で言えるのだ)、公共料金(電気?)の値上げに反対しているのだそうです。10%の値上げというから、無理もないかも。

道路封鎖というのは、どう考えても道路交通法違反だから、遵法闘争とも言えず、かといって、官権と体を張って正面からぶつかるわけでもなく、本気で抗議活動やってんのか?と、どやしつけたくなる人もいるかもしれませんね。なにせ土日やお祭りの日は、ブロケオはお休み(!)なのだ。

当然、ボリビア国民の間でも、「いいかげんにしろ!おめえら!」という声は強く、実際、ブロケオを打っても、要求が通らないことが多いわけで、運動を進める側と政府・自治体側の両方で、そろそろ変化があってもいい頃合いです。

ただし、ここで急いで付け加えておきますが、17世紀のスペインによる植民地化と、その後のスペインによるすさまじいまでの富・資源の収奪から始まり、20世紀末まで、ボリビアでは政治の安定も人権の主張も、ほとんどないまま、クーデターに次ぐクーデターで、国民が命の危険を感じずに不満を表現できるようになったのは、ほんのここ10年ぐらいのことなのです。

特に、ボリビアは南米の中でも特に先住民の割合が多い国です。正確には、先住民であると主張する人の割合ですが。スペイン系をはじめとするヨーロッパ系の人たちとの混血が進んでいますから、実際のところは不明です。いずれにせよ、自分は先住民であると自認し、ケチュア語やアイマラ語を母語とする人たちが6割以上で、この人たちは17世紀から20世紀まで、社会の底辺に置かれていたわけ。

2006年に初めて先住民出身のエボ・モラレスが大統領に就任し、ようやくボリビアの多数派である先住民の国民が、「ものを言える」状態になったのです。

だから、「個人として言いたいことを言う」、「公に対して要求を突きつける」ことが、本当に可能なのだと、国民が確認している状況なのかもしれません。

さて、20分ぐらいで着いたスクレの町。

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美しいぞお~。

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町中が真っ白なのよ。この町の景観全体を指定対象として、世界遺産に指定されています。

でも、この美しさを維持するのって・・メンテナンスは・・と思うでしょ?私も思いました。そうしたら、案の定!

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1日に少なくとも2~3箇所は、この作業にお目にかかります。塗装業はスクレでは超安定産業ではないかと。

ホテルの部屋の窓から見た通りはこんな感じ。

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標高2700メートルで、空気がさわやか。気候も良いし、景観も良いし、住みやすそうですよ。ただ、この通り、生活水準が高そうなので、物価は高め。

実はここ、憲法上のボリビアの首都です。ただ、政治の中心は国会があるラパスで、実質上、ラパスが首都の役割を果たしており、経済的な中心は大都市サンタクルスで、「本当の首都はウチなのに!」と、スクレの住民は不満みたいよ。

スクレのもうひとつの特徴は、大学が多いこと。大学町なんですね。学生が町中にあふれています。そのせいか、夜も若者たちがゾロゾロ歩いていて、女の子たちだけで歩いている集団もあり、旅行者にとっては安心感があります。

これは大学生ではなく、高校以下の子どもたちですが、学校のマーチングバンドがスクレの目抜き通りで練習(たぶん)をしていました。

ボリビア旅行4:まだ待っている

スクレでの宿泊については、ネットの旅行者掲示板で好評のホテルに見当を付けていました。掲示板で、いわゆる「うるさ型」の旅行者たちから良い点数を獲得していたので、それなりの期待はしていたのですが、これほどとは思わなかった。前にも写真を載せましたが、あらためて。

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昔の貴族の邸宅をある家族が買い取ってホテルに改造して、ずっと家族で経営しています。

受付には、ネイビーブルーのスーツに身を包んだ、大柄で快活そうな若い女性がいて、「予約してないんですけど、部屋、あります?」と聞いたら、「調べますね~」と言うのですが、デスクの上にはディスプレイも何もない。

ん???

