旅の豆粒ヒント

旅の豆粒ヒント(0):一人旅なんて誰でもできる

なぜ旅行をするのかと言われても、首をひねってしまう。見たいものや体験したいことは確かにあるとしても、それほど強い欲望ではないからね。バック パッカーの中には「旅は麻薬だ」なんて言う人もいるのですが、そういう感覚は私には全くないっす。薬にしたいほどもない。そんなわけで、人に「どうして旅 行するの?」と聞かれると、「いやー、年中行事になっているので」なんて、意味のないことを答えたりする。

ま、ひとつだけわかっていることがあり、それは記憶にある限り、生まれながらにして「外歩き」が好きだったということ。3才の時、母親が作ってくれ たジャンパースカートのお腹の部分に、半円形の大きなポケットが付いていたのですが、これにはちゃんと機能があった。母親が家事で忙しくなると、下駄を履 いてカタカタと隣近所に遊びに行く。ある程度の時間がたって、またカタカタと戻ってくると、ポケットの中にお菓子が入っているという仕組み。

「三つ子の魂百まで」と言うから、それが延々と続いて、隣近所からだんだん距離が長くなり、海外旅行に至っているのでしょうか。ただ、そうだとして も、それじゃあなぜ幼児期から外歩きが好きだったのか、という謎は解けませんけどね。あっ。お菓子がもらえたからか!

まあそれはいいとして、このように、特に信念だの目標だのがあって旅行をしているわけではないので、べつに他人に勧める気もないのです。「旅でしか 得られないものがある」と言う人がいますが、そんなことは当たり前で、「旅」の部分に「読書」だの「子育て」だの「40年同じ会社に勤めた」だの、あては まる言葉はほかにも無数にある。ただ、それぞれの経験から得られるものが違うだけで。ですから、なにも旅行なんか、しなくたっていいんですよ、当然。

とは言え(英語ではHaving said thatって言うね。「そうは言ったけれど」という意味。これが口癖の人って、どこかにいそう)、行ってみたいんだけど、いっしょに行ってくれる人がいな いし、一人旅はちょっとなあ。特に体力があるわけでもないし、臆病な方だし、外国語は何もできないし。という人には、ぜひこのサイトで、水津さんというおじいさんの話 を読んでほしい。最初は驚天動地かもしれませんが、水津さんの言葉を聞いて、そんじゃー、ちょっと行ってみようかな、と思えたら、思い立ったが吉日です よ。

旅の豆粒ヒント(1):レジ袋とゴムぞうり

先日、「一人旅なんて誰でもできる」と書いてしまいましたが、その後に数名からいただいたメールを読むと、そうは言っても、やはり一度も海外旅行をしたこと がない、あるいはパックツアーで添乗員さんの後について行ったことしかない、という方にとっては、一人旅は敷居が高いようです。

そこで、折に触れてちょこちょこと一人旅のヒントになるようなことを書いてみようかと思います。ただ、免責条項のようなことを言っておくと、一人旅 に絶対に不可欠なのは、「1人の時間を楽しめること」、「自分のことは自分で決められること」です。「誰かといっしょでないと楽しめない」、「誰かに相談 しないと何も決断できない」という方は、たとえ難しくても、なんとか努力して同行者を見つけてください。

また、「危険な場所や時間帯を避ける」なんていう、どんなガイドブックにも書いてあることは省きます。それから、若い女性向けのアドバイスも、とり あえずは除外します。若い女性特有の危険というのは、世界中どこでも、日常生活の中でもあるわけで、それへの対処方法はすでに心得ていて当然だからね。だ いいち、わたしゃもう若くないんで、何を気をつけなきゃいけないか、忘れちゃってる・・ってわけで。申し訳ない。で、あくまでも、中年女性である私が個人 的に心がけていること、豆粒大のヒントに限ろうかと思います。