すると、その女性はおもむろに、縦横50センチはあろうかと思える分厚い台帳を取り出し、、うんとこしょ、と広げると、台帳はバッタン!と音を立てて開くのであった。見開きが1ページになった表があり、縦の欄が日付、横の欄が部屋番号。その各コマに、アリが這うような小さい字で、チマチマチマと書き込みがあります。

こういうのを見たのは20年近く前のスリランカのホテル以来だあ。なんだかうれしくなってしまった。部屋数が20ぐらいしかないので、これで十分なのかも。でも、古いのは台帳だけで、WIFIはしっかり飛んでいるとのことで、パスワードをもらいました。1泊300ボリビアーノ(4000円)。

「荷物ないんですか!?」とたずねられ、「いや~も~大変なんですよ~トホホ」と(彼女は英語が達者なので、ここから先は英語です)、綿々と窮状を告げたら、それではサンタクルスの空港から連絡があったら、メッセージを聞いておくから、そうしたらスクレの空港までタクシーで行って、と、これからの計画をテキパキと立ててくれて、なんだか一気に気持ちが軽くなった。困った状態でも、取り組むための計画が決まれば、あとはそれに従って行動すればいいんだな、というわけで、不安はなくなるもんだよね。

5月16日(木)
ここは朝食付きで、いわゆるB&B(ベッドと朝食を提供する宿)です。B&Bの朝食というのはピンキリで、ひどいところはコーヒーとお茶とカチカチの冷たいパンだけ、というユースホステル並みだったりする。でも、ここはピンの方で、パンや果物や飲み物は何種類も山ほどあるし、卵も調理してくれるし、朝っぱらからパイやケーキまである。昼食分までお腹に詰め込んでしまった。

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ここがダイニングルーム。

さて、町で博物館など(特に国立民族学博物館Museo Nacional de Etnografia y Folkloreは必見。仮面の展示がすばらしい)の観光をしたりしているうちに、なにしろ日本の5月半ばの服装なので、高地の初冬には寒い寒い。なにか羽織るものを買わないとなあと、中央市場に行きましたが、いくら南米の最貧国(だそうです)であるボリビアでも、手編みのセーターなどは、やはり高いし、荷物が戻ってくれば、セーターはあるので、もうちょっと簡単なものが欲しいわけです。

結局、市場では見つからず。あ、書いていて思い出した。ホテルの朝食で昼食分まで詰め込んだはずなのに、市場でアンブルゲサ(ハンバーガーはスペイン語ではhamburguesaで、hは発音しないので、こうなる)にチョリソー(スパイシーなソーセージ)までつけて(マクドナルドのポテトみたいなもので、アンブルゲサを頼むと、「チョリソーもいかがですか?」と来る)、食べてしまいました。

ついでだから、食べ物について書いておくと、今回の旅行でおいしかったのは、なんと言っても、スープ!

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こんな風に具がたくさん入って、これは鶏肉と芋にパセリを振ったスープ。今回はアンデス山脈に沿った高地に行ったので、寒い地域ですから、食事の最初に温かいスープは必須。そういう必須な食べ物は調理法が発達しますよね。たぶんそのような理由で、どんな種類のスープも、おいしかった。スープとメインディッシュと合わせて300円ぐらいの安い定食屋でも、まずいスープというのはなかった。

ところが、残念なことに、メインディッシュとかご飯類・麺類が、まずい。ガックリ。なんでこんな味になるんだ?塩だけ振って焼くだけの方がいいかも?という感じ。高級料理店はさすがにおいしかったけど、そりゃー、お金を出せば、おいしいのは当然だから。そういう状態なので、レストランの食事より、屋台の肉の串焼きやアンブルゲサやチョリソーの方がおいしかったりします。