では、一人旅の豆粒ヒントその1というわけで、

レジ袋とゴムぞうり

トラブルに遭わないようにするための最善の方策は、標的にならないことです。毎日毎日ボッタクリや詐欺師や客引きや乞食につきまとわれてウンザリし た、と嘆く人が時々いますが、そういう、もーウンザリ!な経験をしやすいのは、いかにも小金持ちの観光客らしく見える人です(ただ、大都会や有名観光地に なると、相手も熟練していて、身なりは貧しそうでも金を持っているバックパッカーを瞬時に識別できるらしいんですが、まあ、そういう場所は素早く通過する ということで)。

そこで、私はどうするかというと、足にはゴムぞうり、手にはスーパーのレジ袋です。着るものをわざわざ貧乏たらしくする必要はありません。服は普通 のシャツとパンツでも、ゴムぞうりとレジ袋で一気に生活臭が漂い始めるから不思議です。で、お金やクレジットカード、航空券などの貴重品は、腰に巻くタイ プか胸にぶら下げるタイプの外から見えない袋に入れて、貴重品以外のものは全部、買い物袋に押し込む。スカーフとか(モスクに入るときに髪を覆うため)、 途中で買ったおやつとか(お腹が空いても、一人で入れるような食堂が見つからないことがあるので)、ごちゃごちゃ突っ込んでおく。私なんか、そもそもおば さんですから、買い物袋を持つと、恐ろしいほど似合っちゃうんですよ、これが。こんなこと自慢しても、しょうがないけどさ。

旅の豆粒ヒント(2):初日の宿は予約する

個人旅行が気楽なのは、勝手にスケジュールを変えられるというところです。その土地が気に入ったら、あるいは疲れたり具合が悪くなったりしたら、帰 国の日まで、ずーっとひとつの町にいたっていいんだから。行きたいところを心づもりしていても、予定通りに行けなかったからといって、べつに誰に謝る筋合 いもないしさ。

そんなわけで、宿の予約というのはちょっと入れにくくなりますよね。まあ、いちおう入れておいてキャンセルしてもいいんだけど。私はどうしても泊 まってみたい宿や*、時期的に混みそうなときは予約を入れて、あとは行き当たりばったり。

Imperialexterior*こんな由緒正しいホテルに泊 まることも。これはデリーのインペリアル。 普通料金でスイートルームに泊まれたんだぞー。

しかし、初日の宿だけは必ず予約する。なぜかというと、何度旅行をしても、初めての土地では、やっぱり不安になるから。飛行機から降りてイミグレ (Immigration:出入国管理局。ここを通過して、初めて入国ということになります)を通り、ぐるぐる回るコンベヤから荷物を受け取る。ここまで はなんともない。でも、税関を抜けて、ドアが開いて、一歩外に踏み出すと・・。

一気に緊張!迎えの人がごった返して、ものすごい喧噪に包まれることもあれば、深夜で気味悪く静まりかえっていることもある。いずれにしても、詳し く情報を集めて十分準備したつもりでも、やっぱり一瞬、(うわっ!どうしよっ!)なんて思ったりする。そんなときに、どどどど、と群がる客引きたちから、 俺のホテルはなんたらかんたらー!そいつは嘘つきだ!こっちのゲストハウスはほんだらかんだらー!とツバをとばされたら、パニックになっちゃう。(ぎゃ ぎゃぎゃっ!この旅行、ひょっとして失敗~?)なんてね。

それに、私はもともと疑り深い性格なので、騙されたことはないのですが、この瞬間にあせって騙される人が時々いるようなのです。昨日、大火事があっ て、町が混乱しているなどと言われて、町はずれのホテルに連れて行かれたりとか。長い空の旅の疲れと見知らぬところに来た不安で、心が動揺して、平常心な ら絶対信じないようなことをヒョイと信じてしまう。

そこで、初日の宿だけは日本からインターネットで予約します。最近は節約旅行者向けの安いゲストハウスでもウェブサイトを持っているので便利。知人 から聞いたり、旅行者の掲示板で質問して、評判のいいところを選ぶ。着くのが夜だったら、ついでにそこに迎えのタクシーも頼むと、さらに安心。

とりあえずその宿に落ち着いて、一晩ぐっすり寝れば、翌朝は動揺も収まり、のんびり次の予定を立てられます。お茶でも飲みながら、(このゲストハウ ス、居心地いいなあ。もう1日ここに泊まって疲れを取ろうかなー)でもいいし、(よし!このお茶飲んだら、すぐに出発だー!)でもいい。この時がね、すご く気分がいいんだヨ!

旅の豆粒ヒント(3):お金の功罪

お金があると、たぶんいいことが多いのでしょうが、お金を使えば使うほど「いい思いができる」かというと、そうでもない。そこんところが難しい。楽 しい!嬉しい!思いをするために、どんな風にお金を使うか、というところに人間性が表れたりもしそうです。

旅行ということで言えば、それが汗水流して稼いだお金であろうと、小金持ちの親を半ば脅してふんだくったお金であろうと、アラブの石油王にみつがせたお金であろうと、それをどう使って、どういう旅行にするかは各自の勝手で、人それぞれ。1泊5万円のホテルに20泊したっていいんだ!

まさか、私にはそんな財力はありませんが、1泊1万円のホテルなら、泊まれないこともないし、タクシーと運転手を雇って移動することもできる。では、なぜそれをしないのか。なぜ1000円以下のゲストハウスに泊まり、おんぼろバスにガタガタ揺られる行程を選ぶのか。

話はそれますが、大学生なんかだと「貧乏ごっこ」をしたりするね。とにかく、できる限り安く上げるのが「旅のクロウト」で、ホテルの予約を入れたり するのは「シロウト」だと言って馬鹿にする。真夜中に空港に着くならタクシーに迎えに来てもらった方がいいに決まっているのに、そういうことをいやがる。 旅行全体として予算が限られているとしても、500円くらいのお金は使えるはず。要するに、カッコ悪い、ということらしい。

「自由な旅はこうあるべき」という固定観念にとりつかれていて、その意味では、パッケージツアーと何ら変わるところはない。泊まるのはバックパッカーの間で有名な日本人宿(宿泊客がほ とんど日本人で、日本食が食べられて、日本のマンガが置いてあるような宿)。そこがなぜ名物宿になったかというと、何カ月も何年も旅行している人たちが、 たまには日本食が食べたい、たまには日本語で話したい、あるいは、そういう人たちは本当に貧乏なので、貴重な存在だからなのだと思います よ。夏休みだけ、ほんの2~3週間旅行する大学生が、そんなとこに泊まる理由はどこにもない。単に有名宿に泊まったことを友だちに自慢したいのか、「自由な旅」をする私は、この宿に泊まらなきゃダメと思い込んでいるのか。

それに、彼らはそもそも「旅行」って言わないもの。あくまでも「旅」なんだ。「俺は観光客なんかじゃない。旅人だ」って・・あなた、うわっ。恥ずか しい~。旅人という呼び名が似合うのは芭蕉だけなんだよ。(あ、芭蕉自身、「旅人と我が名呼ばれん」と詠んでいるから、「旅人と呼ばれたいなあ」というこ とか。)とは言え、実は私は「貧乏ごっこ」をしたがる学生たちが、けっこう好き*。若い頃は、そういう勘違いの気取りがあるのが普通じゃないかなあ。勘違 いには、そのうち気づくからね。

閑話休題。私の場合、節約旅行にいそしむ理由は2つある。いや、3つか?

その1:貧しい出自のゆえか、はたまた毎日原稿用紙1枚いくら、英単語1語でいくら、という日銭稼ぎをしているせいか、少し大きなお金を使うと、そ の分、旅行が重くなってしまう。つまり、「元を取らなきゃ」とは必ずしも思わないんだが、1000円ではなく2万円使うのだとしたら、それだけ払うことの 「意味」が気になる。たかがホテルの部屋に重みが出てきてしまうのね。でも、旅行は散歩のように気軽にしたいから、軽くふわふわ旅行を続けるためには、水 シャワーぐらい、開け閉めにややコツが必要なドアぐらい、便座のないトイレぐらい、我慢しようということになるわけです。