さて、市場を出て、近くの土産物屋に行ったら、手頃なポンチョがあったので、購入(100ボリビアーノ。約1300円)。これはこの後、大活躍で、真冬に家で着るのにちょうどいいので、たいせつに日本まで持ち帰りました。

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帽子の方は、この数日後に自分の帽子を落としてしまい、トゥピサという町で買いました(25ボリビアーノ。約400円)。これもこの後、大活躍。

これから、まだまだ待つんだよ~。

ボリビア旅行5:メノナイト

5月17日(金)
昨日、空港から電話があり、明日午前8:30スクレ着のボリビアーナ航空の便で荷物を送るとのこと。そこで今朝は、よーし、これで昼前にスクレを出発して、午後には次の目的地のポトシに着けるぞ、と喜びいさんだのである。

ホテルで呼んでもらったタクシーが来て、運転手のリノというおじさんにホテルの従業員(朝の担当の男性)が事情を説明してくれました。でも、2人とも、やや浮かない表情。なぜかというと・・・。

空がどんより曇っている。

「遅れるなー」とホテルの人がつぶやくと、リノおじさんは「飛ぶかなあ・・・」。えええっ!

タクシーの中でリノに説明を求めると、ところどころしか意味がつかめなかったのですが、どうもスクレのような国内便しか飛ばない小規模空港には、日本の離島の空港のように、管制塔がなく、パイロットの判断で離着陸を行っている・・ということのような。たぶん、他の空港などからもらう情報も使うのでしょうが、それにしても、視界が悪いと飛ばさないみたいです。

空港に着いたら、やはり「遅れます。10時」。それが次には「昼頃」になり、長期戦の様相を呈してきたため、リノにはいったん帰ってもらい、12:00に迎えに来てもらうことにしました。

今日もスクレ泊まりかもなあ。ガックリしつつ、ベンチに座ったら、お隣に不思議な皆さんが。

7~8人の白人男女の集団で、男性は白いシャツに紺色のオーバーオール。女性はリボンを巻いた縁の広い帽子をかぶり、膝下までの長さでダブダブの部屋着みたいなワンピースを着用。厚い白のストッキングをはいています。

17・18世紀に欧州から南北両米やアフリカなどに移住した、メノナイトと呼ばれるキリスト教の一派の方たちです(説明はこちら)。雑誌記事の写真で見たことはありましたが、実物を見るのは初めて。写真撮影は失礼なので控えましたが、「へえー。本当にいるんだ~」と、目がパチクリです。

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これはネットで見つけた写真です。空港にいた集団は、まさにこの服装。文明を拒否するかのように伝統的生活を維持する宗教集団としては、北米のアーミッシュがよく知られていますが、アーミッシュとメノナイトは、欧州から両米大陸に移住する時点で、すでに袂を分かっていたとのことです。

ボリビアでは、サンタクルス郊外に3万人を超える大集落があるそうなので、この方たちはスクレからサンタクルスに帰るところだったのでしょう。

意外だったのは、「ありゃま!飛行機に乗るんだあ」という点。「電気は使わない。外出は馬車」という情報が頭の片隅にあったので。でも、後で調べたら、同じメノナイトであっても、各地の集団ごとに、戒律にかなりの濃淡があり、「機械は一切使わない」集落もあれば、「トラクターで農作業」の集落もあるのだそうです。服装の決まりがない集団もあるとのこと。

ときおり交わされる会話はスペイン語ではなく、ドイツ語に近い言葉のようでした。これもネットで調べると、低地ドイツ語という言葉だそうです。移住前の言葉をずっと使っているのかな。ボリビアの人たちとは、ほとんど交流しないみたい。

さすが「平和主義」を標榜する皆さんで、何時間でも文句も言わずに待っています。実は私はこの後、到着がまた3時にずれ込んだので、昼前に戻ってきたリノのタクシーに乗り、一度、市内まで戻って食事をしたりして、数時間して空港に戻ったのです。でも、3時に戻ってきたときも、メノナイトの皆さんは、朝と変わりなく、辛抱強く待っていました。