Imperialsuite1_1  Imperialbedroom

       でも、興味のあるホテルには泊まりますけどね。だいたい1回の旅行で1泊か2泊。その場合は最初から、そこに対して重みを期待する。この写真はデ リーのインペリアル。運良く、シングル料金でスイートルームに泊まってしまいました。気取りのないインテリアで、気に入った。豪華すぎず、上品すぎず、居 心地がいいんです。

その2:途上国を旅行する場合、こちらにとっては安い値段でも、その土地の人から見れば高価ということがよくある。そんな高いホテルに泊まり、高い 料理を食べ、タクシーを乗り回していると、当然、そこではお金持ちってことになる。ところが、なにしろ日常生活ではお大名ではないので、お大名扱いされる のは、なんだかこそばゆいのです。非常に居心地が悪い。召使いだの女中だのを持ったことがない人間が、急にかしずかれてしまうと、どう振る舞えばいいの か、さっぱりわからない。そんなわけで、その土地では中級程度の宿に泊まり、その町の人が食べに行く食堂で食べた方が、落ち着くのです。

その3:これは今までの経験から言えることとして、単純に、節約旅行の方が楽しい!時々、一人旅で、最初から最後まで車とドライバーを雇って旅行す る人がいるけれど(旅行代理店に騙されて、高いツアーを組まされる人もいるみたい)、そんなことをしたら、人との出会いがほとんどなくなってしまう。それ に、高級ホテルに泊まったら、他の宿泊客は皆金持ちでしょ。で、ぶっちゃけた話、金持ちは私のような不細工なおばさんには全く興味を持ちません。言葉を交 わす人がいない、とても寂しい旅行になってしまう。ゲストハウスに泊まれば、必ず同宿者と接触があるし、バスや列車に乗れば、たとえ言葉が通じなくても、 土地の人とお菓子の交換をしたり、そのほか、なにやかやと刺激に満ちた日々を送れるってもんです。

こんなわけですが、そうは言いつつ、たまには毎日お湯を張ったバスタブにつかれる旅行をしたいなあ、なんて思ったりもするんですよ。

* 追記:なんで好きかを書いていませんでしたね。えっとね。う~ん、あくまでも大学生くらいの若いみなさん限定ですが、勘違いして気取ったり気負ったり、失 礼なことをしたり、知ったかぶりしたり、そういう人たちが好きなんですよ。そんな風に世間や他人にぶつかって、怒られたり、たしなめられたりしているうち に、だんだん、自分がどういう人間であり、だから、どの辺をもっと押し出したり、あるいは引っ込めたりすべきなのかが、わかってくるものじゃない?

少なく とも、私はそうだった。大人になってから思い返すと、若かった頃、生意気な自分に辛抱強く対応してくれた大人たちが周囲にいたのね。で、今、その人たちに は感謝しているし、できることなら自分も見習いたい・・と、たまには殊勝なことを言ってみました。

旅の豆粒ヒント(4):Let me think about it.

言葉が通じない国での一人旅。英語ができれば大した問題はないのですが、英語もできない。その場合によくあるのが、「なんだかわからないけど、イエ ス(またはノー)と言っちゃった」というやつです。

なんだかわからないのにイエス(ノー)と言っちゃダメです。絶対ダメです。そんなこと、大人ならわかっている。それなのになぜ言って しまうかというと、あわてるから。なんだか相手に(ホテルの受付、旅行代理店のおやじ、タクシーの運転手、遺跡の警備員、列車の車掌、その他いろいろ)ま くしたてられて、さあ決めろ、すぐ決めろ、とせかされて(いるように感じる)、同行者のいる旅行なら「どうしますかねえ」と顔を見合わせるだけでも間が空 いて、その間に落ち着くのだけれど、なにしろ1人。思わずイエス(ノー)と言ってしまう。

これは私も何度かやった失敗で、おぼろげにしか意味がわかってないのに返事をしてしまい、1つも窓のない部屋に泊まるはめになったり(後でよく考え たら、受付の人はちゃんと「窓がないけど、いいのか?」と言っていた)、反対方向の列車に乗ったりしました。

そこで覚えていると便利なこのセリフ。

Let me think about it.

発音としては「レッミth(舌の先っぽを歯で噛んでスと言ってください)ィンカバウイッ」って感じです。「考えさせてくれや」という意味ですが、と にかくよくわからなくて、頭が混乱したら、とりあえずこれを言ってみましょう。

たとえばホテルの部屋を決める場合、そうしてひとまず相手を黙らせてから(黙らなくても無視する)、さて、「部屋代は妥当かな?」と考えると、おや 不思議、「いや、待てよ。先に部屋を見た方がいいな」というような当然考えるべき考えが湧いてくるのであります。

これが覚えられないという方は、胸の前で腕を組むなど、あわてた時に自分を落ち着かせ、相手にも「待て」モードが伝わるような仕草を決めておくとい いですよ。わわわわわわわとなったら、パッと腕を組む。そういう感じ。

追記:ちょっと考えてみたら、Let me think.だけでも、もっと言ってしまえば、Let me see.(レッミスィー。えーと、という意味)でも、用は足りるな。

旅の豆粒ヒント(5):他人は勝手なことを言う

仕事だの結婚だのという人生を左右するような相談事なら、おおかたの人は親身になって相談に乗ってくれるものです。しかしながら、旅行というのは、 たまたま旅行中に人生を左右するようなことを経験する可能性はあるとしても、世間の常識から言えば、まあ要するに遊び事の範疇に入ることで、相談をして も、あるいは相談なんか全然していないのに(!)、他人はけっこう無責任な発言をしてくれちゃったりします。

「インド?インドなんてもう古い古い!インドは70年代で終わってる!」
「一人旅する女って、アジアでは軽蔑の対象でしかないんだよなあ。惨めになるだけだから、やめとけ」
「金持ちの国の人間が貧しい国に旅行に行くなんて、良心が痛まない?せめて遊びじゃなくて、ボランティアすればいいのに」
「そんな普通の観光地を回るだけの旅行、どこが面白いのかなあ。俺なんかさあ・・」(後は長いので割愛)

こういう他人の勝手な発言はすべて、ゴミの収集日に透明なビニール袋に入れ、「スットコドッコ イ」と大きくマジックで書いて、きちんと分別して出しましょう。

真面目に聞くのは建設的なアドバイスだけにしよう。前にも書いたけれど、自分の旅行なんだから、自分が楽しめる旅行をすればいいのです。5日間しか 休みが取れないけれど、どうしてもアンコールワットが見たいと思えば、見に行けばいいんです。20日間ずっと、フィリピンの海岸で寝ていたって、いいんで す。

それにしても、本当に他人は勝手なことを言うよね。冒頭に、重要なことなら親身になってくれると書いたけれど、人生を左右するような問題について だって、勝手なことを言う人はいるもんなあ。

20数年前、私がフリーで翻訳を始めようとした時も、親しい人たちは皆、「べつにいいんじゃない」という反応だったけれど、ちょっとした知り合いは 老いも若きも全員、口を揃えて「そんな仕事で生活できるわけない」と断言していたもんね。「地道に会社でコピー取りとお茶くみでもしていれば、カツカツで も食べてゆけるよ」ということだったんですが、あの時にその人たちの「心からのアドバイス」に耳を貸していたら、どうなっていたかと思うと、背筋がゾッと するね。

旅の豆粒ヒント(6):シャッターチャンスをのがした後に

Iwago_1 動物写真家の岩合光昭さんの「ネコを撮る」(朝日新書)という本が出ました。たまたま書店に並んだ当日に買えたのですが、今アマゾンでチェックしたら、す でに在庫切れ!恐るべし猫力(あっ。もちろん岩合さんの力も・・汗)。ちなみに発行日は3月30日に なっているんですけど。

書店での売れ行きについては、カワイイ腰巻きも勝因かもしれないネ。

参考になるアドバイスがいろいろあったのだけれど、特に含蓄ある指摘として、「シャッターチャンスを逃がしてしまうという質問をよく受けるけれど、 それはシャッターチャンスを決めつけているからではないか」という言葉があり、別の箇所にも「うちのネコがかわいいのに、かわいい写真が撮れないと言うけ れど、それは、自分の家のネコのかわいさはこうだ!と思いこんでいるからではないか」という指摘が。