結局、荷物待ちでほとんど1日使いましたが、最終的に、ビニールの包装材でグルグル巻きになったバックパックが、ベルトコンベアに乗って出てきたので、終わり良ければすべて良し。リノもホテルの人たちも喜んでくれて、良かった良かった。

ボリビア旅行7:宿泊施設併設の博物館

ここは貴族の館だったのですが、その後、司教の居宅になったこともあり、何度か所有者が変わった後、19世紀にフランスから派遣された水力発電関係の技師が買い取りました。今もすぐ近くに滝があり、付近の土地を電力会社が所有しています。発電量が少ないせいか、今は稼働していないようですが。

その技師はこの土地がすっかり気に入り、フランスに帰国せずに、ここに住み着きます。その方が現在の当主、アルトゥーロさんの曾祖父です。

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お祖父さんの代からは酪農をはじめとする農園経営で生計を立て、それは今も続けられています。

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Cayaraというブランド名で、牛乳そのものだけでなく、フルーツ味をつけたドリンクとかアイスクリームも製造販売しています。果樹園もあるので、そこの果実を使うのかな?

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車の後ろ。ロールシャッハみたい。

土地の言語はスペイン語で、曾祖父がフランス人だから家ではフランス語を話し、アルトゥーロさんご自身はヨーロッパに留学した後、国連で働き、英国人女性と結婚したので、彼はスペイン語、フランス語、英語を全部、流暢にあやつるという、ホンマモンのマルチリンガル人間なのだ。

オランダ、次にドイツに留学し、農業経営の専門家として国連機関に就職。主にアフリカで農業経営の指導にあたったのですが、どんな国に行ったのかとたずねたら、

「モザンビークでは内戦で、農業指導より何より、土地の人たちを逃がすので精一杯・・。その前の国では、政治がとことん腐敗していて、国連の金をどうやって悪徳政治家に握らせないかという画策で精一杯で、農業どころの話ではなく・・」

苦笑いするしかない仕事人生だったようです。普通なら、「俺、なにやってんだろ?」と絶望的になりそうなものですが、なにしろ国が混乱に次ぐ混乱だった時代のボリビアで育ったので、努力が全く実を結ばない状況にも慣れっこで、それほど暗くもならず、「ま、こんなものかな」といった案配でしょうか。

お父さんが高齢で農園経営が難しくなったため、アルトゥーロさんは50歳ぐらいで国連機関を引退し、戻ってきたそうです。これは私の想像ですが、おそらく相当の斜陽ぶりだったアシエンダを復活させるという意気込みで、家の所蔵品で博物館を作り、それに併設する宿泊施設も作ったのではないかと。

では、お屋敷の中を見せていただきましょう。

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応接間。暖炉があって、とても快適。

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天井画。

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これはこのアシエンダの初代領主だった貴族の時代のスペイン王とその后。だというのですが、ものすごく理想化されていて、とても肖像とは思えませんな。この当時のハプスブルク家には、こんなきれいな王様はいない。

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正面のドアの奥が図書室で、普通の書籍に加え、数百年前の手書きの聖書や古地図など、とても興味深い蔵書です。

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チャペル(礼拝堂)内部。

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広間が博物館として使われています。その所蔵品。

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この部屋以外にも、食堂などのあちらこちらに綺麗なものがたくさん。

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外壁の紋章。

夜のちょっとしたライトアップ。

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ボリビア旅行8:俺たちゃペットじゃねえ

夕食は別料金ですが、フルコースで、けっこうなお味でした。

食後、暖炉の横でアルトゥーロさんと四方山話をしていたら、息子さん登場。

4人兄弟姉妹の末っ子。大学で情報処理学を専攻しておられますが、都会よりもここの方が好きで、すでにここを継ぐ決意をしているとのこと。すでに、ここの広報担当者といった位置づけで、インターネットの巨大旅行者掲示板、TripAdviserをはじめ、ネット上でアシエンダの宣伝を展開しています。