これは旅行にも言えるかなと思います。ほとんどの人は、旅行になにかしら期待するものがあるはず。それは具体的な祭りや建築物かもしれないし、旅行 本に書かれていた「土地の人との心のふれあい」かもしれないし、「旅情」のキャサリン・ヘップバーン扮する独身OLのように「何かが起きること」かもしれ ない。なにかしら、この旅の「目玉」はこれだ!ということがあるのが普通ではないですかね。

でも、これがハズレることがある。「シャッターチャンスをのがした」状態ですね。祭りは人が多すぎて何も見えず、建築物は期待したよりもショボく (ギザのピラミッドにもガッカリする人がいるからね)、土地の人にはひたすらダマされ、ロッサノ・ブラッツィ(「旅情」でOLさんの心を奪ういい男)は現 れず、エトセトラエトセトラ・・。いや、実際、「世界三大ガッカリ名所」なんて言われる場所もあるんですよ。デンマークの人魚姫の像とか。

私もそんなこと、しょっちゅうですよ。20年以上前に初めてのパリで憧れのロードサイドカフェでコーヒーを飲んでいたら、排気ガスで喉をやられて咳 が止まらなくなったんだから。スリランカで遺跡めぐりをしているうちに、あまりに多くて遺跡疲れしてしまって、最後の頃はうんざりしたこともある。人里離 れたひなびた村で親切な村人が案内してくれて、ふれあい~とプチ感動していたら、しっかりガイド料を請求されたりね。

でも、そういうことはすべて、岩合さんが言う「決めつけ」であり「思いこみ」なのね。個人的経験から言っても、目玉はガッカリでも、それ以外の思い もよらないすばらしいことに出会える。たとえば前回の旅行では、「生まれ変わり」にお会いしたのですが、そんなこと、前もって期待なんて、できるわけないもの。そういうもんです。だから、 シャッターチャンスをのがしたことに「とらわれない」のがたいせつ。

ま、写真や旅行だけでなく、人生すべからく、シャッターチャンスをのがした後に本物のチャンスが来たりするのかなあ。

旅の豆粒ヒント(7):旅行=観光ではない

「観光」を辞典で引くと、「よその土地の名所・旧跡などを見物すること」という定義です。この要素がゼロの旅行というのは少ないと思いますが(パリ でショッピングという旅行でも、ルーブルを見学したりとかね)、逆に観光しかしない旅行というのもあまりない。

パックツアーでは、観光地と観光地の間を可能な限り効率よくつなぎ、想定外の出来事を可能な限り回避しようと努めるので、観光以外のことはかなり減 りますが、それでも、特にある程度の人生経験を積んだ人なら、土地の人たちの暮らしぶりに興味を持ったり、自分の仕事がその土地ではどんな風に行われてい るか気になったりするのが普通です。農家の方は旅行先でも土を触ってみるし、大工さんが海外旅行をすれば、その国の家の建て方に目を見張ったりする。

これが個人旅行となると、なにしろA地点とB地点を効率よく結ぶなんてことは、最初からあきらめた方が良い場合もあるわけで、ハプニングも続出し、 いきおい、観光以外の内容が盛りだくさんになります。たとえば昨年のインド北端への旅行についてこのブログに書きましたが、その内容も、拠点ごとに観光は するものの、旅行で出会った人たちや、その土地の日常、予想以上に大変だったことなどが、かなりの部分を占めています。ここのところが、パックツアーと違 う個人旅行(一人旅とは限りませんが)の良さでもあり、面倒な部分でもある。

17abusimbel_front 見たい観光地がたくさんある場合は、やはりパックツアーの方がいいのかもしれませんね。なーんて考えているのは、いずれエジプト観光をしたいともくろんで いるからで、調べれば調べるほど、見たいところが増えるんですよ。ナイル川クルーズツアーもしたいし。観光開発の進んだ国なので、いろいろなツアーがあっ て便利みたい。インドの次はエジプトかなあ。でも、タンザニアにも行きたいしなあ。なんだか、贅沢に悩んでますね、わたくし。