長身でなかなかの男前なので、ボリビアのデート事情なども聞いてみたかったのですが、この後、父子の両方から、日本についての怒濤の質問攻めに合い(いつもこうなるんだけど・・・)、オフィスそのままは全く質問できず、撃沈でございました。ハア。

例によって、「おそらく日本人の9割は、一生のうちにほとんど日本語以外の言葉での会話を経験しない」、「国土の6割以上は山林で、人は島の縁に沿って住んでいる」という事実に、目を丸くする2人。父の方は国際機関勤務という実体験があるし、息子の方はインターネットで日本のアニメやオタク文化に接しているのに、それでも、地理と文化の両面で遠い国については、曖昧な情報しかないんですね。

父の方は「先進国で輸出大国」という観点から日本を見ているから、だれもが英語かフランス語か中国語か、何かしら外国語を話すであろうと勘違いしている。やはり、シンガポールのような国のイメージが強いのでしょうね。息子の方は、「若者文化の最先端」と思っているから、「山がちな島国」というイメージが、なかなかつかめないようでした。

5月19日(日)
滝見物に出かけました。その途中、家畜を連れたご近所の方たちとすれ違います。

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牛とロバが川を渡った後に、

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この犬、ペットじゃないんですよ。なんだかボロぞうきんみたいですが、これでもれっきとした牧畜犬です。

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今度は羊。こちらにも・・・

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ね?羊が道からそれようとすると、ちゃんと隊列に戻していました。

ボリビアでよく見かけるのが、このテリアが混じったような小型犬です。この近所ではどの犬も働いていましたが、町中ではペットとして飼われています。ボリビアの人たちは犬の飼い方が抜群に上手で、犬はみんな放し飼いなのですが、無駄吠えは全く聞こえないし、態度の悪い犬は1匹も見かけませんでした。

滝は電気会社所有地の中にあり、「関係者以外立入禁止」の札がかかているのですが、アルトゥーロさんから、「守衛に言えば、入れてくれるから」とアドバイスを受けており、その通り、問題なく入れてもらえました。

勾配が急だったけれど、30分ぐらいで滝のそばに到着。

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なかなか気持ち良し。

この後、アシエンダに戻り、水でももらえないかな~と、キッチンに行ったら、ちょうどアシスタントの女性や農場で働いている人たちがいて、カタコトのスペイン語を駆使(?)して、おしゃべり。(でも、「滝を見てきました」と、完了形を正しく使えて、拍手をいただきました。オホホ)

最初に来たときに門で会った爺さんがお茶していたので、私もコカ茶をいただくことにしました。この爺さんがやけにお調子者で、しゃべるしゃべる。どこがどうなってそんな話になったのか、「妻の母親が意地悪ババアで、俺は何十年も苦労した」なんて。Todo el mundo(世界中どこでも)と言ったら、バカウケ。





ボリビア旅行9:真夜中過ぎの宿探し

従業員の人たちや看板犬のAzucar(アスーカル。砂糖という意味です)と仲良くなれたのに、もうお別れというのは残念ですが、次は、今回の旅行のビッグイベント、ウユニ塩湖ツアーに出発する町、トゥピサに向かいます。

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(散歩の途中、こうやって待っていてくれるんだよ。いい子でしょ?)