旅の豆粒ヒント(8):日々旅にして

うむむ。読み終わったばかりのボヴァリー夫人の影響か、あるいはこの猛暑にうんざりしたのか、今日は夢見がちなマダムの私。

Kakigoori0811_2 といっても、小心者である関係上、大した夢は見られない。せいぜい、ああ~、インドかアフリカでかき氷の屋台をやりたいなあ、ぐらいなもんです(マダムの 見る夢じゃないね)。原チャリみたいなので引っ張って、町から町へと移動するんだ。ああー、でも、どこの町に行っても、町の顔役に話を通さなきゃとか、 ショバ代を出せとか、いろいろあったりするんだよなあ・・。それに、氷はどうやって調達すれば・・。

こういうささやかな(みじめな、とも言える)夢を持つ人は、世の中にけっこういて、バックパッカーの掲示板などでは、なんか仕事しながら旅行する方 法はないかなあという話が出たりする。

Accidental0811 旅行、というのとはちょっと違うのだけれど、好むと好まざるとにかかわらず、やむを得ず「日々旅にして」という人はいます。Anne Tyler という作家の著作で、映画化もされた The Accidental Tourist という作品(日本語タイトルは「偶然の旅行者」。未読ですが、テレビで映画を見た。コーギー犬が出ていたので)の主人公は、ビジネスマンの出張用ガイド ブックを執筆するのが仕事で、実は旅行なんか、ぜんぜん好きじゃないのね。そもそも出張の場合、そこに行きたくて行くわけじゃないから、主人公は心情的に はこの仕事にぴったりなんだ。でも、人生って往々にしてそういうもんじゃない?というのがこの作品のテーマらしい。人生は計画通りにはいかない、という。 ちなみに映画は良くなかった。編集が良くないのかな。どの場面も同じような感じで、リズムに欠け、退屈。いいテーマなのに。

現実に出会った「偶然の旅行者」たちは、面白い人がけっこういましたよ。

たとえば10年以上前にスリランカで出会った医療機器の保守要員お二人。場所は島の南端のマータラという海沿いの田舎町。列車を待つ間、1泊だけし たのです。浜に行こうと宿から出たら、痩せて干からびた中国系みたいなおっさんと、やっぱり痩せて、でも干からびてはいない青年が、プラスチックの白い椅 子に座ってたばこを吸っていた。おっさんの方に黙礼したら、声をかけられた。

「日本人?」

おやおや?どういう方たちなんだろうか。仏跡めぐりのツアー観光客にしては肌が焼けすぎだし、バックパッカーにしては身なりがこざっぱりしすぎ。

スリランカのあちこちの病院に日本製の医療機器が納入されていて、サポート契約込みの販売なんだそうです。それで、この方の場合は2年に一度(たぶ ん他の人と交代なんだと思う)、数ヶ月かけてスリランカ中を回り、保守作業をしたり、注文取りをしたり、新製品の宣伝をしたり。

あの・・でも、スリランカは何年も内戦状態が続いていて、今年はようやく収まりかけて、それで私も旅行に来たのだけれど、先週はまた爆弾騒ぎで、何 人か犠牲者が・・と、こちらの頭の中がグルグルしていたら、

「先週行ったところは爆弾でさあー」
「あそこにいたんですか!」
「う~ん。いたんだなあ」

なんだか切迫感のない口調。青年の方はニコニコしながらうなずいたりしちゃって。人間、なんにでも慣れるもんだ、とドストエフスキーも「死の家の記 録」で書いていますがね。それにしても、出張にしては状況が厳しすぎ。

「怖いですねえ」
「ああ、そりゃーもう。怖いねえ。仏跡があって観光客も来る町だし、あっち側[タミル勢力]はここまでは来ていないから大 丈夫ってことだったんだけどなあ」