今日はアルトゥーロさんが忙しそうで、どうしたのかなあと思っていたら、美術館見学のお客さんを従業員がポトシまで迎えに行ったら、車がパンクしたとのこと。それで、ポトシまで行っていたのだとか。そんなことまで、経営者がいちいちしなければならないというのは、ビックリなのですが、美術館/ホテルのスタッフだけでなく、農作業や牛の世話をする働き手も、まだ「命じられたことをやる」段階で、従業員教育が大変そうでした。

「毎日、同じことをやるだけなのに、こちらが言うまで仕事をしない」のだそうで。

ポトシを6時半発のバスと聞いていたのに、6時になってもタクシーが来ない。間に合わないじゃないかあとヤキモキしつつ、門のところで待っていたら、6時過ぎにやっと来たタクシーのドライバーが、もうバスのチケットを買ってくれていて、それを見たら、8時半のバスだった。

ポトシの新しいバス発着所は巨大なお椀を伏せたような形の2階建ての建物。

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写真がないので、alltravels.comという旅行サイトの写真を借りましたが、このように吹き抜けになっていて、2階の回廊に沿ってバス会社のオフィスが並んでいます。その中に私が乗るバスの会社があったので、荷物を置かせてもらいました。

中央に張り出す形でレストランがあるんだけど、どうもロクなものを食べられないような気がして、外に出て、屋台のチョリソー入りアンブルゲサ(ハンバーガー)とお茶で夕食。

さて、もう何もすることがなく、ここで2時間、待つわけなんだが、これがもう、寒いのなんのって。ポトシはカジャラよりも500メートルも標高が高く、4000メートルなんだよ。早い話が、富士山より高いところで、それも初冬に(赤道の近くではあるんですけどね)、こんなだだっ広い、全く暖房のない、吹き抜けの建物で、待たねばならんのだ。ベンチに座ったり、あまりの寒さに立って歩いたり、とにかく、ひたすら我慢するしかない。

予定より遅れて、9時前にバス出発。終点まで行かないので、降りそこねては大変だから、途中、窓外が暗くなると眠りかけ、外が明るくなるとハッと起き、を繰り返し、真夜中過ぎにトゥピサ到着。

ここからがチト、問題だった。

ウユニという世界有数の観光地に出発する町というイメージが強く、ポトシからバスでトゥピサに来る人も、けっこういるような気がしていたんですよ。でも、それは大きな勘違いで、ウユニを訪れる観光客のほとんどは、ラパスから飛行機でウユニの町に着き、1泊2日で塩湖だけ見て、また飛行機でとんぼ返りなんだよね。わざわざトゥピサまで来る人は、少数派なのであった。

深夜の1時前にバスから降りたのは、オフィスそのまま1人であります。町はシーンと静まり返り、青白い街灯に薄ボンヤリ照らされた街路には、人っ子一人、見あたりません。

ツアー会社も経営しているMitruという宿に泊まろうと決めていたので、ガイドブックで確認して歩き始めたのですが、10分で「違う・・」と気づき、パニック!になりかかった。でも、運のいいことに、この日(というか前日)がたまたま日曜日だったので、こんな真夜中でも、町の中心らしいあたりに人がチラホラいて、その中のアベックにたずねてみました。

日曜日深夜のデートをジャマしたのに、その人たちが懇切丁寧に道順を教えてくれたおかげで、その宿がある通りには2~3分でたどり着けたのですが、それでもどの建物かがわからず、またパニック!になりかかったら、酔っぱらい2人、千鳥足で登場。他に人もいないし、しょうがないから、この2人にたずねたら、

「そこ、そこ!その・・・あの・・・」「Mitru~??ホニャラホニャラ~」「あの・・・白い・・・」などと、よくわからないながらも、白い建物の前に行くと、確かに目的の宿でした。

もう完全にドアを閉めてしまっていましたが、屋内からテレビらしき音が聞こえてきたので、従業員は起きているみたい。申し訳ないと思いつつ、グワングワンと鉄の柵を叩いたら、眠そうな顔の男性が現れ、「ごめんね~」と言いつつ、チェックイン。

安い部屋だけど(120ボリ:1600円)、けっこう居心地よさそうで、ホッと一安心。シャワーも熱いお湯がちゃんと出たので、こごえた体を温め、2時頃にようやく就寝。

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