最初の頃はいやでいやでたまらなかったのだそうです。気候も風土も習慣も日本とは全然違うし、自分は英語がほとんどダメだし。でも、

「なじむっていうんだろうね。海もきれいだし。毎日仕事があるわけじゃないし」

なるほど。確かになじんでますよ。のんびりたばこを吸う姿が、スリランカの田舎町という背景に溶け込んでいる。

その時は、危険な場合は保守作業の日程を変更可能な契約条件になっているはずなのに、と思ったけれど、製品が医療機器で、大勢の人命もかかっている わけだし、簡単には変えられないのでしょうね。

旅の豆粒ヒント(9):子どもたち

個人旅行関係の本やサイトの発言を読んでいて、かなり前から気になっていたこと。それはですね。途上国では「子どもたちの目が輝いている」というフ レーズ。「日本の子どもが失ってしまった」ナントカカントカ。「貧しさの中でも明るさを失わない」云々云々。

ゲー!ですよ。もう。ホントに。それはそうじゃないのっ。自分の国にいる時は、あんたは普通の兄ちゃん姉ちゃんだから、子どもたちはあんたに興味を 持っていないの。関心がないから、あんたを見る目に「光」がないのさ。でも、途上国を旅行しているときは、あんたは「外国人旅行者」だから、子どもたちが 興味を持つのよ。それに、ひょっとしたら、お金とか、ボールペンとか、モノをくれるかもしれないでしょ。だから目が輝くの。

*今回の内容とは関係ないけれど、旅行中に撮った子どもたちの写真を数枚はさんでおきます。
Schoolgirls

スリランカの仏跡を見に行ったときのこと。たまたま小学校4年生ぐらいの子たちが社会科見学に来ていたのですが、数人が私を見つけて 「○#▲&!!○&×●!!」ナンカカンカ~と叫んだとたん、うわああああっと20人ぐらいのガキに取り囲まれてしまった。そりゃーみんな、全員、目が輝 いていましたがな。ギンラギンラ輝いていたぞ。私が何をしゃべるかと、固唾を呑んで見守っている。動物園のパンダのつらさがわかったよ。そんなもんなの よ。

Shephard0914

そして、もうひとつ。いろいろやりくりして休みを取って、少しずつ倹約して旅行資金を貯めて、若い人なら親を説得して、ようやく旅行ができたわけ で、「やっぱり旅行をして良かった」「ここに来た自分は正しかった」と、自分を肯定したいのさ。だから、なんとかして「意味づけ」をしようとするわけ。そ れで、子どもの目がキラキラ輝いて見えたり、ガンジス川が厳かに見えたりするのであった。

Mahaballipuram_2

話がそれますが、先進国の外国人旅行者がアジアや南米でだまされやすいのも、その辺に原因の一端があるような気がする。「人に自慢できる経験」を期 待するから、信じられないようなバカバカしい手でだまされる。「だまされたけれど、人を信じる気持ちが自分にまだ残っていたことがうれしい」なんて、とん でもないこじつけをする人までいるけれど、それは「信じる気持ち」なんかじゃないの。本に書いてあったような、テレビで見たような、「ちょっとイイ話」の 主人公になりたいという、あさましい欲をかくからなのです。そんなことを探さなくても、いや、むしろ、そんな「テレビや本の通りの」経験を探すという態度 を捨てれば、自然に「面白いこと」が見えてくるものなのですけどね。

ま、それはそれとして、子どもたちの目が輝いて見えるのは、その人にとっては結構なことなので、何も文句はないのですが、ろくに子どもの顔も見たこ とがないような人が、たとえば「日本の子どもが失った」なんていうセリフを口にするのはやめてほしい。

オフィスそのままは犬を連れて散歩をするので、普段から子どもの注目の的になりやすい(犬がね。私は透明人間)。だから、子どもの輝く目なんか、 しょっちゅう見ている。ワーッと走ってきて、道路の真ん中に、ほとんど寝そべるみたいにベッタリ座り込んで、犬の顔を覗き込んだりとかね。世界中どこでも 子どもの目は輝いているぜ!

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